『男と女の進化論』を読んでの雑感


正統派の自然科学者からはトンデモ系と言われる竹内久美子の『男と女の進化論 竹内久美子 新潮文庫』(ISBN:410123812X)を読んだ。
一応言っておくが、竹内久美子の本は、科学的知識を得る為の科学書でも進化生物学の入門書でもないし、科学的に正確な記述が心がけられているわけではない。
進化生物学、特に類人猿に関する動物行動学の研究成果や興味深い理論を都合よく利用して、楽しく面白く現在の人間の恋愛活動や性活動の由来を推測してみようといった内容の著作が殆どである。

だから、鹿爪らしく真顔で『竹内氏の本は似非科学であり、反証可能性もなければ、実証的にその仮説が確認されているわけでもないトンデモだ』という批判はあまり意味を為さない。おそらく、書いている竹内氏も読んでいる私達も『科学ではない、科学を利用した娯楽本』と言う事を百も承知しているだろう。
まぁ、中にはこういった科学的娯楽本を読んで、『生物学では〜だという学説が主流である』と断定的に語ってしまう人もいるでしょうが、それで実際の害がでることはまずないでしょう。
テレビで血液型性格診断がまことしやかに囁かれ、それが科学的に正しい言説であると見たままに信じる人もいれば、血液型は多くの人が興味を持ってるみたいだから他人との話題作りに便利だなと受け取って見ている人もいるわけで、そういった受け取り方の違いはあらゆる場面や情報に生じてきます。

科学と非科学の境界線という難しい話はさておき、砕けたお酒の席でちょっとウィットの効いた下ネタを披露したい場合などにもいろいろ使える話があるし、気のある女性との親密度を高める為に卑猥になり過ぎずに性を語る場合にも似非科学としての動物行動学は活躍します。そういった不純な動機はなくても、気楽に読めるので、面白い進化にまつわる話題に触れてみたいなという時にはいいかもしれません。

以下にこの本の話題を幾つか取り上げて、思いつくままに感想を書こうかと思います。
(当然に、科学的厳密性や正当性は無視します)


『何故、背の高い男がもてるのか?』という進化関連では比較的有り触れた話題では、狩猟採集生活をしていた時代の名残で『背の高い男性は狩猟能力が高い。逆説的には、狩猟の成果が良いから栄養状態が良くなり身長が伸びたともいえる。その結果、身長は現在の経済力に相当するものとして評価された』と説明されたりする。

狩猟採集生活時代であれば、『なるほどね』と思える話ではある。経済活動というものがなく、食糧獲得手段が狩猟に限定されているならば、確かに身長が高いほうが生存に有利とは言えよう。
現代社会で『何故、背の高い男がもてるのか?』については、必ずしも進化的な要因に拠るとは言えないかもしれないが、背が高いほうが迫力・貫禄があり力強く頼もしく見えたり、お洒落なファッションが似合ったりすることで人気が出やすい傾向はあるだろう。また、周囲の人気が集まる事で、人気のある男性の配偶者(恋人)であるという虚栄心を満たす為に役立つとは言えるだろうし、こういった見栄や虚栄といった心理的な事情は男性が美しい女性を好む場合にも当て嵌まるだろう。

総じて、“面食い”と呼ばれる種の人たちは、『自分が、美しい・かっこいい異性を好きだ』という心理よりも『美しい・かっこいい異性を連れている自分を羨望の眼差しで見ている他者』を強く意識する心理が強い。
だから、そういった面食いの人達は、自分たち二人だけしかいない室内や人の少ない自然豊かな山や川よりも自分たちカップルを見ている他者の視線をより多く感じる都心の街中やゴールデンウイークの観光地といった場所に出歩くことを好むのかもしれない。
『他者の嫉視・羨望の眼差し』は、現代において人間の欲望を最も強くかきたてる要素であり、客体として“見られたい”という欲望が自己の存在意義と分かち難く結びついている人たちが増えている。ファッション業界の隆盛を支えているのも、そういった他者の眼差しであることは間違いないだろう。誰も、他者の眼差しのない無人島で、綺麗な洋服で着飾ったり、ブランド物の衣服や時計などを集めたいとは思わないでしょうから。


