“自殺”と“自由意志”に見る差延に翻弄される『自我』


ブログ『不合理ゆえに我信ず』の『実在と幻覚・物質世界と精神世界』の記事のコメント欄で自殺と精神に関する物理化学法則との関連についての話題が出ていたので、簡単ながら自殺と精神について考えてみます。

人間の『自殺』という意識的な死の選択の行為は、人間と他の生物との一つの境界線として認識されるべきものではないかと思います。
人間の精神の内容(思考の過程・結果、感情の推移・表出、意欲の横溢・枯渇など)を事前に物理化学法則を用いて予測し制御することは出来ません。

うつ病自殺念慮に典型的に見られるような脳の器質的障害や機能異常の結果として自殺が起こるとは断定できないと考えていますが、他の生物には、絶望や虚無を起因とする死の主体的な選択としての自殺はありません。
自然界に生きる生物の目的は『個体の生存維持』と『子孫を残す事による遺伝子の保存』であり、人間以外の動物はこの遺伝子によって規定される目的から逸脱して生きる事はありません。

利己的な遺伝子の支配から逃れて、自殺や子孫を残さない生涯を意識的に選択するのはヒトだけであり、それは『高次の生き甲斐』を求める人間の精神の特殊性に起因するのではないでしょうか。
人間精神の特殊性というのを具体的に説明するのは難しいですが、簡潔に考えると『自我に基づく自意識』『長期的利益を志向する知性』『客観的認識を可能にする理性』ではないかと思います。

『他者とは異なる私』という意識を持ち、一人一人に固有名を持つ存在である人間は、他者との差異に一喜一憂し、優越感や劣等感によって感情や気分を左右され、差異を生み出す市場経済システムによって生活の大部分を生産・消費・サービスに費やします。
人間の生存欲求や活動意欲の源泉は、先天的な遺伝的基盤よりも後天的な環境的要因のほうにあるのかもしれません。

心理社会的なストレスによって脳内の活動性や意欲に関係するセロトニン系やノルアドレナリン系の情報伝達過程にマイナスのフィードバックが働くという機序も考えられますが、だからといってそれらの生化学物質に私たちの精神活動と生存欲求が支配されているというのは因果関係を捉え損なっているように感じます。
飽くまで、心理社会的なストレスが先行して、人生に対する悲観的かつ否定的な認知の偏りが生まれ、その結果として脳内の生化学的な変化が起こるのであって、うつ病統合失調症など内因性の精神障害でない限りは、セロトニン系の生化学的変化が継続的に外部の環境と無関係に起こっているわけではありません。

『人はパンのみによって生きるにあらず』というイエス・キリストの言葉にあるように、人間はモノによる満足以上に精神的な充足や達成感を求めます。そして、人間の欲望は生物学的な本能に還元できるほどに単純なものではなく、その欲望は多様性に満ちていて、奥深く際限のないものです。*1

他者との良好な関係性や他者からの評価を求め、社会内での位置づけや役割によって生き甲斐を得たりする『社会的な動物』であるが故に、親密な他者から疎外され、社会から排除されるような場合に、致命的な絶望を感じ生きる意欲を喪失することがあります。
生存を命じる遺伝子の支配から自由であるが故に、未来を悲観してこのまま生き続けるよりも死んだほうが自分にとってメリットがあると判断する人間も出てくるのでしょう。
いずれにしても、自殺という行為の選択は自由意志のあまり高級ではない用い方ではあるとは思いますが・・・。
神経伝達物質の枯渇や不足といった生化学的な変化によって希死念慮の高まりが起こる事はありますが、人間精神は機械論的に作動して行為を起こすわけではなく、最期の最期まで自由意志によって選択可能性に開かれています。
そして、私たちの有限の生命は唯一無二である事の再確認をし、『私』という自我意識によって規定される人生が『固有性と一回性』によって特徴づけられる稀有で価値のあるものだという自覚を持つ事の大切さを感じます。


『我々は遺伝子機械として組み立てられ、ミーム機械として教化されてきた。しかし、我々には、これらの創造者に歯向かう力がある。この地上で、唯一我々だけが利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。』  

リチャード・ドーキンス  『利己的な遺伝子

脳科学に言及したついでに、いつか、人間の言語機能と脳の構造(ブローカー領域やウェルニッケ領域)の相関について考えたいなと思っています。

*1:エスがこの言葉によって伝えたかったのは、欲望の深さや豊かさではなく、神の言葉によって伝えられる『愛』の素晴らしさです。物質的な豊かさを凌ぐ精神的な豊かさの価値を説き、その根底にある神の慈愛の深さを伝えようとしたのですが、世俗的に解釈すれば、他者からの愛情の大切さと社会的な関係性による喜びがこの言葉には込められているとも言えるでしょう。