天才軍師カルタゴのハンニバル

世界史上有数の激烈な白兵戦として知られる『カンネの会戦』は、天才的な軍略家ハンニバル共和制ローマの執政官軍団との間で紀元前216年に行われた。

久々に塩野七生の『ローマ人の物語』のⅡ巻を手に取ってみた。実を言えば、私は塩野七生に出会うまでは、ローマ人というのがどのような個性を持つ民族であり、大ローマ帝国というのがどれだけ生命力と創造力に満ちた素晴らしい帝国なのかという事を殆ど知らなかった。
受験世界史の知識では、堪能する事の出来ない芳醇で濃厚なローマの歴史、ローマの英雄、ローマと戦火を交えた諸民族諸国家を塩野七生で味わうのは私にとってはくつろぎの時間だ。

ローマ史を繰っていて色々と魅力的な英傑や賢者に出くわすことがあるのだが、賢人皇マルクス・アウレリウスや哲学者セネカなどと並んで私は執政官のスキピオや敵国だったカルタゴハンニバルの勇猛果敢さや軍事の才覚に憧憬と敬意を覚える。何より、ハンニバルは自分自身が率先して危険な戦地に赴き、生命を賭けて難関を突破する英雄であり、机上の軍師であるだけなく、戦場の英雄である。
ギリシア人のホメロス、ポリビウス、ローマ人のリヴィウス、近代イギリスのギボンなど歴史の書き手によってもローマの歴史の味わいの微妙な違いを感じる事が出来るという意味でも、ローマ時代というのは懐が低く、全てを見渡すのは難しい。

平時のローマ軍は、一個軍団が、歩兵4200、騎兵300のローマ市民兵で構成される。それにローマ連合の諸同盟国からの兵士が加わる。ローマには、二人の執政官がいて、一人が二個軍団を率いる。
ローマ軍全体は、執政官二人、四個軍団で約38,000前後となる。
厳しく困難な戦況が予想される場合には、状況に応じて増強され、総計戦力は54,000程度になったという。

ハンニバルは、カンネの会戦以前にも一方的にローマ軍を打ち破って殲滅していたので、ローマはカンネの会戦には万全を期す為、一個軍団を更に強力に増強して迎え撃つことにした。

  • ローマ市民兵
    • 歩兵40,000人
    • 騎兵2,400人
      • 計42,400人
  • 同盟国兵
    • 歩兵40,000人
    • 騎兵4,800人
      • 計44,800人
  • 総計87,200人

ローマの軍隊は歴史的に騎兵が少なく、ハンニバルの軍勢はヌミディア人というアフリカの部族の強力な騎兵が多くいた。

その87,200人のローマの大軍勢に対するハンニバルの軍勢は、

  • ガリア傭兵(ローマ北方にいる勇猛で野蛮な民族で短期的な攻撃力はあるが、持久戦に弱い。ハンニバル精鋭を守る楯として利用された)
    • 歩兵20,000人
    • 騎兵4,000人
      • 計24,000人
  • 総計50,000人


ローマ軍団とハンニバル軍の最大の違いは『騎兵の比率』であった。ハンニバルには勇敢で強力な戦闘力を誇るヌミディア騎兵がいたのである。
ローマの執政官は、エミリウスとヴァッロでどちらも40歳以上であり、ハンニバルは29歳でスペインを出立してから二年を経過して31歳になっていた。
いずれにしても、紀元前216年のローマは、当時もてる全ての戦力をハンニバル戦に投入したことになる。

ハンニバルは、騎兵の戦力を最大限に発揮できる平原プーリア地方での会戦を望んでいた。それに対して、敵の約二倍の歩兵戦力を持つローマも平原戦に応じる構えであった。ハンニバルに連敗していたローマとはいえ、ローマの重装歩兵は当時他の追随を許さない強靭さを誇っていたからでもある。

ハンニバルは、5万の軍勢を食べさせる為に、食糧貯蔵用の基地カンネを攻略して拠点を構える。周辺諸国は全てローマの同盟国か友好国である為に、よそ者のカルタゴに食糧支援をしてくれる国はなかったので攻略して略奪するしか方法がなかったのである。

戦争の初期は、2000人前後の小規模な舞台がぶつかり合う小競り合いだったが、次第にローマが勝利することが増えて、優勢になっていった。
しかし、これはハンニバルの狡猾な戦略であり、ビリヤードやトランプで熟練のディーラーがカモに使う見せ掛けの敗北のようなものに過ぎなかった。
31歳年若き名軍師は、ローマの執政官たちが、自分の計略にはまることを極度に恐れていることに勘付いていた。
ローマを会戦に誘い出すには、彼らのその警戒心を解く必要があり、その為には、一時的に戦争の主導権をローマに手渡し慢心させ、自信を持たせる必要があったのだ。

その時点で、カンネの会戦の勝利の女神ハンニバルに微笑みを投げかけようとしていたのだ。