世界経済へ権力を振るうIMF(国際通貨基金)

世界経済システムを自由自在に取り扱う絶大な権限を与えられている国際機関と言えばIMF国際通貨基金)と世界銀行である。
自由自在といってもIMF世界銀行の職員は、経済の動向を予測できる神ではないので結果としての成功が保証されているわけでもないし、開発途上国の発展や安定に寄与する経済介入が出来ているわけでもない。
南米やアジアの通貨危機を知っていて、スティグリッツIMFへの非難に目を通した人であれば、IMFがタイ、インドネシア、韓国などアジアの国々にとった経済政策がどのような悲惨な結果をもたらしたかを知っているだろう。あやうく全世界に波及しかねない恐慌を起こしかけたといっても過言ではない。

その経済危機の経験を経て、世界の国々はIMF世界銀行に対する不信を強めている。融通の効かない市場原理主義的経済調整政策に対してNOというマレーシアのような国々が増えている。世界の国々の経済情勢を安定させるという大義名分を持つIMFが実際には、世界情勢を不安定にさせ政治状況を緊張させてしまったことはあまりに皮肉である。

欠陥だらけの経済改革を押し付けられた開発途上の国々では、多数の人々が破滅的な状況に追い込まれ、その上、債務危機がいまだかつてないほど深刻になっているという現実を考えるとき、先進国に住む私達はいったいどう行動すべきなのか。また、日本経済の低迷からくる停滞や閉塞を打破する決定的な策もなかなか見つからない状況であることも考慮しなければならない。
更に、雇用システムの変化で中流階級の崩壊が進んでいて平均的な豊かさがなくなっている状況でもある。これをどう改善していけるのか、あるいは改善する必要がないのかすらもはっきりしない中でどのような経済援助や経済調整を行っていくべきなのかは難しい問題です。

IMFの途上国の経済調整政策の大失策は、中国を含む東アジアの急速な経済発展を経た後に起こった1997年のタイの不況への介入から始まったとされる。1990年前半まで、東アジア・東南アジアの経済はカンボジアなど一部の地域を除いて順調に経済を発展させ、所得は劇的に増大し、自力で生活不能貧困層の割合を減少させ、公衆衛生環境の改善で伝染病の発生も減っていた。
特に途上国の教育水準の向上には目覚しいものがあり、国際的な数学理科の試験では、殆どの先進国よりも高い成績を上げていて、子ども達の学習モチベーションも物凄く高いし、夢や目的を持った勉強をしている。

1990年前半に起きた最大の出来事は、アメリカによる圧力で、東アジア全体の金融市場と資本市場が自由化されたことだった。自由化されたタイの金融市場には膨大な量の資本が流入し、そして今度は逆に一斉に資金の引き上げが始まった。何故、一度流れたタイの外国資本が一斉に引き上げたのかといえば、それがインフラ投資や工場建設といった長期的視点にたった投資ではなく、短期的な大きなリターンを期待する短期投資だったからだと予測できる。
そういったタイの金融危機に対して、IMFが指導した経済政策は、南米の経済危機に対する処方箋と同じ財政支出を減らす財政規律の引き締めと収縮的な金融政策であった。これは、反ケインズ的な政策という意味でもある。

しかし、IMFが経済指導したタイの財政は既に黒字で余裕があったし、教育設備や公共投資で社会インフラを充実させよという需要もあった。
スティグリッツも言っているように、こういった状況での緊縮財政や高金利の金融政策は、あまり好ましい結果を生まず不景気の原因となり企業の倒産や恐慌といった最悪のシナリオを描く場合がある。
IMFを運営する上層部が厳しい引き締め型の経済調整政策を命令していたらしいが、IMFで実際の実務にあたっている職員たちは自分たちの政策で東アジアが不況に陥ればそこから方針転換すればいいと考えていたようだ。
ここでも、スティグリッツはこの判断が金融政策の基礎の基礎が分かっていない愚かな判断だと批判している。金融政策で金利を上げたり下げたりしても、その効果が実際の市場に現れるまでにはかなりの時間がかかり、その期間は平均して12〜18ヶ月かかるので、本当に危険な経済状況になって方針転換しても間に合わないということなのだ。

また、IMFは表向きは途上国の民主主義的な意思決定のプロセスを重視することになっているが、実態は経済援助の裁量権を握っていてそれをネタに自らの経済介入政策を実質上途上国に押し付けている。こういったIMFの強引さ傲慢さを批判する内容の書籍も多くでているようなので、IMFに興味がある人は読んでみるのもいいかもしれない。
IMFの中には、ある種の白人優位主義的なものがあるらしい。それは、開発途上国を自分たち先進国よりも劣った国家だと見る価値観を持っている人がいて、途上国のエコノミストは無知で経済政策を考案する能力がないので優秀な自分たちIMF職員が代わって政策を立案してあげているといった感覚につながってくる。

しかし、優秀で頭脳明晰なIMFと劣等で頭の回転が鈍い途上国の経済学者(経済指導者)という図式は実際には正反対らしい。
つまり、東南アジアや中国、アフリカ諸国といった途上国(中国は現在では途上国の範疇には入らないが)一般的に欧米よりも水準が劣ると認識されている)の経済指導者たちの殆どは、IMF職員よりも高い教育水準にあり頭の回転も驚異的に早い。何故なら、途上国の高学歴者で政府の政策に関与するような学者は、国家を代表するような極限られた本当の知的エリートだからだ。

オックスフォード、MIT(マサチューセッツ工科大学)、スタンフォード、イェール、プリンストンという世界的に名を馳せる大学で教職にあったスティグリッツは、皮肉めいた調子で、IMFがそれらの大学の最高クラスの知性を持つ生徒を獲得したことがないといい、IMFには経済学のトップクラスの頭脳は全くいないと断言できるとしている。

何も知らない一般人からするとIMFというたいそうな国際的機関には世界から最高クラスの優秀な人材が集積しているといった感じがするのだが、実際はそうでもないという事なのだろうか。
しかし、IMFを徹底的に非難するスティグリッツも、世界銀行の主任エコノミストを勤めていたこともあるのだが。

ちなみに、ロシアの市場経済以降による経済的混迷によって貧困層が爆発的に増加して貧富の格差が絶望的にまで拡大したが、それもIMFの強引な市場経済化政策が大きく影響していることを考えると、世界の経済調整を目的とするIMFなる組織はある意味で不幸の種子を蒔いているようでもある。
革新的な構造改革・意識転換が必要なのはIMFなのかもしれないですね。