病態の三段階とタイプA考察による自己の心身状態への気付きの重要性


人間の病気(疾患)の原因は、要素還元的に考えると、大きく以下の要因に分ける事が出来る。


  • 遺伝的要因・先天的体質
  • 化学物質、放射性物質による汚染・環境的要因・外部の有害刺激(ストレッサー)
  • 性格・人格の特徴による思考・感情・行動のパターン
  • 喫煙・飲酒・運動・睡眠などのライフスタイル


これらの要因は相互に複雑に絡み合って、病態や精神症状を増悪させたり、軽快させたりするが、『生きる意味への何らかのアプローチ(自由・責任・価値・遊興・快楽・休息など)』という実存傾向が混乱した場合には、性格への歪曲的な影響が生じ、アルコール・薬物の濫用や暴飲暴食、拒食、睡眠障害などの『自己破壊的なライフスタイル』に陥る事によって深刻な病態を招く事もある。
その意味において、病は気から、病は自己認識の混乱から生じるという見方は正しく、心身相互関係を排除した病理学や心理学には有用性や実効性の面において不適切で不完全なものとなってしまう。

ある個人を他者が理解しようとする場合、その個人のあらゆる側面や歴史、感情の変遷を余すところなく知り尽くす事は不可能である。
出来うる限り、総合的に全人的にコミュニケーション(intrapersonal communication)を取って理解する努力をしようとするならば、id:cosmo_sophy:20050111に記したように『身体・心理・社会・哲学(実存)の位相における個人の総合的理解』を志向する事になる。


人間の苦悩や死生観において、病気は非常に重要な意味合いを持っている。
老衰による自然死でない場合には、人間は何らかの疾患によって死を迎える事になるが、病気の進行度合いを三段階に分類整理すると以下のようになる。


  • 機能的病態・・・感覚・認知・運動・内臓機能などの機能的な障害や症状が出現して、痛みや不快感、痺れ、かゆみなどはあるが、医学的所見で器質的異常が認められない病態で、早期に身体や精神の異常に気付き、適切な治療対処が出来れば、十分に完全な治癒が見込めるか、治癒できなくても病態の進行を抑制し、苦痛や不快を緩和する対応ができる。東洋医学では『未病』と呼ばれ、未だ病気として完成していないとされる。あるいは、『お血』と呼ばれ、静脈の汚濁や滞留とされたりする初期の不健康な状態とされる。
  • 器質的病態・・・内臓器官や脳、血管、血液成分などに器質的な病変が発生し、医学的検査によって明確に病態の原因を確認する事が出来る完成された病態である。病態の種類や進行度によって、可逆的であったり、不可逆的であったりする。不可逆的な病態は、そのまま西洋医学の到達点の限界を指し示す指標となり、医学の進歩発展とは治癒不可能な病態を克服する歴史であったと言う事が出来る。キュア(治癒)出来ない重度の病態に対してはケア(支援)するという医療態度への切り替えを行わざるを得ない、それが現在のホスピスでのターミナル・ケア(終末期医療)と呼ばれるものである。
  • 致命的病態・・・現在の西洋医学の到達点の限界を越える深刻な病態であり、キュア(治癒)不可能な末期の病態である。しかし、自然科学的な態度と仮説検証の進歩主義を持つ医学は前進することを止めない学問分野であり、現在はキュア不可能であっても、将来においてキュア不可能と断定することは出来ない。ヒトゲノム全解読を前提としたテーラーメイドな遺伝子治療、高度な発展を見せる代替器官による再生医療と人工臓器製造、臓器移植などの先端高度医療の可能性には期待と不安の双方が交錯している。人は、どこまで生命を人工的に操作してよいのか、その答えは、宗教権威の失墜した現代において、科学者共同体の倫理観とそれを監視指導する生命倫理委員会や主権者である市民の判断にかかっている。



