ウィトゲンシュタインと哲学的問題
ウィトゲンシュタインに至る言語哲学あるいは論理学、分析哲学の流れは、フレーゲに始まり、ラッセルに継承されたと言われる。
哲学の世界は、単なる偶然と覚えやすさの為なのか、何らかの必然的な弁証法的連関の為なのか、『3人の哲学者の組』がよく現れる。
古代ギリシア哲学の『ソクラテス・プラトン・アリストテレス』、イギリス経験主義の『ロック・バークリー・ヒューム』、そして、大陸合理主義の『デカルト・スピノザ・ライプニッツ』、経験主義と合理主義を統合しようとしたカントの思想を経て、ドイツ観念論の『フィヒテ、シェリング、ヘーゲル』へと至る。
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は、言語論的転回を起こしたなどとよく評価されるが、それ以前にもフレーゲの『算術の基礎』だとか、ラッセルの記述理論による『表示について』なども言語論的転回に順ずるものとして認知されていたらしい。
それにしても、言語論的転回というのは、それが一体何を指し示すのか極めて曖昧で漠然としている。
言語論的転回を簡明に考えると、それは『哲学的問題の発生と意義というものに、言語の規則や構造が深く関わっている』ことを明らかにしたという事にある。
それまでは、世界や自然や人間といった直接の存在や物質に謎や神秘即ち哲学的命題が潜んでいると考えられていたのだが、ウィトゲンシュタインはそれに毅然としてNOを突きつけたのだ。『哲学の難問とは、言語の問題である』という姿勢を表明したのである。
ウィトゲンシュタインは、それについて『論理哲学論考・序文』で『我々の言語の論理を誤解することから哲学的問題は発生する』と述べています。
つまり、私は何であるかとか人間はどのように生きるべきなのかとか普遍的な実在はあるのか、認識と存在の関係とかそういった哲学上の古典的でありアポリア(難問)である問題の解決のためには、言語に係わる問題の考察を経由しなければ絶対に解けないとしたのである。