アリストテレスの三段論法から記号論理学(数理論理学)へ


人間の理性で最も有用性のあるとされる機能『論理(logic)』とは何か?
私たちはよく日常的な会話の中で、『彼の話は論理的だ』『彼の意見は非論理的だ』というセンテンスを口にする。
その場合に、私たちが留意しなければならない事柄は、『論理』に高い価値を無条件に付与してしまう数理学的普遍主義の誤謬である。これと似た種類の誤謬に、感情の価値を不当に貶める理性至上主義というものがあり、理性と感情をそれが表出し用いられる生活文脈によって価値判断されるべきものだろう。

論理は、与えられた命題の真偽を判定する為の思考の形式(法則)であって、与えられた命題の善悪や幸福・不幸、快楽・不快といった人間固有の価値命題を規定する力はない。
論理には、『狭義の論理』と『広義の論理』があると私は考えている。両者に共通するのは、論理というものの基盤に『言語の使用』があり、人間理性は言語能力によって顕現するという基本姿勢だろうか。

広義の論理については、特別な定義をする必要はないが、日常生活で話の整合性が取れていて、話の中に登場する対象相互の関係性が整理され、話の脈絡の連続性に破綻がないことといった程度の意味である。
一般的な広義の論理を重視する人たちが他者の意見に容喙する場合のお決まりのフレーズは、『あなたの発言は、前に言った事柄と矛盾している。それでは、つじつまが合わない』という台詞である。
つまり、個人内面での意見の方向性の時間的連続性や好き嫌いといった対象についての一貫した判断、過去の発言と現在の発言の一致性に彼らは重点を置く。

狭義の論理とは、経験主義を基盤におく自然科学領域で用いられる仮説演繹法帰納的推測に見られるような思考の一般法則であり、科学的事実を普遍的なものと確定する為に必要なものである。
論理学領域は、現在では記号論理学という分野が主流になっているが、19世紀に至る迄論理学はその起源である三段論法に代表されるアリストテレスの論理学から殆ど前進することがなかった。

アリストテレスの師であるプラトンも、その著作が『対話篇』形式を採用しているように、弁証法的な対話や弁論術を重視して『対話』から『真理』を抽出しようとしましたが、イデアを中核に据えた観念論のプラトン哲学の段階では、アリストテレスの分析的な論理学の様な客観的な性格をもっておらず、『意見のやり取りの中から相手の矛盾や背理』を見つけてより妥当な見解を導くといった説得的な手法に依拠している。
『議論において、相手の誤謬を論理的に指摘できる。一般法則を導出する為に、仮説が経験的事実をうまく説明できるか確認する。』といった論理的・科学的姿勢の古代ギリシア世界での起源は、やはりソクラテスプラトンではなくアリストテレスにあるだろう。
アリストテレスの論理学についての概要は、『オルガノン』が収録されている全集を読むのが一番だと思いますが、論理学の入門書でも三段論法や述語論理についてなどは必ず紹介されているでしょう。

アリストテレスの三段論法というのは、簡単に言えば、

といった思考の形式、論理構成に典型的に見られるもので、『大前提』と大前提に包摂される『小前提』を述べておいて、必然的な『結論』を導くものです。
三段論法そのものは、思考の必然的な流れの法則であって、内容そのものの真偽には関与しません。

つまり、

  • 全ての日本人は、天才である。
  • 優子さんは、日本人である。
  • 優子さんは、天才である。

は、三段論法の推測として論理的な誤りはありませんが、大前提そのものの内容が真であるか偽であるかは定かではありません。
故に、結論の内容が経験的事実と一致する為には、大前提と小前提の内容が経験的事実と照らして真でなければなりません。

三段論法で使用される真偽判定の対象となる命題(文)には以下のようなものがあります。

  • 全称肯定判断(全ての動物は、生物である)
  • 全称否定判断 (全ての人間は、不老不死ではない)
  • 特称肯定判断 (ある動物は、空を飛べる。)
  • 特称否定判断 (ある人間は、科学者ではない。)

命題を記号で表記する記号論理学(数理論理学)に発展すると、更に精緻に人間の思考の一般法則について探究することが出来るようになります。

http://ysserve.cs.shinshu-u.ac.jp/Lecture/SymbolLogic/logic.html

に綺麗に記号論理学や述語論理が整理されていますが、命題を記号によって表記して真偽判定するのはなかなか難解ですね。
ウィトゲンシュタイン形而上学(思弁的哲学)の否定や言語ゲーム論理実証主義に基づく物理学帝国主義の挫折などいろいろ興味深いトピックがこの領域にはあります。