批判・反論と罵倒・中傷の違い

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批判・反論と罵倒・中傷の違いを理解できずに、時々、激しい罵りあいになったり、議論が打ち切られたり、お互いに不快感を味わったりする。
批判・反論というのは、相手の書いている文章の文脈や内容に沿って『相手とは異なる主張』を『様々な根拠をもとに』行うものだ。
その根拠が客観的でなく主観的であると、説得性や正当性が弱いと大多数の人に評価されるし、相手の書いていない事柄に対して反論や批判をしても『論点がずれている』と指摘されて相手にされないだけであろう。

また、初対面の相手に対して反論をする場合には、それなりの言葉遣いや露悪的ではない態度を考えなければならない。
いきなり、初対面の相手から、横柄な態度で説教のような語り口で異論を述べられれば気分を害してしまって、意見そのものの真偽をそっちのけに人間性への嫌悪感や怒りをもとにした感情的な言い争いに発展しまう可能性があるし、反論する側も本当に建設的な議論を望んでいるのならば、不必要に権威的であったり、相手を劣等視して軽侮するような無礼で粗野な言動を取るべきではないだろう。

公共の空間でなされる反論は、なるべく客観的で論理的であることが求められるし、相手の書いていない事柄に対して非難しないことが最低限のマナーとして求められると思う。
反対に、曲りなりにも公共のインターネットの空間で文章を公開して、『コメントやトラックバックを受け付ける設定をしている』ならば、ある程度の異論や反論を受け付けて、それに適切な反応を返す精神的な器量の広さや鷹揚さを持って欲しい。また、自分とは異なる考え方や判断をする人の意見を、自分なりに吟味して判断し、反応する文書を考えることは、時間さえあれば、割りに楽しいものだ。

また、個人運営のサイト上での議論や異論を含む対話の際に問題になるのは、適切な文脈に従った批判・反論・異論を一切許さずに、『私の意見に反対する人は、誹謗中傷に該当するので立ち入り禁止』とする自己愛的な偏狭さだと思う。しかし、この場合でも、特別に社会的に有害な影響などがない他愛ない意見に対する反論の場合であれば、いったん相手から議論を拒否されれば反論しないのも一つの作法であると考えることは出来る。

時々、議論する必要のない個人的な趣味嗜好を過激な言葉で否定して批判しているケースなどがあるが、こういう原理的に結論のでない『個人的な好き嫌いの別』に関する議論はできるだけふっかけない方が良いと思う。
例えば、『私は芸能人の○○が好きです。』『彼氏がこうこうこういう性格で冷たいんだけど、私は好きな気持ちを抑えることが出来ないのです。この間、一生懸命バイトしたお金でブランドものの洋服をプレゼントしちゃった。』とかいう個人的な感情や選好(好き嫌い)に関する日記や意見に反論や批判をするというのは、広義の嫌がらせの部類に属するとも言えるでしょう。

議論するに値する社会的な問題や政治経済についての意見、倫理的判断に関する事柄、学問的営為や研究についての言説などを題材にして自由闊達な批判や反論するのは好ましい。
ただ、本人が反論の応酬を好まない場合に、客観的な議論にふさわしくないテーマ、論理的な根拠を提示できない個人的な趣味嗜好についての議論をすること、不毛であり、お互いに喧嘩別れの形になることが多いですから、実に非建設的です。
そもそも、議論そのものは、相手が異論や反論をしっかりと理解してくれて、それを一時的に受け入れながら適切な反対意見を述べるという作業をしてくれなければ成り立ちません。

議論するに足る相手と、人格的な中傷や暴言を控えて、じっくりとテーマに沿って有意義な議論を行うというのが一番でしょうね。その中で、参考になる意見を聞けたり、新たな知識や事項を知る事が出来たり、批判や反論から自分とは違った面白いモノの見方や考え方を発見する事も出来るでしょう。
初めから議論を放棄している相手に、一方的に攻撃的な批判を為すのはやはり嫌がらせや罵倒に堕しやすいし、第一、聞く耳を持たない相手と話していて面白くないと思いますし。