少数民族同化の日本の歴史と歴史教育の理想的な在り方


id:cosmo_sophy:20041030の記事に、Tさんからのコメントがあったので、それへの返事を書いたついでにそれに関連した『歴史教育の理想的な在り方』について小文を書きましたので、今日の日記に書き残しておきます。
興味を惹かれた方は、10月30日のコメント欄の文章から続けて読んで頂けると、文章の内容が理解しやすいと思います。
学生時代は無類の歴史好きだったのですが、最近はあまり歴史に関する専門書や教養書を読んでないなあ・・・。



現在に至るまでの日本の歴史の中で、独自の文化や言語を持ち、固有の生活習慣と民族意識を持つ少数民族や部族が数多く討伐されたり侵略されたりした歴史はあるでしょうし、日本国の標準的文化や言語に嫌々ながら同化してきた異民族もあるとは思います。
幸いと言うか何というか、結果的には日本の文化的均質性と言語的標準化は、世界でも類を見ないほどに進んでいて、自己アイデンティティとして『日本人』であることに違和感を抱く人が相当に少ない為に内部分裂がないですね。これは私達の生活の安全と安定の為には良いことではあります。

その国民アイデンティティを捨てて、過去の消滅した祖先の民族アイデンティティに回帰すべく内乱を起こす勢力などが諸外国には見られることもあり、それが宗教や差別的政策などと絡み合うと複雑な増悪や反発を生んで果てしなき独立闘争になって血が流れることが少なくありません。
私が、日本の民族性というか日本に住む人の気質的情緒的特性して共通する点としていつも朧気に感じるのが、『過去への執着の弱さ』なんですよね。

アジア諸国やヨーロッパの国々と比較して、日本人ほど過去の歴史を簡単に切り捨てられる民族はそうそういないのではないかと思い、特に怨恨や復讐の感情を世代を超えて持ち越すことが日本人には極めて少ないところに興味を惹かれます。
日本人で、アメリカの戦争被害に対して復讐感情を持っている人がいないという事は、戦後の教育内容や歴史の伝承の仕方にもあるのでしょうが、諸外国で仮に原爆投下をされた国があったらこうも簡単に怨恨感情を忘却することはないように思えるのです。
私はそういった日本人の過去や歴史を過剰に背負わない在り方というナショナリスト保守主義者から非難される部分が、『過去の過ちを繰り返す愚かさ』の危険性につながるかもしれないが、一方で『復讐の連鎖に陥らない平和主義的な気性』につながる可能性があるんじゃないかと思う事もあるのです。

私が最も理想的だと思える歴史教育というのは、一言でいえば、理性を失わない健全な愛国心を培う歴史認識につながる教育なのです。同時に、現在の国際関係を正確に把握する為の客観的な歴史理解を進める教育、つまり、未来の私達が諸外国と過去の歴史を踏まえてどのようにして建設的で友好的な関係を構築していけばいいのかの指針が得られるような教育です。
自国中心主義で排他的な自尊心を肥大させるだけの歴史観や現実認識を狂わせるような特定のイデオロギーに依拠した歴史教育は行われるべきではないし、これからの世界は切迫した環境破壊問題や非対称な紛争問題を抱えており、自国のみの利益や繁栄や誇りを追求するだけでは世界的に共倒れの危険もあります。

『怨恨感情の世代間の連鎖』を目的にした国威発揚的な歴史教育を行う愚は避けたいし、現在、そういった歴史教育を行っている国家には是非、21世紀型のグローバルな視野に立った開明的な歴史認識を新たにして欲しいものです。

日本の国号と天皇の呼称の起源は、天智天皇天武天皇持統天皇といった面々が躍動し策動する飛鳥時代にあるのでしょうが、あの近辺の歴史は学説も諸説紛々としており複雑ですね。
惜しくも亡くなった網野善彦氏の新しい日本史解釈なんかも面白いので、また時間があれば読み返したいなと思います。

『民族』というのは、自然発生するものと思われがちですが、その起源を遡っていくと、その地方で有力な政治権力が文化の均質性や民族の単一起源説を強引に正史などを編纂しながら軍事侵略と並行して人工的に創作していくという向きがないわけではありません。
人種や国民の概念や分類よりも、民族の分類のほうがかなり複雑で難解ですね。