対談集『国家と戦争』を読んでの雑感

数年前に入手して積読していた座談集『国家と戦争』 飛鳥新社(ISBN:4870313715)を読んだ。

漫画家・小林よしのり、評論家・西部邁、作家・福田和也政治学者・佐伯啓思の対談集である。
どの方も相当に癖のある人物として知られていて、好きな人は好き、嫌いな人は嫌いという風に印象評価が両極に分かれる面子だろう。

私自身は、小林よしのりの『戦争論』や『ゴーマニズム宣言』も真剣に読解したことがないし、日本史を趣味的に探索することは好きだが、小林がアジテートするような愛国心喚起や右翼的言説へのシンパシーは殆どない。
西部邁の、エドマンド・バークの焼き直しのような保守主義思想や大衆軽視の高踏的な姿勢から論じる道徳論や伝統回帰にはやや違和感を感じるが、彼の著作の中から読み取れる知識で面白いと思えるものがたまにある程度であろうか。
福田和也の著作は、保田與重郎に関するものや新書を数冊読んだ程度で語るべき事は特に無いが、ぺダンティックで華美な表現を好む傾向があり、それが好きな人ははまるかもしれない。書かれている内容で、教養として役立つものは結構あるという印象がある。
佐伯啓思の著作は、斜め読み程度しかしたことがないので、取り立てて言うべき感想もない。

まぁ、こういった対談は気楽に面白おかしく読めばいいのですが、小林氏をはじめとする『新しい教科書をつくる会』系統の書籍は、伝統回帰と愛国心の政治イデオロギーが強く、思想的な偏向がある場合が多いので、(自分自身が保守主義者や真性の愛国者であると自認している人以外は)批判的に読むべきところは批判的に読む必要があるかもしれません。

第Ⅰ章は『戦争と歴史』と銘打たれているが、主に小林氏の『戦争論』に対する反論・批判を元にした対話である。その著作の中で為された大東亜戦争(太平洋戦争)肯定論と南京虐殺事件の謝罪不要論などを中心に国粋的な雰囲気の会話が為され、戦争のリアリズムと日本人の美意識、公共心の大切さを説く話が織り込まれる。
利己心を捨てた愛国心を神風特攻隊を例に出す形で称揚し、白人列強諸国の侵略戦争に抵抗する為のアジア解放戦争としての側面を強調する太平洋戦争観にはかなり偏りが見られる。
戦後民主主義を徹底的に批判して、それらを無価値化した左翼的言説として排除し、『公』なき『個』によって成り立っている現代の個人主義自由主義が『誇りなき国家や民族』を生み出し、世代間の断絶と伝統文化や歴史の頽落につながっていくという論調である。

彼らが強調してやまないのは、日本民族としての『一体性』や日本国の文化と歴史の『継続性』の尊重であり、それらによって支えられるべき公的領域の私的領域への優越である。
私は『個』の犠牲を強制する権力としての国家=『公』には相当程度の警戒が必要であると考えているし、民族・文化と伝統・歴史を背負った自由主義者であることが不可能であるとも思わない。

戦後民主主義マルキシズム・左翼思想の反動としての国粋主義国家主義といったイデオロギー的扇動の趣が強い右翼的な保守回帰にはあまり魅力を感じないのだが、自国の伝統文化を継続したいと願ったり、自国の歴史や風俗に魅力を感じたり、それらに敬意を払うという意味での保守主義にはそれほど反対ではない。
Ⅰ章で繰り返し出てくるキータームに『加害者の誇り』というものがあり、その言葉は、欧米列強の白人たちが歴史的に世界各地に侵略戦争を仕掛けて、原住民を殺戮しながらも自分たちを卑下したり過去を後悔することもないといった事柄になぞらえて語られるのだが、どうしても加害者の誇りという言葉の響きにある種の臆面の無さを感じてしまった。
取り返しのつかない過去に過剰に拘泥して罪悪感に苛まれるのも賢明なことではないと思うが、わざわざ被害者たちの感情や尊厳を踏みにじる『加害者の誇り』を強調する必然性はないだろうし、やはり白人の未開民族に対する歴史的な戦争と同じアジア人同士の戦争とはその意味合いや捉えられ方も異なるように思える。

自国や自文化に敬意を抱き愛するという事と都合の悪い歴史をドイツのリヴィジョニストのように書き換えたり、他国を蔑視したり差別する事は異なるという前提は忘れないでおきたい。別段、自虐的な歴史観に打ちひしがれる必要はなく、当事者世代ではない戦後世代の人間がアジア各国に対する過度な罪悪感を持つ必要もないとは思うが、そうだからといって過去の歴史を強硬的な姿勢で無理矢理『清廉潔白な正義』の名の下に置いて、アジアの解放者であることを強調する必要もないように思える。確かに見方を変えれば、結果として有色人種の植民地解放運動を鼓舞するような影響を与えた側面は評価できるとは思うが、それを認めたくない他国や他民族にそれを強いることは出来ない。

極端な価値判断を含む審判的歴史観を植えつけるのではなく、出来るだけ客観的な歴史認識を得られるような学習環境を子ども達に用意することこそが大切なのではないだろうか。価値判断や歴史評価というものは、画一的なものに断定することは原理的に不可能である以上は、それぞれの個人がテキストや史料の真摯な読解を通して深めていく以外にはないように思える。勿論、完全に捏造された歴史観や完全に間違った情報に基づく他国批判などに対しては適切な修正や批判を加えていく必要があるだろうし、自国が不当に攻撃されたり侮辱された場合にはそれに対する反論や批判を精緻な検証に基づいて行っていかなければならない。
愛国心や公共心は教育や法律によって強制的に規定するものでもなく、生活経験や歴史学習、文化的習熟の中で自然に芽生えるものではないだろうか。
過去の轍を繰り返さない形でのラディカルな排他性の熱狂に犯されない健全な愛国心というものについて思いを巡らせるべきだ。


何だか、批判的な意見が多くなりましたが、私が思想的・感覚的に受け容れがたいなと思う場面が多かったのは主に戦争論に関するⅠ章が中心で、Ⅱ章『国家と人間』、Ⅲ章『市民と天皇』などは色々と興味深い話題も多く結構楽しく読めました。
いつか、時間があれば、面白く感じた部分を抜粋して意見などを書いてみたいと思います。
読むのは簡単ですが、抜書きするのは手打ちだと大変だし、興味関心のベクトルが今はあまり政治イデオロギー的な方向にないのでいつになるかは分かりません・・・。