民主主義政体における主権者意識の低下

民主主義国家における議会政治のシステムと、古代ギリシア的なポリス市民による直接民主制から代議員による間接民主制への移行とその功罪を考えていました。
そもそも、選挙によって国民の代表者である政治家や国家元首(大統領・指導者)を選出することの意義や国家権力の元に立法府の議論を経て私達にある行為や義務を強制できる法律を制定することなどについてその根源的な意義や基本原理を考えていたら、経済体制との関わりも含めて、何処から語るべきなのか難しいですね。

今までまとまりなく私が述べてきた政治の基礎に関わる問題へアプローチしていくには3つの道筋があるように思えます。
歴史学によって理解し判断する道、政治学によって理解し判断する道、政治哲学によって理解し判断する道。
厳密にアカデミックに考えたいながらば、法学(法哲学)や経済学のアプローチも必要となりますが、法学的解釈や厳密な条文の読解や適応を図るのは相当法律分野が好きで、現代の法律以外の歴史的な法律の推移にも精通していかなければならないでしょう。

この中で、比較的容易なのは、政治学的アプローチだと思われます。
歴史学アプローチのように事細かな歴史過程をそれほど丁寧に追わなくてよく、各時代の政治経済体制を分析的に解体して説明する必要もない。また、ロックやルソーやモンテスキューマルクスエンゲルスロールズ・・・などなど無数の政治哲学者や思想家の理論や思考過程を正確に深く読み解く哲学的アプローチは正に難行苦行で険しい道です。
私が一番興味を惹かれて面白く感じるのは、哲学的あるいは思想的アプローチですが、徒然なるままにこのブログを書いているうちに色々な政治哲学にもアプローチしながら国家や権力や政治や権利・義務について考えられるといいなと考えています。

民主政治というのは、簡単に言えば、『市民・国民・民衆』が主権を持ち主役になって行われる政治、特定個人や特定集団が権力を独占して恣意的な立法をすることを許さない政治という意味であり、民主主義とは、民主的な政体における基本原理で、一般市民が主権者となって、政治権力を平等に分有し行使するという政治思想の原理です。

民主主義政体において、私達は国家の仕組みや国家の基本政策方針や国家の財政システムを決定する権力を分有しているという事に理論上はなりますが、そうした主権者意識が現代のように複雑化し高度化した国家では実感できなくなるところに政治離れや政治への無関心の原因があるのでしょうね。
つまり、『私一人が何を言ったって、国や社会は変わらない』という諦観や先入見が、政治意識低下の根底にはあるのですが、この『退廃的な諦めの念と無気力の意識の克服』をどのようにするのかは非常に難しいこれからの政治や思想・哲学が担う課題なのだと思います。
まぁ、選挙で投票する事が大きな好ましい変化に繋がることが少ないと言う実感は事実に連接しているでしょうし、現代社会で最善の改革や変革の方向性を見極めることは至難ではあるのですが・・。