第20回京都賞開催に際して雑感・ハーバーマスの受賞


京セラの創設者・稲盛和夫が理事長を務める稲盛財団は、人類の文明・科学の進歩発展及び精神的な深化探求に貢献した学者・研究者に『京都賞』という国際的評価も高い学術賞を贈呈しているのだが、その歴代の受賞者の顔ぶれは壮観で優秀な研究者でありながらユニークな業績を残した人物が多い。

稲盛財団のHP
http://www.inamori-f.or.jp/hottopics/japanese/hottopics.html

今年で20回を迎える京都賞は、11月10日に既に授賞式が終わっているが、先端技術部門が「情報科学」の分野から、アラン・カーティス・ケイ博士 (アメリカ、64)、基礎科学部門が「生命科学分子生物学・細胞生物学・神経生物学)」の分野から、アルフレッド・ジョージ・クヌッドソンJr.博士 (アメリカ、82)、思想・芸術部門が「哲学・思想」の分野から、ユルゲン・ハーバマス教授 (ドイツ・75)が受賞したようだ。

京都賞は、ノーベル賞の様に現在リアルタイムで進行している先端的研究や画期的発見、政治的業績のみに授与されるわけではなく、過去を振り返って現在の自然科学や思想哲学、芸術などに顕著で革新的な貢献をした人物にも授与されるようだ。
京都賞は3部門あり、それぞれ『先端技術部門(エレクトロニクス・バイオテクノロジー及びメディカルテクノロジー・材料科学・情報科学)』『基礎科学部門(生物科学(進化・行動・生態・環境)・数理科学・地球科学及び宇宙科学・生命科学分子生物学・細胞生物学・神経生物学))』『思想芸術部門(音楽・美術(絵画・彫刻・工芸・建築)・映画演劇・哲学思想)』となっていて、毎年各部門の中の一つの分野が選ばれて受賞対象者が選定されている。

今回の受賞者の中で私が以前からよく知っていたのは、コミュニケーション行為論や市民の公共圏概念の変質などの概念提起と政治的な言論空間への積極的な参加で一時期哲学界に大きな影響を及ぼしたフランクフルト学派のユルゲン・ハーバーマスだけですが、ハーバーマスについてはまた現代思想を振り返りながら色々言及したいと思っています。
他の受賞者の受賞理由を見ると、


 ケイ博士は、計算機の大型化が主流であった1960年代後半、個人の知的作業を支援するための道具を創るという考えのもと、パーソナルコンピュータの概念を提案し、計算機のあり方にパラダイムシフトをもたらした。さらに、グラフィック・ユーザ・インターフェースやオブジェクト指向言語環境などの開発を先導し、今日のパーソナルコンピュータの実現に大きな貢献をした。  

 クヌッドソン博士は、癌の原因が明らかでなかった1970年代初頭に、小児癌の1つである網膜芽細胞腫の臨床的な観察を基に、統計的モデルを使って遺伝性の癌の発生機序を解析し、対立遺伝子の2回の変異が発癌に関わるという「2ヒット説」を提唱した。さらにこの現象の本質として、癌細胞の増殖を抑える癌抑制遺伝子の存在を予測し、その後の癌遺伝学研究の飛躍的発展に大きく貢献した。

 ハーバマス博士は、現代社会において理論(認識論)と実践(倫理学・社会哲学)とを共に射程に収め、コミュニケーションという行為や討議による合意形成について社会哲学としての論理構築を行い、ありうべき人間社会の姿を描き出してきた。卓越した理論家であるばかりでなく、社会的な実際問題に関しても自らの哲学を基軸に据えて積極的に発言し、社会に多大な影響を与えた。

私の学問感覚では、どの人物もなるほどと得心がいく受賞理由ではありますが、自然科学分野に深くコミットしてプラグマティックな価値志向を持っている人ですと、ハーバーマスの業績だけが実際的なコンピューターテクノロジーや人命を救う医療の基礎理論などに直結していない分見劣りがするかもしれませんが、哲学や思想に興味を持っている人で近代批判やポストモダニズムの対立軸としてのハーバーマス哲学に親近感を覚える人はハーバーマス京都賞受賞は嬉しいかもしれません。

フランクフルト学派は、マルクス主義の資本主義批判の断片的影響を受けつつ、近代社会を批判的な眼差し*1で見つめて、『機械的・合理的・効率的な近代民主主義社会・資本主義社会』のシステム*2の中で人間を不当に抑圧したり苦しめる機構や制度を改善する為に政策的コミットを積極的にしたグループで、従来の思弁的理論化や観念的思索のみに終始するドイツ哲学の伝統からは外れていると言えます。

