進化生物学の周辺領域と生命倫理

進化生物学の知見や観点から人間の行動メカニズムや心理過程を研究する学問分野を、進化心理学と言います。進化心理学は非常に広範な領域を包摂する学問ですから、それと関連する分野には動物行動学だとか人間行動生態学だとかいうものもあります。

進化心理学と人間行動生態学との違いが何処にあるのかは必ずしも明瞭ではないように私は感じるのですが、強いて定義すれば進化心理学は人間の行動よりも心理過程のほうに重点を置き、何故そういった心理や感情が生起したり変化したりするのかの理由を進化の歴史的過程から説明しようとするもので、現在の心理や感情の持ち方やその傾向が『環境への適応』にどのように貢献したのかという事も合わせて考えます。

人間行動生態学は、人間の行動を主要な研究対象とするもので、繁殖成功度や生存可能性といった進化的適応の尺度を用いて人間の行動メカニズムを進化の過程から説明しようとするものです。環境への適応度が高く、生存率を高める行動は、その出現頻度が増加するという基本的な認識をもとに研究するので、人間・動物・昆虫などが現在獲得している行動は環境適応的であるという認識を持っています。
つまり、環境適応的な行動・心理パターンを身に付けたからこそ現存種は現在まで生存することが出来たのだという進化論の自然選択的な考え方が基盤にあると言えます。

進化生物学については学生時代に興味を持ってかなりの分量の著作を読み、友人と喧々諤々の議論を交わした記憶があるのですが、ダーウィンドーキンス、グールド、マーギュリスといった進化生物学者の名前が幾つか思い浮かぶだけで今、進化の詳細について語れるような知識は残っていません。
哲学や心理学、文学が私の主要な関心領域ですが、自然科学や社会科学などもその時々の気分や欲求に応じてつまみ食いしているので、『確固とした随時に想起可能な知識』は意外に少ないものだと思ったりもします。
使わない知識や語られない事柄、意識に上らせない出来事は、時の流れに比例して次第に風化していき、簡単には想起できなくなっていきます。

最近、統合失調症精神分裂病)や双極性障害躁鬱病)など遺伝的素因が関連すると思われる精神障害関連の読書をしていて、進化心理学の流れから分岐した『進化医学』という分野があることを知り、なかなか面白い研究分野だなと思いました。
私は、遺伝学と医学の学際的研究のようなものを題材とした書籍文献にはついつい食指をそそられるのですが、それは病気の多くを遺伝的素因が規定していると思っているからではなく、むしろ、因果関係の誤謬による擬似遺伝性疾患が稀にあることを確認したいからかもしれません。

遺伝と病気や能力に関する話題で余談ですが、ナチス・ドイツホロコーストの惨劇と結び付けられるフランシス・ゴールトンの優生学は悪魔の学問と侮蔑され排斥されてきました。しかし、優れた遺伝形質と能力を持つ子孫を選別し、劣った遺伝形質と機能を持つ子孫を廃棄するという優生学の思想は現代の生殖医療現場などに遺伝性疾患や形態異常(奇形)の出生前診断による選択的中絶などの形で確実に受け継がれています。
こういった生殖医療や出生前診断による選択的な人工妊娠中絶、遺伝子選別による人工授精、クローン人間作成などに関する倫理的な問題は、バイオ・エシックス生命倫理学)の問題になりますが、人間の尊厳と生命の操作選別に関わる問題もいつかしっかりと考えてみたいと思います。

少しバイオ・エシックスの話に脱線しましたが、進化医学という分野は、誰もが知りたいと思う人間の健康と病気がどのような進化の過程を経て獲得されてきて、どのような適応的意味を持つのかを明らかにするものです。免疫システムによる自己防衛システムの進化的理由を考察したり、何故、ある病気が人類に継続的に存在するのかの進化的な形成過程や環境適応上の意味を探究していきます。

簡単に進化医学の研究課題を考えてみると、

『何故、人類・生物は病気になるのか?』
『何故、人類・高等生物は苦しみや痛みがあるのか?』
『何故、人類・生物には生存に不利と思われる遺伝疾患が生滅せずに残存しているのか?』
『何故、人類・生物には有限の寿命が与えられているのか?何故、死ななければならないのか?』
『何故、人類・生物には老化・加齢減少があるのか?』
といった素朴な疑問から発しているものばかりです。

釈迦はそのような生物学的根拠によって生じる苦しみがいつも人類の上に存在していることを持って、人類の生涯は一切皆苦諸行無常だと洞察しましたが、進化医学ではそのような生物学的根拠による死や苦しみは進化上の環境適応戦略であり、全てに進化論的な意味があると考えます。
痛みや苦しみは誰でもが避けて過ごしたいものですが、私達人類の人生には痛みや苦しみがつきもので、何らかの病気に罹って苦しむ可能性を完全には排除できません。
諸法無我の境地を修行や瞑想によって目指すのもまた一興ですが、苦しみや病気の進化的な獲得過程や意味理由を科学的に考究するのも将来の痛みや苦しみに対する知的防波堤になるかもしれません。

昨夜あたりから寒さが増して、先週までの不快な残暑が嘘のような秋の気候になってきました。
しかし、暑くもなく寒くもないというちょうどいい気温の気候の時期が年々短くなっている気がするなあ・・。