『何故、女性にシワが出来るのか?』という話題では、チンパンジーとヒトの性的魅力の比較やヒトの発情周期の消滅を通して、その理由を考えていく。
チンパンジーの男女関係は、ヒトのような一夫一婦制(地域によっては一夫多妻制もある)ではなく、複数のオスとメスからなる乱婚制であり、メスは約37日の発情周期を持ち、発情期には性的シンボルであるお尻にある性皮を赤く充血させはれ上がらせる。
オスは、その性的シンボルに強い魅力を感じ交尾するのだが、その際には若くて瑞々しいメスよりも既に何回かの出産を終えた中年以上のメスに人気が集まる。チンパンジーの世界では、若い女性よりも中年の女性がもてるという人間世界とは逆転した現象が見られるのだが、これは繁殖成功度と遺伝子保存の可能性を高める為の遺伝的要因による戦略である。もちろん、オスは年齢の高いメスを意識して選んでいるわけではなく、長い進化の過程で自然にそういった性的嗜好が形成されたと考えられる。

つまり、出産経験もなく育児のノウハウも十分に知らない若いメスよりも、既に出産も育児も経験してそれらに熟達している年齢の高いメスのほうが子孫(遺伝子)を残すのに有利だという事である。
チンパンジー、ゴリラ、マントヒヒなどの類人猿の性行動が人間と異なる最大のポイントは、『決まった発情期を持ち、その間でしか性行為をしない』という事である。そのため、発情期にはメスはオスから優遇されて、多くの食糧を得られたり、多くのオスから交尾を求められたりといったことが起こるが、それと対照的に発情期を終えるとどのオスも見向きもしなくなるという寂しい境遇に置かれる。

ヒトは特定の発情周期を失って年中いつでも性行為を行うことが可能になり、チンパンジーには無い早い段階での『閉経期と高齢出産の危険性』を持つようになった。
閉経するという事は、生殖可能性を喪失するという事だから、ヒトの場合には一定以上の年齢の女性を選ぶことは自らの遺伝子を残すという生物学的な繁殖戦略上、不利になることを意味するようになる。
ヒトは、直立歩行を開始してから、女性器が通常の姿勢では見えない位置へと移動し、類人猿のように性器がわかりやすい性的信号として果たす役割は著しく低くなった。
その代わりに、ヒトの女性は本来、赤ちゃんへの授乳器官としての役割を果たす乳房を、分かりやすい性的信号として利用するようになり、乳房の大きさや形に対しての性的嗜好が生まれるに至るようになる。
だから、進化の歴史を遡ると、性器のあるお尻に対する性的嗜好はより本来的で古い時代に形成されたと考えられ、胸・乳房に対する性的嗜好はそれよりも時代が下ってから、もっと言えばヒトが上半身に被服するようになり、胸の発育を十分にする豊富な栄養を摂取できるようになってから急速に形成されてきた『心理的要素が強くからむ嗜好』だと考えられる。
上半身に被服しない文化を持つ温暖な地域の未開民族の中には、乳房に対して日本をはじめとする先進国ほどの性的魅力を感じない部族が数多くいるし、元々裸で胸を露出しているのだから、それにいちいち性的に反応していては日常生活も覚束ないという事になるだろう。

少し話が逸れたが、『何故、女性にはシワが出来るのか?』に対する竹内氏の意見は、チンパンジーの性的信号である性皮が萎れて繁殖能力のピークが過ぎるとオスからの人気が落ちる事からの連想で、ヒトの場合にも顔の肌が性的信号の役割を担っていて、シワが出来る事で繁殖能力が落ちていることを周囲に知らせる事になるという事らしい。
こういった生物学的な生殖にまつわる要因だけに限定すれば、やはり加齢=繁殖の成功率が下がるという事に行き着くだろうが、人間の場合には周囲から高く評価される外見の美しさを求めると言った社会的要因や処女崇拝やロマンティックな恋愛願望のように女性に対する独占欲求が絡む心理的要因も複雑に絡み合っていると考えるのが自然であろう。


