エリザベス・キューブラー・ロスの『最期のレッスン』


NHKで、精神科医エリザベス・キューブラー・ロスの人生と死去を取り扱った報道番組を鑑賞した。
エリザベス・キューブラー・ロス博士の臨死体験にまつわる思想やターミナルケアの活動について、私は以前、深い興味を抱いている時期があったが長い期間、彼女の事を忘れていた。
偶然つけたNHKの番組で、久方ぶりにロスと再会し、そして、現世のロスが永遠の旅路に出た事を知った。
彼女の死去は、つい先日(米国時間8月24日午後8時15分)であり、息子のケンと娘のバーバラに見守られながら、安らかに緩やかな時の進行に合わせて眠る様に息を引き取ったという。

この番組を見た感想を簡潔に述べるのは難しい。
ロスを知る多くの人は、死を看取るターミナルケアスペシャリストとしてのロスの精神変容の過程に注目し、あるいは『死にゆく人々の精神的援助と苦悩の緩和に人生を捧げたエリザベスの聖女的な毅然とした死の受容』を無意識のうちに期待したのではないだろうか。
しかし、エリザベス・キューブラー・ロスは、見事に彼女の思想や活動を慕う信奉者の期待を裏切り、ありのままの負の感情を露にして、受け容れ難い死と不自由な身体に対する不快感や怒り、葛藤、恐れを言葉や態度で表現した。

『私は、歴史に語り継がれるような偉大な聖人、粛然と死の運命を受け容れる聖女になんてなりたくない。ありのままの普通の人間として、死の到来を予感して、悲嘆し、恐れ、否定し、怒り、混乱する感情を隠す必要などない。』といった率直な自らの心中を語るロスは、確かに、自己の著作で理路整然と『人間の死を受け容れる精神過程と末期医療における精神的ケアの方法』を語るロスとは全く異なる人間のようにも見える。
テレビの画面に映し出される一人のか弱き年老いた女性、新たに産まれてきた孫の写真を病室に飾り、その写真を眺めるのが最高に幸せなのだと語る女性、自分は『愛を受け取る事が苦手で、愛される事が少ない人生を歩んだ』と少し悲しげな表情で述懐する女性、そこには、死を目前にした終末期の患者をターミナル・ケアするホスピスの先導者としてのエリザベス・キューブラー・ロスではなく、一人の死にゆく人間としてのエリザベスの姿があった。
死生学(Thanatology)の権威としてのエリザベス・キューブラー・ロスから、死生学の『最後のレッスン』を受ける生徒としてのエリザベス・キューブラー・ロスへの転換が、誇張を廃した映像で記録されていた。

無数の死にゆく人々の苦しみや痛みや恐怖や怒りの感情を優しく受け止めて、『最期に、自分を愛する事の大切さ』や『生きる事の最終段階としての死の受容』を説いてきたロスが、自分自身を生徒にして、最期の最期に自分をしっかりと愛して現世を去ることが出来るかの大きな難しいレッスンだった。
彼女は、死の床に着く前までは、身体の不自由な自分の現状をありのままに承認して愛する事が出来なかったし、死の運命というものをうまく受け容れられない自分や、まだまだ自分の人生を十分に満喫できていないという無念さを隠そうともしなかった。

彼女は人生において最も大切な事は『愛を与える事と愛を受け取る事』であるという、敬虔な信仰者らしい自らの信念を語っていたが、自分の人生を省みた時には、『愛を他人に与える事は出来たが、他人や家族からの愛を受け取る事が出来なかった』事に、心残りや無念さ、不満を感じていた様に見えた。
実業家だった父親との折り合いが悪く、医師の道に進む事にも反対され、父から勘当されてからは一人で働きながら大学に通い、精神科医となった。
大学で出会った夫と結婚したが、彼女の臨床家医としての名声が高まると共に、仕事が忙しくなり、いつも世界中を東奔西走してターミナルケアや大学の講義、無償のボランティアに追われて、家族とゆっくりと過ごす団欒の時間を持つゆとりもなかった――その離れている時間から夫婦の仲は次第に冷え込み、本当は心から愛していた夫との離婚を迎え、子ども達とも離れる事になる。

