宇宙の広大無辺と精神の壮大無限


現在、脳と心の相互関係について、認知心理学や脳神経科学、神経生物学、動物行動学など数多くの学問領域によって精力的な研究が進められており、私も非常に強い関心を持っています。
心を人工的な科学技術で再現することが出来るのかという人工知能の研究などを見ていると、何となく期待と不安が入り混じった複雑な気持ちになるのは誰しもに共通する人間精神の特殊性を信じたいという心情なのかもしれません。

心理学分野におけるコペルニクス的転回とも呼ばれる“認知科学革命”が引き起こした波紋は、近代以降連綿と継続してきた『心(精神)と身体の二元論』の瓦解という結末へと拡大していきました。

しかし、私たちが認知科学の知見から獲得すべきなのは、『自然科学的根拠のある自由自在に活用できる思考の基盤』だと私は考えています。
それと対立的な認識として、『物質性に還元できる精神は、物理化学法則に準拠した予測によって統御できる』というものがありますが、これは最先端の脳神経科学や人工知能、動物行動学の成果などから考えると間違った認識として否定される可能性が高そうです。

『心』というのは、『複雑性・多様性・階層性』の特徴を持つ無数の機能の集合体ですが、『人間の心』と『人工モデルで再現される心』の最大の違いは、人間の心が主体性と自発性という創造的な意識を持ち、心的過程の変容の完全な予測を立てることが不可能な所にあります。

認知科学の研究が最も得意とするのは、その名の通り『認知=知覚』の分野で、語弊を恐れずに言えば、認知科学脳科学は、心を『予測可能な物理化学法則に統御される機械的な認知システム』として解釈しています。
知覚というのは、思考や意志や行動や記憶を伴わない純粋な感覚器官からのインプットを受け取って、外部世界の情報を知る事です。
これは、非常に単純な構造の単細胞生物などを除いて全ての生物に共通する心の機能ですから、知覚・反射=心と定義すれば、自然科学的にもほぼ全ての生物が心を持つと考える事が出来ます。

時折、脳神経科学の驚異的な発展によって、人間の精神が矮小化され、倫理が頽廃するのではないかという危惧が表明される事もありますが、私はどんなに高度に自然科学が発展しても、その科学的成果を素直に評価してさえも精神内界の独自的地位や価値は減じないと考えています。
前述したように、科学では人間の精神内容までは探れませんし、行動や思考を事前に予測して制御することは脳のニューラルネットワーク天文学的複雑さによって原理的に不可能ではないかと思います。
一説によれば、脳内のニューロンは140〜1000億個存在し、そこから伸びる軸索と更に幾重にも枝分かれする樹状突起によってニューロン相互は約50〜100兆個のシナプス結合を持っています。

科学的な精神観を採用すれば、この『100兆個のシナプス結合の配置と結合強度』こそが、その瞬間瞬間の人間の心の状態だと考えられます。
しかし、ここで科学が明らかにしたことは仏教の説く精神と宇宙の合一にも匹敵するような驚異的かつ奇跡的な心の実態です。
シナプス結合が電気的・化学的に情報を伝達する強度は少なくとも約10段階の強度があり、その仮定に従うと、私たちの脳が取りうる心(精神)状態の可能性は、10の100兆乗通り存在します。
これは、(可能性と体積で行う単純比較に意味はないとしても)宇宙科学で試算される宇宙全体の体積10の87乗立法メートルなど比較にならない数値上の大きさです。
私たちが過去・現在・未来におけるその刹那に取る事のできる、神経学的な心の配置の可能性は天文学的に巨大な可能性、宇宙大に相当する無限の広がりと選択の余地を持っています。

何だか、話が途方もない方向に飛んでいきましたが、精神殊に人間精神は、自然科学で捉えても、日常的な心の定義で捉えても、神秘的で魅惑的なものであり、正に未来に向けて無限の可能性へと開かれています。
よく、大人が子ども達へ、心の素晴らしさを教える為に話す事のある『想像力が宇宙よりも大きい』というのは、数学的組み合わせと物理的体積の単純比較で考えるならば、真なる命題だと言えます。