ハーバーマスは、そのフランクフルト学派の中心的人物であり、彼以前のテオドール・アドルノ、ホルクハイマー、マルクーゼ、ベンヤミンノイマン精神分析のエーリッヒ・フロムなど著名どころが多い世代を『第一世代のフランクフルト学派』と呼び、彼の世代を『第二世代』と呼んだりします。ハーバーマス以後のフランクフルト学派もありますが、アクセル・ホネット、アレックス・デミロビッチなどは詳しく読んだ事がないのでどのような思想哲学を展開しているのか知りません。

まぁ、フランクフルト学派というとどうしても共産主義負の遺産的なマルクスの亡霊を意識してしまう事もあり、左翼*3嫌いの人は、ヘーゲル以降の左派の哲学を読まず嫌いで問答無用の敬遠をしてしまうことがあるかもしれませんが、政治思想や社会問題を真摯に考えたいと思うのであれば実に勿体無いと思います。

ハーバーマスの『公共性の構造転換』『コミュニケーション的行為の理論』なんかは政治哲学や社会哲学の分野における知的興奮や新たな考察や思考の起点に満ちているし、やたらと新たなテクニカルタームが多くて難解至極なジャック・デリダよりも気楽に楽しく読めると思います。
アメリ同時多発テロ『9.11』以降、テロリズムとの戦争や原理主義の台頭についても公共圏の概念や討議理論を駆使してハーバーマスは色々と実践的なテロル(恐怖)との向き合い方や近代主義の孕む啓蒙性とテロルの関係を考察しています。
つい先日死去したポストモダニストジャック・デリダハーバーマスは元々敵対的な思想的位置付けにありましたが、原理主義テロリズムの問題に関しては連帯的な著作『テロルの時代と哲学の使命』(ISBN:4000240099 C0010)を出しています。
現代思想を象徴的に代表する両者のコラボレートがこれで最後になったのは非常に残念です。

『現状の無条件な肯定』『衆愚政治的な民主主義の堕落』『ファシズムを招く盲目的なポピュリズム大衆迎合主義)』『国家の衰退や不況に応じて台頭する独裁的な英雄の待望論』といった状況が、現在の日本に当て嵌まりつつあるという僅かな危うい予兆を感じないこともないですが、私たちは絶えず公共圏におけるコミュニケーションを有意義なものとし、現実的な社会問題への意識を高めて政治的意志決定に間接的ではあってもコミットしていかなければならないのでしょう。

*1:ポストモダニズムの場合は、近代社会を否定的に捉えて、全ての近代的な価値観を無価値なものに解体しようとするばかりで現実的な実践や政策立案を放棄しますが、ヘーゲル左派の流れのマルクス主義精神分析の影響を色濃く受けるフランクフルト学派は社会哲学的考察によって近代社会を批判的に捉えながらも理論と実践を結びつけてより良い社会を構築する努力を怠るべきではないと考えます。特に、ハーバーマスは、近代化は未完の途上段階にあるとして、近代化で得た遺産全てが無価値なものなのではなく、それらをより実践的に改良していく必要があると考え、近代を全否定する事には懐疑的です。

*2:フランクフルト学派は、ハンナ・アーレントが主要な研究対象としたポピュリズム的民主主義体制の暴走によるファシズムの問題などにも精力的に関わっていきました。

*3:私は右翼でも左翼でもなく、固定的な政治思想的スタンスは取りません。必要以上のイデオロギー論争は避けて、提示された政策や見解、思想への賛否を適時、熟慮して判断したいと考えます。日本国における左翼とは一体何を意味するのか定かではありませんが、一般的には共産党社民党の支持者を指示する言葉であり、小林よしのり氏などの著作における侮辱語としての“サヨク”は売国奴的な国益を損なう知識人層を指し示す事もあるようです。ただ、ここでは、広義での左翼・左派をとって、革新主義もしくは批判的な進歩主義だと私は定義したいと思います。愛国心国益志向の有無とは関係なく、現状に対して何らかの批判的見解を持つ人たちを指すと考えます。ポピュリズムやラディカルなナショナリズム、破滅的なファシズムなどの排他的な国家主義を警戒する慎重な批判精神は何時の時代にも必要であり、右・左といった二分法的な思考に捕われない自由かつ柔軟な思考と価値観を持つ必要性を感じます。右派と左派の最大の違いは、左派の説くコスモポリタニズムや人間愛へのコミットの強弱であったり、右派の説く国民国家や自文化中心主義の枠組みの普遍性へのこだわりの違いだとも考えられます。