孔子の考えた君子像

孔子の言行録である『論語』は、孔子の弟子たちによって編集編纂された“仁”を頂点とする徳性に関する道徳書であり、周を聖人君子が治める封建主義的な理想国家とする実践的な政治哲学の書でもある。
大人(有徳者)と小人(無徳者)の区別を様々な実例や場面を挙げてくどいほどに孔子は説明しようとする。
為政者・一般大衆の身分制度を肯定する封建主義体制を基本とする政治思想は、現代の人権思想や民主主義には適合性がなくむしろ封建体制化での不当な身分差別を擁護するものとして否定的に受け取られるものだ。
孔子の説く理想社会は、勿論、工業化などの経済制度の変化が全く想定されていない牧歌的でのどかなものだ。経済成長のない現状維持を旨とする循環型社会・定常化社会を思わせるものがある。
それは慌ただしく刺激と変化に満ちた現代社会に生きる私達からは、何となく退屈で面白みのないものに思える・・・安定感と安心感はあるが、いつまでも変わらない同じような生活を与えられた職責をまっとうしながら生きる社会は、確かに成長や進歩や発展とは無縁で好奇心や欲望を満たす機会が極端にせばめられている社会だ。更には、生まれ落ちた身分や地位を変更する望みがない運命論的な社会で、努力精進や創造のモチベーションに乏しく、何だか理不尽ささえ感じてしまうだろう。

今から見ると閉塞した息苦しい社会かもしれない。
孔子の生きた春秋戦国という破壊と混乱の時代の中で見出された政治思想であること、時代的歴史的制約があることも当然忘れてはいけないが、私は儒教の政治思想や統治論とは別に君子や士大夫の道徳論に興味深いものを感じる。
そこには、中国人や日本人など東アジアの民族が長い期間、人間の美徳としてきた行為や振る舞いが数多くの逸話や事例と共に書き記されている。

孔子の考えた聖人君子・士大夫が備えるべき徳性には色々なものがありますが、幾つか引用してみると次のようなものがあります。
日本や中国の歴史が好きな人や宮城谷昌光の古代中国の英雄豪傑を題材にした歴史文学をよく読む人などは、完全に同意したり信奉したりすることはないとしても、こういった徳性について述べている孔子の言葉に何となく共感を感じるのかもしれません。


『人不知而不慍 不亦君子乎
人知らずして慍みず、また君子ならずや』

人が自分の正しい行いを知らないからといって、その相手を悪く思う事などないというのが君子というものではないか。

『君子不重則不威
君子重かざれば、則ち威ならず』

君子はその言動に重みがなければ、(人に敬意を持たれる)威厳が備わらない。

人の上に立つものは、自ら襟を正して率先垂範しなければ、尊敬されることなど覚束ない。現代社会における為政者・教育者が尊敬されないのは、その言動に一貫した道徳性がなく、私利権益によって軽薄な変節さえ恥じることがないからかもしれません。

『君子不器
君子は器ならず』

君子は、神仏のような偶像的崇拝物ではない。君子はその私欲のない実践的活動をもって君子としての尊敬を得ている。自らは何もなさない権威やカリスマは、君子ではない。

『君子周而不比 小人比而不周
君子は周(あまね)くして比せず、小人は比して周くせず』

君子は包括的かつ総合的な視点で物事に当たり、優越感を満たす目的で他人と比較することがない。それに対して、小人は他人と比較して優越感に浸るばかりで視野狭窄に陥ってしまう。
有意義な目的を達成する為の行動に、個人的な競争欲や優越欲を持ち込んで本来の目的を見失ってしまう愚を犯してはならないという事でしょうか。

『君子先行其言 而後従之
君子はまずその言を行い、しかる後に之に従う』
『君子欲訥於言 而敏於行
君子は言には訥を、行いには敏を欲する』

君子は口先だけで物事を語るのではなく、まず物事を行ってから発言を行う。
君子は能弁よりも訥弁を欲するが、行動においては敏速迅速を欲する。

不言実行の人こそ君子である。
アテネオリンピックの競泳平泳ぎの北島康介選手は『有言実行の男』として賞賛を集めましたが、何よりも難しいのは自分の内面に信念をもって不言実行することなのかもしれません。もちろん、有言実行も行動を起こす前に周囲の人たちに自分の目標や意志を知らしめて後に、その目標を実現しなければなりませんからその重圧や期待に負けずやり遂げるのはとても難しい事だと思います。

