ジェフリー・ディーヴァー『石の猿 THE STONE MONKEY』の書評



石の猿
書籍:石の猿 THE STONE MONKEY
著者:ジェフリー・ディーヴァー Jeffery Deaver
訳者:池田真紀
出版:文藝春秋


デンゼル・ワシントンが、脊髄損傷による全身麻痺を起こした科学捜査官リンカーン・ライムの役柄を演じた『ボーン・コレクター』という犯罪サスペンスの映画がヒットしたが、『石の猿』はそのリンカーン・ライムシリーズの作品である。

『石の猿』は、国際社会の大きな問題である『密入国(不法入国)』を主要題材として用いて、上質な深みのある哀歓と恐怖の物語を淡々と紡いでいき、精妙に、場面に忠実に人物の行動と心情を描写していく。
その精細で力強い筆勢は、事件のリアリティの感覚の精度を高い水準で維持しつつ、読者を、ある時は不法入国した中国人の萎縮した精神に導き、ある時は冷酷無道な猟奇的殺人を繰り返す蛇頭のクワン・アン(ゴースト)の狂気に誘い、ある時は犯人を追い詰めるアメリカ人科学捜査官リンカーンの頭脳へと誘導する。

『石の猿』は、目くるめく展開を見せるアメリカ捜査チームの類稀な情報科学捜査によるスピード感ある“犯人追求劇”と危険極まりない異常性格者の蛇頭・ゴースト(GHOST)との生命を賭けた戦いが表のストーリーである。
そして、それと同時に、アメリカに憧れて命がけで密航してくる中国人家族の悲愴な姿を通して、世界一の経済大国として物質的繁栄を謳歌する自由の国『アメリカ合衆国』と中国共産党が独裁統治する抑圧と混沌の国『中華人民共和国』との比較国家論・比較文化論の視点でも読み進める事が出来る。
しかし、私がこの小説で最も深く感銘を受け、心地良い清涼感を感じたのは、数少ない和やかな場面、東洋人と西洋人が温和な打ち解けた雰囲気で対等な立場にたってコミュニケーションをする場面である。
綺麗なよく日の光を反射する紅い髪を持ち、鮮やかなイエローの旧式のカマロを愛車にして科学捜査にあたるアメリア・サックスと中国人密航者で漢方医であるジョン・ソンとの診察場面での会話などは何処かノスタルジックな異文化交流の情景を彷彿させるのどかな空気がある。
アメリア・サックスは、長年の持病として激しい苦痛を伴う慢性関節炎を患っているのだが、西洋医学では医学的検査で原因を特定できない慢性疾患を根治させることは出来ず、対症療法に終始するしかない。そこで、偶然、捜査上の経緯で知り合った漢方医のジョン・ソンが、東洋医学の叡智と自然由来の生薬を用いてアメリア・サックスの治療に当たるのである。

西洋医学は、手術を要するような重篤な急性疾患やウイルス・細菌による感染症、切り傷・刺し傷などの外傷の治療では、東洋医学を寄せ付けない。
しかし、中国を発祥の地とする伝統的な東洋医学は、関節炎、リウマチ、虚弱体質、アレルギー炎症疾患、胃腸虚弱、自律神経失調症などの西洋医学が治癒を苦手とする慢性疾患の症状を緩和してゆっくりと治癒させていくことに強みを持つ。
中国の東洋医学の精髄は、その場ですぐに症状を抑制するのではなく、陰陽五行説を敷衍した基礎理論を元にバランスを崩した血液やリンパ液を調整し、漸次的なゆっくりとした体質改善により根本治療を目指す。

この小説では、今述べた西洋医学東洋医学の違いに代表されるように、『西洋的な思考の枠組み及び科学的捜査・検証』と『東洋的な思考の枠組みや俗信的信念・哲学』との対比や比較が至る場面で、物語の進行と関連した流れの中で興味深く語られる。


小説の構成の『部立て』のタイトルには、全て中国文化圏に絡んだ言葉や俗信迷信が用いられている。

蛇頭・・・美しい国・・・生者と死者の名簿・・・悪鬼の尾を切る・・・待てば海路の日和あり・・・。


市場経済のグローバリゼーションとマスメディアや情報関連技術の発達によって、東西の巨大経済圏は急速にその距離を縮めた。
中国の反体制分子として迫害される人民、経済的貧困で生活がままならない下層の人民は、精神的な自由と経済的な豊かさを求めて彼らが『美しい国』と呼ぶアメリカを目指す・・・密入国斡旋業者・蛇頭が用意した狭くて暑くて不衛生な貨物船に押し込められて。


冒頭に掲げられるアフォリズム(警句)は、論理的に犯罪者である蛇頭を追い詰めるアメリカの警察陣の巧妙なトラップを暗示している。



第一部 蛇頭

圍棋(囲碁・ウェイチー)という語は、二つの中国語から成る。“圍”は包囲することを、“棋”は陣地を指す。よって、圍棋は生存を懸けた闘いを象徴する。“戦争ゲーム”と呼んでもいい。

ダニエル・ペコリーニ&トン・シュー『圍棋』




第二部 美しい国

勝敗を決めるのは、いかに先まで見通す事ができるかどうかである。相手の動きを読み、戦略を見抜いて攻めた者、相手の防御策をあらかじめ予測した上で攻めた者が勝つ。

ダニエル・ペコリーニ&トン・シュー『圍棋』




第三部 生者と死者の名簿

圍棋の試合は・・・・二人の棋士が何もない碁盤を挟んで座り、有利と思われる場所に石を置くことから始まる。何もない升目は試合の進行とともに消えていく。やがて二つの勢力はぶつかり合い、攻防は激しさを増す。ちょうど現実の世界で起きる戦いと同じように。

ダニエル・ペコリーニ&トン・シュー『圍棋』





第四部 悪鬼の尾を切る

圍棋の試合は、対戦する棋士の実力が拮抗していればいるほど面白い。

ダニエル・ペコリーニ&トン・シュー『圍棋』





第五部 待てば海路の日和あり

相手の石を有効に取るには・・・相手の石の周囲に隙を残さず完全に囲わなくてはいけない・・・完全包囲されて初めて部隊の兵士が敵の捕虜となる実際の戦争と全く同じである。


ダニエル・ペコリーニ&トン・シュー『圍棋』


内容についての感想も、また続きを書きます。