日本とアメリカの医療保険制度と混合診療の問題


日本の医療保険制度や医療政策は、現在、数々の厳しい批判や叱責を受けているが、日本の医療制度や診療内容を、諸外国の医療の実際と比較すれば、医療機会均等の面を中心にして、世界で最高水準に近い医療が行われていると言えるのではないかと私は考えている。
日本の医療が、『最先端の医療内容(薬剤処方・手術技術)と質の高い医療介護』の面で、アメリカや欧米諸国に特別優れているわけではないが、『医療機会の均等を保障するフリーアクセスの実現』に関しては欧米諸国に比較して一歩も引けを取らない。

つまり、経済的貧困がダイレクトに『医療を受ける機会』を侵害することの少ない国民皆保険制度が日本では採用されていて、現在までそれが維持されている事によって、殆どの人が医療を受けたければ受けることが出来る。
高額な保険が適用されない自由診療によらなければ、質の高い医療にアクセスし難いアメリカとは違って、保険診療が主流の日本では、保険適応の診療報酬が画一的に標準化されている事によって、余ほどの経済的困窮にない限りは、誰でもが本当に病気で苦しんでいる時に医療機関にアクセスすることができ、通常の病気であれば、数千円の範囲で治療を受けることができるだろう。

勿論、現在議論されている喫緊の医療問題は、『国民医療費の飛躍的な増大による医療財政の破綻』の問題であり、膨大な医療費増加をもたらす来るべき高齢化社会に備えて、公的保険制度や診療報酬体系をどのように改革していけばよいのかという事が主要な議題となっているのである。
何故、戦後一貫して医療費が上昇し続けてきたのかという問いに対する答えは、『単純な人口増加による医療費増加』『少子高齢化による公的保険制度の負担者減少』『高度医療に代表される医療技術の進歩発展による機械・施設の拡大と医療費増加』『患者が医療に求めるニーズの多様化とその対応による医療費増加』などに求める事が出来ると思うが、どれも迅速な対応や効果的な改善が難しい問題である。

新自由主義者であれば、『医療も患者の需要と選択といった市場経済原理によって運営されるべきで、公的医療保険といった形で、政府が国民の医療負担の大半を肩代わりする現在の医療保険制度が間違っている。保険も含めた医療業務全般を民間に任せるべきだ』と考えるかもしれないが、医療機関を株式会社や有限会社の様な会社法人と全く同一のものと考える立場には、医療機会の均等や医療業務の性質などを考えると容易には同意し難いという印象を持っている。
医療は原則的には『健康や生命を取り扱う福祉領域の仕事』であり、利潤を追求する事を第一義とする会社法人とはその性質を異にしておくべきではないかという思いがあるし、民間の加入保険の種類や医師の能力の市場価値への置き換えによって、厳然たる医療格差を招くことは『生命に経済的な値段が付与』されるイメージを国民に与えてしまう。
また、民間の保険会社が健康保険を販売する場合には、日本の公的な国民健康保険制度と同等の負担額では、現在受けている医療が殆ど受けられなくなり、結果として個人や世帯の医療に要する費用は高くなるだろう。


市場経済のメカニズムに全幅の信頼を寄せる新自由主義者が望ましいと考えているのは、公的医療保険の範囲を段階的に縮小して、健康保険業務と医療関連の支出を民間に委譲していく事であるが、そういった医療の規制緩和は、おそらく結果としての医療格差につながる。

新自由主義的な医療の構造改革に、諸手を挙げて賛成できる人の意見は以下のような感じになる。

『公的保険よりも民間保険の方が、国家財政を悪化させる恐れもないし、自分の事細かい要望や欲求に応えてくれるので自己責任で加入する民間保険のほうが良い。画一的な標準化された保険適応の保険医療では、海外で効果が高いと認められた新薬や最先端技術が使用できないので、保険適応外の自由診療のほうが良い。だから、自由診療を受けた場合に自己負担が減ることになる小泉政権が医療の抜本的な構造改革として挙げている“混合診療”には全面的に賛成である。医師の知識・能力の質の高さが判断できないので、医師・医療機関の格付けを行えるアメリカのような“医療の市場化”を推進すべきだ。』

