孔子の言葉にちょっと触れて

昨日、中国美術に象徴的に見られる美意識に『世俗からの離脱による隠棲』を上げたが、今日、見ていた孔子の言葉についての記述に、『知者楽水・仁者楽山』というものがあった。
古代の聖人君子も、清らかな綺麗な水が流れる土地を求め、人里離れた静謐な深山幽谷を楽しんだのだろうか。

精神的な余裕や豊かさの大切さが、以前から言われて久しいが、文明から享受する膨大な情報による知的興奮や科学技術がもたらした利便性・快適性を切り捨てなければ深山幽谷の精妙なる静寂の境地は味わえないのかもしれない。

悠々自適の境地は、老人の行き着く先の弛緩した時間の束などではなく、主体的に生きる事を決意した人間の『自分と自分の愛する人の為に使う時間の拡大作戦』の目的とする境地、自然の神秘と人間の叡智に感動して熄まない生命力の自覚と思いたい。