確定記述への愛=エロス的恋愛。固有名への愛=アガペーの愛。


確定記述と固有名という用語を聞くと、自然にラッセルだとかフレーゲだとかの言語哲学者の名が浮かびます。
誰かが言っていましたが、ある対象の性質や特徴を表す確定記述の束を全て集めれば固有名になるのかといえば必ずしもそうではないですね。僕たちがある他者の性質や特徴を漏れなく記述したと思い込んでいてもそれは飽くまで主観的なものであり、可変的で刹那的なものでもあるでしょう。
しかし、junp_mさんがおっしゃるように、純粋なる固有名そのものには内実も意味もありません。それは空虚であり空無であり、ある他者を指し示す記号だけの存在、行き着くところ、固有名への愛は記号への飽くなき執着のようなものになってしまう。

それは、最早一般的な意味での恋愛感情や恋愛の喜びや悲しみとは別次元のものともいえ、エロス的な情熱や興奮とは無関係なものとなりそうですね。
故に、ナンパのようなエロス的な出会いの場においては、固有名で相手を愛する可能性は閉ざされていると感じる。いや、付き合い始めの時点、交際を始めるきっかけとなる感情の揺れの段階では、誰であっても固有名で愛してはいないのではないかとも思えます。
よく恋人同士に『相手の何処が好きか?』という質問が為されますが、一定の割合で必ず『相手の全てが好き』という答えが返ってきますが、これは思いつく限りの確定記述の束を意味していることが一般的で固有名そのものへの愛の段階に達している人は、ある程度長い年月の交際期間あるいは結婚期間を経たカップルなのではないでしょうか。

さきほど、固有名への愛は記号への飽くなき執着といいましたが、生活に密着した話し言葉でいうと、『年月によって醸成された信頼に基づく情緒的なこだわり』といったものかもしれません。その背後にはその相手と過ごし共有した『過去の記憶』があり、『反復された愛情確認』があるとも言えます。
その為に、『確定記述への愛・確定記述への魅力』を感じて、『彼女は可愛いから好きだ・彼女は聡明で話題が豊富だから好きだ』という認識をしていると仮定して、彼女以上に魅力的な属性を持つ女性が現れたとしても、彼女を好きな気持ちを覆す事が出来ないという風に僕は考えました。
そこには、二人だけしか知りえない共有された過去の時間と記憶があり、どれだけ魅力的な確定記述を持つ女性が現れても『その時点から関係を結ぶしかないという時間的な差』があるために二人の関係に割り込んで略奪愛を達成することには困難が伴うのです。

反対に、『共有された過去・記憶』や『情緒的な結びつきの期間』『反復された愛情確認』と無関係の『固有名への愛』は、対象が誰であっても構わないという奉仕や献身の精神に根ざした無償のアガペー的な愛になるのではないでしょうか。
しかし、凡人である僕をはじめ大勢の煩悩を抱える人々にはアガペー的な愛はそれほど魅力的なものではなく、恋愛特有の快感や興奮、陶酔感を得ることは敵わないということになります。