『東洋人は、何故ネオテニー幼形成熟)な外見を持っているのか?何故、西洋人の外見的なセックスアピールは強いのか?』といった項目では、東洋人のロマンティックな恋愛を楽しむ暇さえない繁忙な稲作文化に原因があるのではないかと推察します。
沢山の人手が必要で、多くの手間暇と準備がかかる稲作・農耕では、労働力としての子どもを沢山産める『若さと健康』が強く要求され、容姿やスタイルといった恋愛にまつわる要素がおざなりにされた結果、現代的なセックスアピールが低下することになった。

遊牧・牧畜による西洋では、食料生産にかかる手間も時間も少なくて済み、その分、情熱的な恋愛や刺激的なセックスを楽しむ余暇が生まれ、婚姻外の性行動も増えてきた。
この婚姻外の性行動、俗に言う不倫や浮気は、朝から夜まで生活行動を完全に共にし、周囲の監視の目も厳しい閉鎖的で集団主義的な稲作農家が集まる村落では極めて起こり難いということらしい。

食料を得る為の仕事はそれほど忙しくないが、男女関係が忙しい遊牧・牧畜を主とする地域で、余暇の増大に合わせて婚姻外の性行為が増えてくる。
婚姻・結婚の場合の異性の選択には、これから生活の大部分を共有するのだから、容姿・スタイルなど純粋な性的魅力はそれほど重視されず、長期的視点にたった『性格の真面目さ・健康・繁殖に有利な形質である若さ・家柄・社会的地位』などが重視されるが、婚姻外の異性選択の場合に決め手となるのは、端的に容姿やスタイルなど性的魅力である場合が圧倒的に多い。特に、一過性のその場限りの浮気や不倫においては、性格や人格といった生活を共にする場合に重要とされる要素は絡んでこない。

そういった自由恋愛や複雑に入り乱れた競争の激しい異性関係の中では、より性的魅力の高い遺伝子が頻度を増す傾向が強いので、西洋には生物学的な必然性のない高い鼻や大きな瞳、彫りの深い顔立ち、長い足などの形質が発現したというお話ですが、確かに『余暇の多さと自由恋愛の活発さ』が性的魅力に与える影響というものは生物学的要因に限らず現代社会でも見られる感じはあります。
日本人の顔立ちも、貧しく生活を支える為に必死だった明治〜昭和初期の時代と平成の現代ではかなり変わってきていて、一般的に西洋的な整った顔立ちやすらりとしたスタイルの人が増えている印象があり、髭の濃い男性の割合の低下や顔の骨格が丸みを帯びてきていることなど男性の女性化が進んでいる観もありますね。


私がこの本を読んで知った事に、『種の起源』を著したチャールズ・ダーウィンとイギリスの高級陶器で有名なウェッジウッド家との間に深い血縁関係があったという事でした。
ウェッジウッド社を興してエリザベス女王に評価されて成功した初代のジョサイア・ウェッジウッドの長女スーザンの次男がチャールズ・ダーウィンだったという事のようです。
厳格で保守的なダーウィン家と冒険心に満ちていて開明的なウェッジウッド家。
軍艦ビーグル号に乗って世界の動物や植物を観察して調査したいと思うチャールズに強く反対したダーウィン家でしたが、ウェッジウッド家の叔父さんジョスの説得のお陰で、ダーウィンはビーグル号に乗り込み、世界一周の自然観察の旅に出ることが出来たのです。
独自の珍しい生態系を持つガラパゴス諸島での経験などが、後の『種の起源』に表された進化理論につながっていきました。