国民医療費の抑制の必要性と混合診療のメリットとデメリット


たかはしさんの示唆深いコメントを受けて、もう少し混合診療と医療財政の問題をまとめてみたいと思います。

医療行政改革を考える際には、その改革によって“誰が”恩恵を受けるのかという視点が重要になってくると思います。
そして、その利害の絡まりあいは、非常に複雑で、同じ集団に属していても利益を受ける者もあれば、損害を受ける者もあるでしょう。
医療費総額を抑制しなければ、人口構成が逆ピラミッドになる高齢化社会において国民皆保険の原則が崩壊する恐れがあるという事なのでしょう。


増大する医療費の負担を何処に持っていくかについての選択肢として、

1.国民健康保険料を値上げするという『国民負担の増加』
2.国民健康保険の自己負担率を引き上げるという『国民負担の増加』
3.診療報酬体系を見直して引き下げるという『医師利益の削減』
4.診療報酬体系を見直して引き上げ、医療利用回数を減らすという『医療機会の削減』
5.民間の生命保険会社に段階的に委譲していくという『医療保険の民営化』

が考えられますが、どれをとっても、国民の負担は増加する可能性が高く、その他の増税政策と相まって厳しい時代になりそうです。
日本の健康保険制度は、世界的に見ても優れてはいますが、近年の飛躍的な医療費の増加によって、自己負担比率が引き上げられましたので、社会保障の手厚い欧州先進国と比べれば自己負担はやや高い水準となっています。

http://hodanren.doc-net.or.jp/kenkou/kanjafutan/kanjafutan.htm では、

  • イギリス 2.4%(1995)
  • ドイツ 6.0%(1997)
  • フランス 11.7%(1996)
  • 日本 15.4%(1998)

となっています。
ちなみに、イギリスとドイツの窓口負担は基本的に無料で、自由診療を除いては国民医療費の全てを国家が負担しています。その分、社会民主主義国家の常であるように、所得税や消費税といった税金が高く設定されているのですが、アメリカの新自由主義的医療政策とは対極にあります。
日本には、社会保障を今後どのような方向へ推進していくのかの明確なビジョンがないことが最大の問題であり、国民の健康と生命を保護するという国家の重大な社会福祉の責務を忘却するかのような無責任な態度には強い批判精神を国民は向けていかなければならないでしょう。

私は、医療費削減に重要な役割を今後果たすのは、『予防医学』の進展ではないかと考えています。
不健康な生活習慣などで疾患を発病してから病院に行くのではなく、意識的な努力によって生活習慣そのものを規則的で健康なものとする事で、長期の治療が必要な慢性疾患となりやすい高血圧・高脂血症・糖尿病・心疾患などの生活習慣病や重大な結果を招く成人病を事前に予防することが出来ます。



日本医師会厚生労働省既得権益の保持(医療費抑制を最低限度に留めたい)という裏の動機は、混合診療を解禁する事によって本当に患者にメリットがあるのであれば大きな問題ではないと思います。


混合診療を導入する事のデメリットとしては、

1.お金のある人とない人とで、受ける事の出来る医療に格差が生まれる。
2.混合診療を推奨する事で、国家の医療費負担が抑制されるが、本来、保険診療で治療できる疾患にまで混合診療が行われる事で、患者負担が増加する。
3.混合診療を推奨する事で、新薬や先端医療技術を保険適応させようとする製薬会社のモチベーションが落ち、結果として長い期間、保険適応されない薬剤を使わざるを得なくなる。(新薬の審査・承認には、莫大な費用と長い時間がかかるが、混合診療であればわざわざ国に承認して貰わなくてよい為。)
4.海外で安全性と有効性が確認されている薬剤でも、日本人への投与では重篤な副作用が生じる危険性がないとは言えない。

が考えられる。

混合診療を導入する事のメリットとしては、

1.保険適応のあらゆる治療を試したが効果がない患者が、最後の希望を掛けて適応外の新薬や新技術を使った治療を受けたいと願う場合、自己負担分が少なくなる。
2.今まで全額負担であった為に、新薬を利用できなかった経済階層の患者の中に、混合診療を導入する事で利用できる患者が出てくる。
3.混合診療で安全性や有効性が確認されれば、速やかに保険適応と承認する新制度を作る事で、今まで時間と費用のかかっていた新薬の認可・承認が迅速化する事が期待できる。

が考えられる。

新薬の安全性の保証と副作用の危険性の面では、保険適応以前から大量に使用されていたイレッサ(ゲフィニチブ)の副作用のような事例もある為、慎重な臨床検査による安全性の確認は必要ですが、余りに慎重で複雑なプロセスが必要だといつまで経っても保険適応されないというジレンマがあります。

製薬会社が新薬の研究・開発をして、安全性と有効性を確認する大規模な臨床試験を行い、国家に保険適応の薬剤として承認されるまでには、数十億〜数百億円という莫大な資金が必要で、そのコストを短期間で回収して利益に変えていかなければならないため、新薬は通常、保険適応されていても非常に高額です。

私達が、重篤な回復困難な癌や特定疾患(難病)などの疾患にかかってしまった場合、保険診療の枠内に留まらず、ありとあらゆる治療手段を利用したいと願うならば、継続的な高額の経済的支出を覚悟しなければなりませんが、それでも納得のいく効果が得られるかは分かりません。

ヒポクラテスの医の倫理を越えて、医療の実践と享受は、市場原理の無視できない影響にさらされています。
医療技術と薬剤の開発に莫大なコストがかかる以上、誰かがそのコストを負担しなければならないのですが、その負担を国家と国民と企業がどの程度の比率で分担していくのかが医療にまつわる社会保障政策という事になるでしょう。

医療に限らず、教育、介護、年金、保険、生活保護等の経済的弱者への福祉といった社会保障問題における負担と給付の関係は、これからの日本社会にとって解決困難な最大の問題になってくるでしょう。

自然の冷酷な摂理に対する人間の知性の抵抗としての医学は『知は力なり』の具現ですが、その知に一歩先駆けて、病気という自然は人間に容赦のない攻撃を仕掛けてきます。
四苦の一つである『病』と『死』を、『生への執着の解脱』といった仏法とは違う形で克服しようとするのが、科学であり医学なのかもしれません。