気分障害の下位分類としての気分変調障害と気分循環障害


うつ病(単極性障害)や躁うつ病双極性障害)は一般的な病名として、現在、広く人口に膾炙しつつありますが、id:cosmo_sophy:20041216において、気分の異常な興奮や落ち込み、感情の不安定さを主訴とする病態の高次分類として気分障害を上げました。

うつ病(Depression)や双極性障害(bipolar disorder)については、ブログの各種記事において触れてきたので、今回は、気分障害(Mood Disorder)の中のうつ病の下位分類である『気分変調障害(dysthymic disorder)』と躁鬱病の下位分類である『気分循環障害(cyclothymic disorder)』について概略を示したいと思います。

まず、疾病概念の標準的な概略を説明する前に、私自身が、気分障害全般について抱いている印象というか感想を述べるならば、DSMが定義するような上記の厳密な疾病分類及び診断には、症状を軽快・寛解させる為の介入手段の選択という意味はあっても、個別的なうつ状態に伴う苦しみや悲しみを理解するという機能はありません。
それは、気分・感情の障害や苦悩というものは単一のエピソード(現在の病態)に還元できるものではなく、個別性と特異性に満ちていて、症状や悩みの内容が多次元的であると言うことでもあります。

ここでは、うつ病に伴うセロトニンノルアドレナリンといった神経伝達物質の分泌異常や脳内の情報伝達の抑制といった神経化学的な知見にあまり重点をおかずに語ります。
脳内モノアミン仮説は、確かに抗うつ薬による薬物療法の根幹を支える有力な仮説ではありますが、気分感情障害を脳内の化学物質の分量や神経伝達の機能障害の問題のみに還元することで理解できるわけではありません。
当然のことですが、うつ病を理解するに当たっては、人間的な情緒を排した科学的な視点や方法論以上に、積極的かつ共感的に相手という人間そのものをより良く知ろうという姿勢が大切になってきます。
一般的なうつ病の病態を形式的に理解するのではなく、個別的な感情や情動を有して、今までの人生を歩んできた個人を理解する為に、生活環境や認知傾向、家族関係、人間関係などの要素を重視していくことで“多様性ある個人の精神状態と生活問題”の把握が促進されます。


一般的に、うつ病には至らない程度の抑うつ感や気力・興味関心の減退といった軽度の心的抑制を呈する心の問題に、『抑うつ気分を伴う適応障害(adjustment disorder with depressed mood)』と呼ばれるものがあります。
皇太子妃の雅子さまが、一時期罹患された心の病気も、抑うつ感や生理的欲求の低下、自律神経症状を伴った適応障害と考えられますが、この疾患の最大の特徴は、抑うつ感や食欲低下が生じた原因である心理的社会的ストレスが明確に同定可能であり、その症状が6ヶ月以上持続していない事です。

抑うつ気分を伴う適応障害は、現在、生活や仕事をしている社会環境に強いストレッサーが存在しているか、今までの生活環境が急激に変化してそれに心身が迅速に対応できないというストレスによって生じるもので、抑うつ感や憂うつ感を主訴とする症状の中では最も軽度な精神疾患と言えます。
ある程度の期間、ストレスの原因となっている生活環境や対人関係から距離を置いて、十分な休養と睡眠を取り、規則正しい生活の中で自分の好きな趣味や活動を楽しむ事で、急速かつ著明な抑うつ感の改善を見ることが多いのです。
適応障害に付随して起こる抑うつ感は、その原因が生活環境や対人関係、環境変動の要因の中から特定可能であることやストレス状況を取り除く単純な環境調整によって回復することが多いことが、うつ病躁鬱病とは異なります。

しかし、適応障害の水準であっても、突然のリストラによる失職や予期しない恋人との離別などが抑うつ感の原因である場合には、実際に、そのストレス状況を改善する為の行動を起こして、新たな職や恋人を得るといった結果が得られないとなかなか症状が回復しない事もあるので、一概に十分な休息さえ取れば回復すると楽観する事も出来ません。
一般に、抑うつ気分や自己否定感、将来への悲観といった感情の障害が強くなるにしたがって、活動性が低下し、何かをしようという動機付けが失われていく傾向がありますので、行為の結果によるフィードバックを得なければ抑うつ感が改善しない人の場合には、その前段階における十分な認知療法的なアプローチによる動機付けが必要となるでしょう。


