警察庁長官射撃事件の解明困難に

毎日新聞―今日の話題
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20040729k0000m040132000c.html

新聞で見るまでもなく、今日のテレビニュースのトップはこの事件が多かったですね。
オウム真理教元信者ら4人が国松孝次・元警察庁長官を射撃したとして殺人未遂罪の容疑で逮捕されていたけど、処分保留で釈放されたようだ。
実行役とされている人物の証言が二転三転して、実行役の特定が出来なかったことと、本人の曖昧な証言以外に確実な証拠や証言がないことが理由で、共犯関係もまるで立証することができない、つまりは立件の材料不足のままに勇み足で逮捕して後で絞り上げようとしたところが逆に裏目に出てしまった観がある。

警察のトップが射撃されるという前代未聞の事件で、カルト教団オウム(現アーレフ)の関与が強く疑われていたが、この釈放をもって全面的な真相解明は非常に困難になり、迷宮入りの様相を呈してきている。
日本の治安悪化は検挙率の低さに顕著に現れてきているが、その中でも治安維持に直接の責任を負う警察機関の長が撃たれて犯人を検挙できないという事は治安への不安を増大させる。

95年3月に起きた日本史上初の本格的なテロ犯罪である地下鉄サリン事件は、オウム真理教という狂信的な新興宗教によって行われた。
地下鉄サリン事件の実行犯の豊田亨被告(36)、広瀬健一被告(40)、杉本繁郎被告(45)には『死刑という厳しい判決』が言い渡された。

豊田は、東大大学院で素粒子理論を研究し、広瀬は早稲田大大学院で応用物理を研究していた。世間一般的にはエリートと呼ばれる肌合いの人物であるが、カルト教団の稚拙な倫理的に誤った教義を読み解けなかった。
あるいは、自らの肥大した特権意識や優越欲求を実際の社会では十分に満たせない為に、宗教という『超越的観念』を世俗的価値の上位におき、自らを脱世俗的な特権階級とみなして社会を支配できると妄信してしまったのか。
反社会的な欲望を過剰に煽り、宗教における信仰を世俗における生活や関係よりも優れていると説く教団には欺瞞や狂信が多くみられる。

今、急速に日本社会から『聖性』が喪失されて、物質と金銭の獲得に執着する『俗性』が支配的になっているからこそ、オウムのような危険な集団が生まれる素地があるのかもしれない。
喪失され解体された『聖性』を僕たちは何処に探し求めるべきなのか、熟考を要する大きな課題である。