私は、公的医療保険の範囲を縮小して、医療保険を商品とする民間の金融保険企業に段階的に医療行政を委譲していく事には、『医療格差の是認』の恐れが強い為に基本的に反対だが、混合診療の導入そのものは、慎重な討議と国民への十分な説明が行われるならば混合診療を導入するメリットのほうが大きいのではないかと考えている。
また、『医療の市場化』は、それを先進的に推し進めてきたアメリカの状況を見てみると、余り支持できるものではないが、医療機関や医師に関する積極的な情報公開は行うべきであり、公正で合理的な一定の評価基準を策定する事も必要になってくると思う。
レセプト(診療報酬明細)のオンライン化や希望する患者へのレセプトやカルテの開示、医療費の内訳を記した領収証の発行などの検討を進めて、混合診療を導入したほうが不正請求や不要な高額治療の押し付けの問題を回避できるように思える。

安易に高額な医学的検査を勧めてくる医師がいても、患者は基本的に医学や診療に関して素人である為に『その検査はしなくてよいです』とは言い難い。
それと同じように、難病や慢性疾患で悩む患者が、利益を優先する医師から保険適応外であまり効果の期待できない高額な自由診療を『この治療をするしか方法がない』と言われて実施せざるを得なくなる状況も考えられるので、全ての保険適応外の自由診療や全ての医療機関・医師に対して混合診療を認可することには問題があるかもしれない。

積極的なレセプトや診療内容に関する情報公開の実施とインフォームド・コンセントやセカンド・オピニオンの普及によって、医師と患者の情報の非対称性を改善しながら、医療財政や医療行政に直結する医療制度を患者の立場にたって改革していくことが望まれる。
政治家や規制改革・民間開放推進会議のメンバーの方々は、医療制度の改革問題を、日本医師会厚生労働省財務省、民間金融保険会社などの利権や権益、許認可権の奪い合いの場にすることなく、万人に開かれた公正な医療体制確立の追求に尽力する形で議論を進めていって欲しい。


  • 保険診療・・・安全性や有効性が十分な臨床試験によって確認され、診療報酬体系に組み込まれた標準的な治療法と薬剤。
  • 自由診療(保険適応外診療)・・・海外での臨床試験に合格した薬剤や治療法ではあるが、日本国内での承認が得られていないもの。未だ日本国内で臨床試験をパスしていない最先端の医療技術や新薬。また、医師が効果があると信じて行っている個人的な治療法。保険が適応されない治療法で、現在では保険診療と併用して、自由診療を受けても全額自己負担となる。
  • 混合診療・・・現在、検討されている混合診療は、保険診療と一緒に自由診療を受けた場合に、保険診療の部分だけは保険が適用されるというもの。従来の医療保険では、混合診療は原則禁止であり、少しでも自由診療の技術や治療を用いると、保険診療の部分まで自己負担になるという不合理で懲罰的な診療請求が為されていたため、混合診療の条件付き解禁は、国民(医療の受益者)にとってのメリットの方が大きいと言えるのではないか。


薬剤の効果や副作用には、人種差や民族差があるという事で、日本の厚生労働省は、アメリカや欧州等医療先進国の臨床試験を基本的に信頼していない。その為、海外の治験の結果を応用して、簡易な臨床試験による薬剤の承認が行えない為、薬剤に保険適応の承認を貰う為には、そのプロセスにおいて莫大な費用と多くの人手が必要である。
先端医療技術や有効な新薬の保険適応の承認を迅速化させる為には、海外の臨床試験のデータを必要に応じて利用できるようにする国際的な治験の標準化を進めていき、安全性と有効性に関する共通基準を見据えなければならないと思う。

これから、日本の医療と医療財政に求められるのは、『国民医療費の抑制』と『医療の質の確保』『国民皆保険による医療機会の均等の維持(医療機関へのアクセスの容易さの維持)』『迅速な新薬や先端医療技術の導入を可能とする認可体制』『医療格差の是正』という事になっていくが、医療費の抑制と医療の質の確保は、二律背反的な関係にあるので、全てを同時に実現することは至難であろう。

医療の市場化であるアメリカ型の医療制度と医療を社会保障の一部と考える日本も含む欧州型の医療制度、どちらにも一長一短はあるが、国民の健康や生命の尊重という原則を見失わずに医療問題を考えていくことを忘れてはいけないと考えています。