DSM−Ⅲ−Rには、抑うつ気分を伴う適応障害が以下のように定義されています。



DSM-Ⅲ-Rによる『抑うつ気分を伴う適応障害』の診断基準


A.明確に確認できる心理的社会的ストレス(または複数のストレス)に対する反応で、ストレスの始まりから3ヶ月以内に起こるもの。

B.その反応の不適応特質は以下のどちらかで示される。

1.職業的(学業を含む)機能、または日常の社会的活動、または他者との人間関係における障害。
2.そのストレスに対する正常なストレス反応や予期される反応よりも過度の症状。

C.その障害は、単にストレスに対する過剰反応パターンの1つではなく、先に述べた精神障害の悪化でもない。

D.不適応反応は、6ヶ月以上持続していない。

E.その障害は、どの特定の精神障害の診断基準も満たさないし、単純な死別反応を示すものでもない。


適応障害による抑うつ感の問題よりも、抑うつ感や憂うつ感が長期化して、慢性的・持続的に症状が経過するもので、うつ病双極性障害よりも症状が軽度であるものを、気分変調障害や気分循環障害といいます。
気分変調障害や気分循環障害は、適応障害のように明瞭な発病原因となった環境要因やストレス事態を特定できないという特徴を持ち、うつ病よりも症状から受ける苦悩がやや軽度なために、憂うつ感や意欲減退に対する耐性が形成されてしまう事も多い疾患です。
うつ病躁鬱病よりも、憂うつ感や苦痛を取り除いて健康的な生活を取り戻したいという動機付けに欠ける場合も見られ、一般的に非常に長期間にわたって症状が経過する事が多く、気分状態を変化させたいという変化への動機付けをするまでの道のりが長いとされます。

変化への意欲や動機付けが何故低くなりやすいのかという問題に対する答えには諸説ありますが、最も合理的な分かりやすい説明としては『もともと、BDI(ベック抑うつ評価尺度)で計測されるような抑うつ感の深刻度の点数が低い為に、心理療法薬物療法などで介入しても点数が殆ど変化せず、何をやっても自分の気分は変わらないと思い込みやすい。あるいは、漠然とした憂うつ感を抱えていても、何とか日常の仕事や人間関係をこなせる程度のレベルである為、この抑うつ感を抱えた状態が、当たり前の自分の心理状態であるとして認識されることになる』というものがあります。

実際、気分変調障害や気分循環障害の問題を抱えている人たちは、外見から、著明にその憂うつ感や興味や喜びの低下を窺い知ることが難しく、ある程度、他人の会話や趣味に合わせた対応を取りながら仕事や交際も出来ることから、本人も『気分はいつも何となくすぐれないが、我慢できない程ではない』といった形で折り合いをつけている場合が多いのです。
長期の気分変調障害になると、慢性的な抑うつ気分が5年や10年継続していて、人生の面白さや喜びを感じられない現状が普通の心理状態なのだと割り切ってしまっている場合もあります。
そういった割り切りや諦めが固定観念となって、感情交流的な対人関係から遠ざかり、気分の転換や感情の生き生きとした表現を自発的に拒絶してしまっているケースもあります。

気分変調障害に対するアプローチでは、気分の改善を一度でもいいから体験的に実感できるような認知の転換や環境の準備をすることが優先されます。
本人の『自分の気持ちは決して上向きになったり、明るくなることはない』といった非適応的な確信や『人生とは面白味がないもので、決まりきったゴールに向かう無意味なものだ。それを理解せずに浮かれて騒いでいる世間の人々が、考えが浅はかなだけだ』といった根源的な前提を打ち崩す経験や体験こそが、最も効果的な変化へのきっかけとなります。
そして、それを行おうとする意欲・気力を生み出すための認知の転換による動機付けが非常に重要になってくることになります。
今までの自分の非適応的な確信を揺るがせるような情緒的な経験や感動的な体験を幾度か重ねていく事で、自然に気分が改善して、何かをやってみたいという活動性が促進し、人間関係の内容も豊かになり喜びを感じられるものへと変質していきます。




