社会保障費増大の問題と保守・リベラルの対立

毎日新聞 ―医療―
社会保障給付:2100年推計は506兆円 制度持続は? 
http://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/medical/news/20041015k0000m040077000c.html


三菱総合研究所は14日、約100年後の2100年段階で年金・医療・介護の社会保障給付費が506兆4000億円に達するとの試算結果を公表した。税負担と財政赤字分(04年度水準)を加えると国民所得に占める割合は現在の45.1%から62.7%に膨らむと推計。社会保障制度の持続可能性に疑問を示すとともに、医療の給付費が今後年金を追い抜きトップになると指摘し、医療費抑制に向けた早急な議論開始を求めている。

04年の社会保障給付費は総額87兆8000億円で、内訳は年金46兆4000億円、医療27兆3000億円、介護など福祉14兆円。04年の年金制度改正で今後は年金給付額が抑制されるため、2033年を境に医療費が年金を上回る。このため2100年には医療が270兆5000億円と全体の53%に達するという試算になっている。【堀井恵里子】


国家の行う政策の中には、立法・国防・外交・治安・治水・裁判・金融財政・環境保護など様々なものがあるが、これから先の日本を含む先進国で最も大きな難問となるのは広義の社会保障政策・福祉政策でしょう。
広義というのは、この新聞記事に取り上げられている年金・医療・介護の福祉政策だけではなく、公的教育・環境保護雇用保険・心身障害者や重度疾病者など社会的弱者の生活保護をも含む社会保障政策という事です。

しかし、この試算では、2100年の段階で公的年金制度が今まで通りに機能している事が自明の前提となっていて、高齢化社会の宿命である医療費給付の膨大な増額で270兆円を給付するとしていますが、一体、どれだけの税負担が国民に科されるのかは示されていませんね。おそらく、現在最高水準にあるフィンランドスウェーデンなど北欧各国やスイスなどの税負担よりもかなり大きな負担となることが予測されます。

社会保障政策について考える場合には、国民がどのような経済生活、社会制度、税制度を望み、その理想とする経済・社会を実現する為にどれくらいの負担までを納得して負担できるのかという事が最大の問題になってきます。
社会保障政策は、国防・外交・司法などの絶対的に必要でその負担に反対する根拠が殆どない『純粋公共財』に対して、その必要性が相対的で必要とする人と必要としない人との間に温度差のある『準公共財』と呼ばれるものです。

そのため、国民負担率の増減について議論すると、『多少、負担率が上がっても良いから社会保障を手厚くして欲しい』という層と『自己責任を増やして社会保障は最低限で良いから負担を減らして欲しい』という層に分かれて、賛否両論が渦巻くといった状態になります。
原則的に、社会保障は相互扶助の精神に基づいて施策されるのが最も望ましいのですが、実際の社会には経済的に裕福な高額所得者もいれば、経済的に困窮している低所得者や失業者もいますから、一概にどのレベルでの社会保障が最善であり公正なのかを規定することは出来ません。
つまり、収入が多くなればなるほど負担が大きくなる累進課税制の場合には、収入が多い人が負担が大きくなる割りには戻ってくるものが少ないので、裕福な高額所得者で相互扶助に非協力的な人は当然、社会保障はそれほど手厚くしないでもよいと考える傾向があります。
とはいえ、どんなに裕福でもその状態がいつまで続くかの絶対的な保証はないですから、みんなで支えあう社会保障が全くなくてよいという人は滅多にいないでしょうし、全く福祉を廃止することには治安悪化や将来不安の増大など多くの危険を伴う事になります。

社会保障制度の国民負担率については、改めてゆっくり考えてみたいと思うのですが、全ての人が満足いく税制がないように、全ての人が十分に納得できる社会保障制度もないので難しいですね。

また、上で述べた対立軸を元に考えると、『機会の平等』と『勤労意欲維持の為の所得格差の必要性』を強調して、累進課税制のような『所得格差の緩和・税による所得の平等化』に反対する人たちが保守主義と言われる考え方に当たります。保守主義者は、原則として社会保障の拡大や充実には批判的であかり社会保障を手厚くすることが経済発展を抑制すると考えます。

その反対に、ある程度の『所得格差の是正・弱者の保護』を累進化税制によって充実させ、社会保障制度によって誰もが最低限の生活を保障されることが望ましいと考えるのがリベラリズムという立場になります。リベラリズムは、結果平等を主張する社会主義よりも弱い平等主義の考え方をしますが、累進課税制の正当性の根拠は、機会の不平等の是正という『公正さ』にあるとします。

つまり、生まれた環境、教育環境、先天的能力の違いといった本人にはどうしようもない不可避的な『機会の劣悪さ・機会の不平等』によって結果の不平等がもたらされている部分が何割かはあると推測できることにより、累進課税制によって機会の不平等の部分を埋め合わせることで『所得格差を税引き後』に少なくすることに『公正さ』があると考えるのがリベラリストです。
保守主義は、基本的に能力主義・努力主義を前提としますから、生まれ落ちた環境の悪さというものは運命であり、それまでを考慮して所得格差を是正する必要はないし、悪い環境からでも成り上がって高額所得者になった人も大勢いることなどから経済的貧困に陥った人は努力や能力が足りないだけだという論理をとることになります。
日本において、一般的に支持される税制は、適度な累進課税であるとされています。それは、それほど大金持ちではないが、何かチャンスがあれば自分も高額所得を得られるかもしれないと思う中間所得者階級が過半を示していることを意味します。
反対に、将来に希望が持てないような低所得者層が大勢を占めるようになると、もっと厳しい累進課税制が望まれることになります。

どれくらいの累進課税が最も適切なのかというのも非常に難しい問題で、例えば、年収10億の人から5億の税金を取る事を自分がその当事者であることを考えれば半分も税金でもっていかれれば高いと考えるでしょうし、反対に中流の立場から見れば税引き後でも5億あるのだから普通の人よりも十分に裕福な暮らしができるので適切だと考えるでしょう。
また、保守主義者は、自分が仕事によって得た収入は、全て自分の能力や努力によるものだから自分自身が当然の権利としてこの収入全部を所有すると考える傾向があり、リベラリストは、自分の収入が他者(従業員・顧客・関連する企業や人々・経済制度・恩師など今まで世話になった人々)の協力があってこそ得られたものであり、その幾らかは社会に還元すべきだという考えを持つ傾向があります。