重篤な絶望的な病気に冒され、迫り来る死の運命と戦っている末期患者に温かい視線を注ぎ、優しく手を取り、患者の言葉に真摯に耳を傾け、患者の心の深奥を読み取るかのような絶妙なカウンセリングを行う事の出来たロスも、その時間的制約と人々の期待と要請に応える過重な労働の為に、出来る事ならば、最も愛情を注ぎたかった夫や二人の子ども達には、十分な愛情を注げなかった。
また、本当は家族的な幸福や愛情に包まれたかった、夫や子ども達からの愛情も受け取りたかったロスは、脳卒中によって身体が不自由になる晩年に至るまで、その私的領域の感情を抑圧し我慢し続けたのだろう。
生の最終段階を迎えるに当たって、ロスは、ホスピスの博愛に満ちた聖女の高みからおばあちゃんという家族の一員にその身を移した。
そして、長年、願ってやまなかった家族からの愛情をようやく手に入れた。

大きくなった子ども達からの親愛や介護を受け、新しい生命として産まれた可愛い孫達から愛慕され、家族との相互的な深い感情交流を行う事で、彼女はその人生において一方的に与え続けた愛情を、今度はしっかりと受け取る事に成功したのではないだろうか。
彼女が、生前に残した最後の著作は、今まで残した著作を象徴する『死』をタイトルに冠さず、『Life Lesson』と名付けた。
エリザベス・キューブラー・ロスの最期の瞬間は、永遠の別れとしての死ではなく、彼女自身が信じた死後生への新たな旅立ちだったのかもしれない。
愛する子ども達に看取られながら、子ども達に手を握られて、3人の親子が一つの環になるような形でその息を引き取ったという。
おそらく、彼女は、死の運命を受け入れ、自己の存在を愛するという『最期のレッスン』に見事に合格したのだろう。
死にゆく過程にある他人に専門家としてレッスンをつける事と、死にゆく過程にある自分がレッスンを受ける事との間には、容易には超え難い深淵な亀裂が走っている。

『死にゆく人々の対話』の重要さと『医療関係者が死に向き合う勇気』の必要さを説き、末期患者の身体的な苦痛や精神的な恐怖や無念を緩和するターミナルケア(末期医療)の発展と拡大に歴史的な貢献をしたロスの生涯を見て、いずれは誰もが受けなければならない、そして私自身も受けなければならない『最期のレッスン』に漠然と思いがゆきました。
ホスピスターミナルケアの問題についても、いつか、じっくりと向き合ってみたいと思います。


エリザベスは、その著作において、霊媒師によるスピリチュアリズムや死後生や輪廻について言及するなど科学的な医学の領域にその思想は留まっていませんが、EBMを重視する医学者や科学者であっても、『死の瞬間―死とその過程について』(ISBN:4122037662)は、ターミナルケア理論の古典であり、現代サナトロジーの模範でもあるので一読の価値はあろうかと思います。

この著作では、有名な『ロスの死の五段階理論』*1も詳細に説明されているので、死に向かう病を告知された人間の心的変容過程を理解する為の手引きにもなるでしょう。

個人的には、最期の著作『ライフ・レッスン』(ISBN:4047913820)を、静かな夜にロスの柔らかい言葉をしみじみと聞くように読んでみたいですね。
『死の概念は、喪失でも悲嘆でもなく、また完全な終局を意味するものですらなく、死に至る過程は新たなる世界への旅立ちの準備を整える過程であり、この世界に意味のない現象はない』というロスの基本的な美しい目的論的な世界観や人類愛に根ざした宗教観は、科学的な怜悧な思考や論理学的な明晰な判断とはまた異なった深い味わいと魅力があると思います。*2

*1:ロスが膨大な末期患者とのカウンセリング的な対話や交流を通じて提唱した理論で、死にゆく人間の心理の変化の過程を5段階に分けるものである。1段階:否認と孤立、2段階:怒り、3段階:取り引き、4段階:抑うつ、5段階:受容の過程を経て、人間は死を迎えるという死生学の心理に関して、一般的な変容過程のモデルを提示した。

*2:エリザベス・キューブラー・ロスの思想や看護の底流には、キリスト教ユダヤ教の目的論的な世界観があるのではないかと思います。目的論には、良い面も悪い面もありますが、最期の幸福や救済に向けて他者への押し付けがましさのない目的論には、信仰の良い側面が多く反映されるのではないかと感じています。