DSM-Ⅲ-Rによる『気分変調障害』の診断基準

気分変調障害は、精神分析理論が隆盛していた時代には、“抑うつ神経症”という疾病概念で定義されていました。


A.数日間、ほとんど一日中の抑うつ気分で、患者自身の言明か、他者の観察によるものが、少なくとも2年間続いている。

B.抑うつの間、以下のうち少なくとも2つが存在している。

1.食欲減退(拒食)または食欲増進(過食)
2.不眠または睡眠過多
3.気力の低下または疲労
4.自尊心の低下
5.集中力の低下または決断困難
6.絶望感

C.この障害の2年間にわたって、一時に2ヶ月以上の間、Aの症状がなかったことはない。

D.この障害の最初の2年間は、疑いのない大うつ病エピソードがあったという証拠はない。

E.躁病エピソードまたは疑いのない軽躁病エピソードのあったことはない。

F.統合失調症精神分裂病)、または妄想性障害のような慢性の精神病性障害に重複していない。

G.器質性の因子が、この障害を起こし、維持していることが証明できない。




DSM-Ⅲ-Rによる大うつ病の診断基準


少なくとも以下の症状のうち、5つが同時に2週間存在し、病前の機能からの変化を起こしている。
これらの症状のうち、少なくとも1つは、(1)抑うつ気分、または(2)興味または喜びの喪失である。(身体的障害、気分と調和しない妄想や、幻覚、支離滅裂、または著明な連合弛緩などに明らかに起因する症状は含まない)

1.ほとんど1日中、ほとんど毎日の抑うつ気分で、本人の言明か、または他者の観察に基づく。

2.ほとんど1日中、ほとんど毎日、全てのまたはほとんどすべての活動における興味、喜びの著しい減退・喪失。

3.節食していないで、明白な体重減少あるいは体重増加(例:1ヶ月で体重の5%以上の増減)、またはほとんど毎日の食欲減退・食欲増加。

4.ほとんど毎日の不眠または睡眠過多。

5.ほとんど毎日の精神運動制止、または、焦燥感(他者に観察され、ただ単に落ち着きがないとか、のろくなったとかいう主観的感覚ではないもの)

6.ほとんど毎日の易疲労感、または気力の減退。

7.ほとんど毎日の無価値感、または過剰で不適切な罪責感(妄想的である場合もある。ただ単に自分を咎めたり、病気になったことに対する罪の意識ではない)

8.思考力や集中力の減退。または優柔不断な決断困難がほとんど毎日見られる。

9.死についての反復思考(死ぬ恐怖だけではない)、特別な計画はないが、反復的な希死念慮、自殺企図、または自殺する為のはっきりした計画。





DSM-Ⅲ-Rによる気分循環障害の診断基準

A.少なくとも2年間にわたり多数の軽躁病エピソードと、大うつ病エピソードの基準Aは満たさないが、抑うつ気分や興味、喜びの喪失の期間が、多数存在する。

B.この障害の2年間にわたり、1度に2ヶ月以上続いて軽躁、または抑うつ症状のなかったことはない。

C.この障害の最初の2年間に、大うつ病エピソードまたは躁病エピソードがあったというはっきりした証拠がない。

D.統合失調症または妄想性障害などの慢性の精神病性障害に重複していない。

E.器質性の因子が、この障害を起こし、維持していることが証明できない。



DSM-Ⅲ-Rによる双極性障害の診断基準


A.現在(最近)のエピソードが、躁病エピソードと大うつ病エピソードの双方の完全な臨床像を持ち(抑うつ症状に対する2週間の期間の必要を除く)、両者は混在しているか、2,3日ごとに急速に交替する。

B.抑うつ症状が顕著であり、少なくともまる一日は持続する。


うつ病を考えるに際しては、正式な病名として定義されてはいないが、心身症自律神経失調症と絡んで非常に重要な位置付けを持つ『仮面うつ病(masked depression)』も忘れてはならないでしょう。
うつ病の診断やうつ病類似の精神状態を特定することは、『憂うつである』『気分が暗く沈みこむ』『理由もなく涙が流れ悲しい』といった精神症状が顕著である場合には極めて容易です。

しかし、仮面うつ病に罹っている人は、心身症の人と同様に、アレキシサイミア(失感情症・失感情言語症)*1の傾向を呈する為に、自分の感情や気分を内省して認識したり、自分のありのままの感情を率直に言語で表現することが苦手であり困難です。

仮面うつ病の人は、まず憂うつ感や悲哀感を表面に出さず、絶望感や無気力などの精神症状を訴えることもありません。
頻繁に苦しみを訴える症状の内容は、睡眠障害摂食障害、性欲低下、胃腸の痛みや不調、下痢・便秘、頭痛などの身体面や感情を伴わない行動面の問題です。
仮面うつ病の場合には、身体症状が先行して抑うつ感が生じているのか、うつ病による抑うつ感が原因となって種々の身体疾患が生じているのかの鑑別が重要になってきますが、身体医学領域の疾患やうつ病以外の精神障害が先行して憂うつ感・抑うつ感が生じている場合にも十分配慮して注意していなければならないでしょう。

