効率的・倫理的な資源分配

最近、日増しに気温が下がってきて、早朝はキーボードを打つ手が少し冷たくて動かし難いです。
今日は経済について少し書いてみます。

市場主義経済のメカニズムは、アダム・スミスの古典的名著『国富論』の中では『神の見えざる手』として最適の資源分配を達成する魔法のシステムのように語られていますが、実際に市場の力・メカニズムが導くのは需要に応じた供給という意味での『効率的・合理的な資源分配』に過ぎません。

市場の力に神の全能性を属性として付与するならば、市場メカニズムが達成するのは社会的に望ましい『倫理的・人道的な資源分配』であるべきでしょう。
そして、この倫理的・人道的な資源分配が人間性を解放し自由と平等を実現すると考えたのがマルクスエンゲルスといった共産主義の経済学者でした。しかし、皮肉なことにマルクスレーニン毛沢東らの共産主義は歴史的に見て人類最大の災厄と破綻をもたらして挫折しました。何より、『効率的・合理的な資源分配』を無視して、中央政府の官僚が経済を計画的に管理し統括するという社会主義的計画経済は人間の自由な発想や豊かな創造性、労働への意欲を根こそぎ奪い単なる物不足と貧困、社会的頽廃を招来する無残な結果となりました。
無論、社会民主主義として継承されるマルクスの経済学の流れには見るべきところがないわけではありません。市場のメカニズムとは別枠で、社会に必要な財やサービスを提供し、社会的弱者や失業者を保護する社会保障を行うといった考えは資本主義経済の思想とは別の起源を持つものとして今後も重視すべきでしょう。

公平な競争原理の元で経済活動を行い、公正な資源分配を実現する効率的で倫理的な市場経済のルール作りやその基盤となる経済学理論が出てくるといいのですが、アマルティア・センなどの経済学を再び紐解いて見る必要を感じます。