エピステーメーとドクサ

古代ギリシアアテナイに建てられたプラトンの学校『アカデメイア』は、近代の大学教育機関、高等教育機関の起源と言われている。アカデメイアは、約900年間も残存して、西洋的学知の基盤を形成すると共に初期には多くの英才を世界に輩出した。

アカデメイアで教えられていた学問は勿論、哲学フィロソフィーである。それも現代の様に細分化した哲学ではなく、純粋に真理への到達を目指す『知への愛と希求』に基づくフィロソフィーであった。
アカデメイアでは、客観的で普遍的な知こそが真理への道につながると考えられていて、そういった普遍的な知に至る方法として数学、殊に幾何学が重要視されていた。
プラトンの著作『国家』でも、学問における数学の重要性が強調されていて、30歳くらいまでは基礎的な算術、平面幾何学天文学などを中心に徹底的に論理性と数学的センスを磨くカリキュラムが組まれていたようだ。

数学を徹底して修得することで冷徹な論理力と思考の筋道を練磨しようとしたらしく、その基礎を持って政治学や雄弁術、哲学的思索に望まなければ厳密な客観的な知であるエピステーメーには行き着けないというのがプラトンの考えであったらしい。

エピステーメーの知とは、現代風に言い換えると客観性の高い科学知というのに近いだろう。
古代ギリシア風にいうと、対象の本質や根本を理解し把握する為の知がエピステーメーである。
数学の知識体系の始祖としてピタゴラスの定理などで知られるピタゴラスは、哲学者としての態度を『観照者としての態度』であると言っている。

ピタゴラスの祭祀をもとにした寓話では、人間には3種類のタイプがあるといい、まず、名誉や賞讃を求めてやってくる競技者、次に利益や金銭をもとめてやってくる商人、そして、最後にそれらを観察するためにやってくる知を愛する者である。
最後の、直接的には祭祀に関わらずに、祭祀に参加している人たちを怜悧な視線で俯瞰的に観察して本質を洞察し、詳細を分析する者こそ哲学者であり、真理の観照者である。

数学を基盤にして教育を進めたプラトンアカデメイアとは別に、プラトンよりも早い時期に学園を設立し、言語学や弁論術を基盤に実践的な教育を振興した人物にイソクラテスという人がいる。
ソクラテスは、言語の規則や適切な使用法、ディベート力を鍛錬し克己することで、ソクラテスのような知徳一致の境涯『より善く生きる』を理想としたらしい。
知徳合一・知徳一致とは、賢明な思慮あるいは明晰な思考を持つ人ならば、より善い実践ができて、より正しい生き方が出来るという思想のことである。

ソクラテスは、言論の技法の修得を通してより素晴らしく語ることで、より素晴らしく生きることも目指したといえる。
また、イソクラテスは科学知に似た厳密で客観的なエピステーメーではなく、有効で適切な判断、時機を捉えた見識としてのドクサを得ることを推奨した。
ドクサは、現代では固定観念や先入見といったあまりよい意味でない形で使われるが、古代では実践的で有効な知や判断について述べる言葉だったようだ。