ここまで、うつ病や精神や身体の疾患によって生起してくる憂うつ感や抑うつ感について述べてきましたが、勿論、人間の憂うつ感や抑うつ感には病的ではない正常な心理反応に基づくものも多くありますので、短期間、気分が落ち込んですぐれない時には、それ以前の出来事や経験に特別な心理的ストレスや苦痛を伴う衝撃になるものがなかったかを考える事が大切です。

明確に特定できる心理社会的ストレス(対象喪失体験や人間関係の問題、環境の急変)の原因があり、憂うつ感や悲哀感・失望感といった感情が、日常生活全般を完全に破壊するほど強烈でない場合には、病理的な抑うつ感ではないと言えます。
また、ある出来事の経験がきっかけとなってもう立ち直ることが出来ないと思えるほどの強烈な衝撃があったとしても、抑うつや無気力・無関心などの感情経験の持続期間が長期でない場合には、精神障害の症状としての抑うつ感とは区別されなければなりません。

長期というのがどれくらいの年月なのかを特定するのは、困難ですが精神医学的診断の常識ラインとされる二週間では私はやや短いと思います。
本当に大切だった相手と悲劇的な死別をしたり、本当に愛していた恋人や配偶者と不本意な離別をしたりした場合など『人生の危機的状況と位置付けられる対象喪失体験』にあっては、強烈な耐え難い苦痛・悲哀・憤慨・絶望などの感情が少なくとも1ヶ月間程度は持続するでしょうし、その否定的な感情の強度が弱まっても完全に消え去るまでには長い人で半年、一年とかかるのは異常なことではないと思います。

ストレス強度の階層構造を研究したホームズなどによれば、『愛する人との死別による心理的ストレス』は、個人が生活経験の中で受ける最高度のストレスになり、心理・身体に無視できない重篤な影響を長期間にわたって及ぼすと統計的に実証されています。
ごく普通の『愛する人との死別反応・離別反応』の限界を超えて、うつ病や気分変調障害、適応障害に発展していく場合もありますが、半年間程度の深刻な心理的ダメージや憂うつ感、気力減退は、それのみをもって病的な精神状態と断定するのは早計であるようにも感じます。
対象喪失に典型的なストレス反応は、一般に人間として起きて当然の心的過程であり、生活環境や人間関係から受け取るストレスによって生じた抑うつ感や絶望感は、程度の強弱はありますが、正常な心理的反応として経過する場合には段階的に抑うつ感や絶望感の強度が弱まっていき、次第にそのストレス以外の事柄にも興味や関心を持てるように回復していきます。


うつ病の病態を大きく二つに分類すると、『外部環境の問題』が主要な原因となっているものと、『精神内界の問題』が主要な原因となっているものに分けられます。

外部環境の問題は、学校や職場への適応の問題がまず想起されますが、その中心的な問題は対人関係の問題です。
具体的な精神状態としては、他人と会いたくないし、話したくないという対人関係の回避や異性に対する関心の低下や性欲の消滅、どんな人とどんな活動をしても面白みや心地良い興奮を感じることが出来ないといった状態が考えられます。

精神内界の問題は、自己否定的な考えや自罰感や自責感、自分の能力に対する不信や失望、自己嫌悪などの形をとって現実化してきます。

多くのうつ病者では、『外部環境の問題』と『精神内界の問題』が相互に複雑に絡み合い、自己への嫌悪感と他者との疎外感が高まって、絶望感や憂うつ感を増悪させています。
認知理論に基づくうつ病理解では、それらの認知に関する諸問題を包括して、うつ病の認知の三徴候(cognitive triad)『自己に対する否定的な認知・世界に対する否定的な認知・将来に対する否定的な認知』と定義しています。

*1:alexithymia:シフネオスが定義した概念で、自分の感情を自覚して認識することが出来ず、その感情を言葉として表現することが困難な症状を意味する。心身症領域に特有の感情隠蔽傾向で、無自覚なうちに心理的ストレスを蓄積して、消化器性疾患(胃潰瘍・十二指腸潰瘍)や本態性高血圧、冠動脈疾患、頭痛などを発症する。身体症状は認めても、精神症状はかたくなに認めようとしない事が特徴である。