『君子食無求飽 居無求安
君子は食に飽を求めることなく、居に安を求めることなし』
『君子懐徳 小人懐土 君子懐刑 小人懐恵
君子は徳を懐(ねが)い、小人は土を懐う、君子は刑を懐み、小人は恵を懐む』
『君子謀道 不謀食  君子憂道 不憂貧
君子は道を謀るも 食を謀らず 君子は道を憂うも 貧を憂わず』

君子は食事に贅沢を求めることはなく、住居に快適さを求め過ぎることはない。
君子は徳を願い、小人は土地(財力)を願う、君子は徳の実践に対する刑罰を恐れず、小人は道徳に背いても権力から庇護されることを願う。

君子というものは、物理的な利益や快楽を目的にして行動することがなく、仁や義、忠といった徳性を実現する人々の幸福に貢献する行動を行うことを旨とするものだ。
孔子の君子論は聞けば聞くほどに、その実現の困難さと自らの未熟さを思い知らされるような感じがしないでもないですね。

『有君子之道四焉 其行己也恭 其事上也敬 其養民恵 其使民也義
君子の道は4つある。その己の行いには恭、その上につかえるには敬、その民を養うには恵、その民を使うには義』

君子の道には4つある。自分の行為に対しては謙虚で恭しいこと。君主に仕えるにあたっては敬意を忘れないこと。人民に対する慈悲・思いやりという慈恵を持つこと。人民を使役する場合には、使役しなければならない大義があること。

『君子周急不継富
君子は、急には周(あまね)くするも、富には継がず』

君子は、急迫した貧しきものには全力で救済の策を施すが、富裕な者にご機嫌取りをして追従することはない。 
君子は、私利によって自分の徳性を損なう事がなく、貧しき者や困った者に対する優しさと救済の実践を怠ることがない。

『君子博学於文 約之以禮 亦可以弗畔矣夫
君子は文を博く学んで 之を約するに禮(礼)を以ってすれば また、それにそむからずというも可なり』

君子は学問を幅広く学んで、その学問を説明するに礼節をもってあたれば、人の道(道徳・仁義)を踏み外すことがない。
人として踏み行うべき正しい事柄や相手を不快にしない関係を実践する為に礼儀や作法といった礼節があるのであり、それを守るならば自然に人としての善悪の道を踏み誤る危険性がなくなる。その仁義につながる礼節の境地に到達したものを君子と呼ぶのである。

『君子和而不同 小人同而不和
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず』

君子は、相手と調和するが、無闇やたらに同調することはない。小人は相手に付和雷同するが、調和を図ることができない。

『君子恵而不費 労而不怨 欲而不貪 泰而不驕 威而不猛 
君子恵して費えず 労して怨みず 欲して貪らず 泰にして驕らず 威にして猛からず』 

君子は人に恵みを与えるが自らは消費しない、自ら率先して働き人を恨まない、仁徳の道を欲するが利得権益を貪らない、泰然としていて驕慢ではない、威厳があるが粗暴ではない。

『不知命 無以為君子
命を知らざれば 君子と成る事は無い』

自らの天命を知らなければ、君子となることはない。
この世界で自分自身が果たすべき役割や成し遂げるべき仕事を明確に認識していなければ、君子とはなれないというこの孔子の言葉には儒教固有の『天命思想=運命論』がありますね。
現代では、運命論や決定論は人気がなく自由意志の存在を前提とした可能性の選択論が自由主義との相性がよいこともあり振るっています。

孔子の士大夫にまつわる道徳論を5つばかり抜書きしようと思っていたら、ついつい数多く抜粋してしまいました。
四書五経を初めとして、老子荘子など道教に関する書物や司馬遷史記など東洋思想や歴史の古典には、小説や物語として面白いものが多いです。読み始めるとページを繰る手が止まらず、意識は現代と古代を往来しながら色々な事柄を考えさせられます。