自分自身の健康を維持増進し、出来るだけ軽度の疾患の間に健康状態へと回復する為に最も必要なのは、『機能的病態への早期の気付き』であり、診療場面での早期発見であると言えるが、精神的ストレスを原因とする機能的病態である場合には、本人自身が社会環境での積極的な過労状態を当たり前の正しい状態と認知している場合や外向性のインセンティブのみを行動原理としている場合もあるので、機能的病態の段階では気付く事が難しい。

重篤な外科的手術などを要する器質的病態に進行する前には、殆どの場合において、何らかの身体的・心理的なメッセージが出ているものであるが、心身過労による心筋梗塞での突然死などのケースでは、過剰適応と心身過労に無自覚であったり、自覚があっても限界を超えたハードスケジュールを周囲の期待に応える為に無理にこなしている場合が多い。
また、『ストレス・コーピング(stress coping:ストレス対処法)』と呼ばれる、ストレス状況への対処の仕方、ストレス解消法の実施の内容によっても、生活習慣病の発症リスクを高めることがある。

古典的なストレス・コーピングとして、喫煙・飲酒・ギャンブル・風俗などに代表される『飲む・打つ・買う』が言われるが、これは程度が過ぎると、自己破壊的な生活行動の悪循環を生み出し、ストレスを解消する効果よりもアルコール依存症ギャンブル依存症、肺癌、心臓疾患といった病気を招いてしまう可能性がある。

ストレス・コーピングがあまり得意でなく、循環器系に負担をかける性格傾向であるために、心筋梗塞狭心症といった冠動脈疾患を発症するリスクが高い性格類型に『タイプA(A型行動性格)』というものがある。


  • タイプA(A型行動性格)・・・野心的で全ての物事を勝ち負けにこだわって認知する傾向があり、他者との競争欲求が旺盛な性格で、仕事熱心であり、従事している職務においては高い業績をだし、高い評価を得ている。ワーカホリックな生活を送っていて、人生の第一義は『社会的・経済的に評価され成功すること』であり、それ以外の事柄に割く時間は必要最小限にしようとする為、家族関係や友人関係などの個人的な心理的充足を得る関係は希薄になりやすい。自己主張が強くて、大声で早口で話すタイプが多く、食事時間も惜しむかのように早食いの場合もある。いつも、時間に追い立てられているような切迫感があり、精神的な余裕がなくなっていて、仕事と無関係な少しの待ち時間や相手の応答の遅さ、車の渋滞などにもイライラして我慢できない。基本的に余暇を楽しむ事や休息を取るといったことに無関心で、疲労や病気を訴える事が人生にとってマイナスであるという意識が強い。社会適応そのものは非常に良く、仕事をテキパキとこなして成果を出す自分自身に対する自尊心や自負心は強いが、反面、現在の社会的地位や仕事を失ってしまえば自分には何も残らず無価値であるという極端な二分法で物事を考える傾向がある。
  • タイプB(B型行動性格)・・・タイプBは厳密的な定義はされてないが、タイプA的でないのんびりした性格といった程度の意味合いである。少し具体的に説明してみると、競争心や野心が余り強くなく、マイペースで全ての物事に当たろうとする為、企業や仕事の場面では極端に高い業績や評価を出す事はあまり期待できない。ただ、時間的切迫感がないので、待ち時間や渋滞などに対する焦燥感やイライラが生じにくく、ぼんやりと無為に過ごす時間を大して無駄であるとも考えない。人生の第一義として限定できるような活動を持っている事が少なく、その場その場でやりたい事を見つけて楽しむ感覚がある。家族関係や友人関係などの娯楽的な時間を仕事の時間と同程度に重視していて、余暇や休息を取る事に躊躇いがない。その一方で、マイペースが過ぎると、社会適応がやや悪くなり、非社会的行動などの問題によって経済的・社会的なデメリットを負う場合もある。


冠動脈疾患のみに限定して考えると、過度の飲酒や喫煙、不規則な高カロリー・高脂肪の食事の摂取などの不適切なストレス・コーピングを基盤にして、時間的な切迫感による落ち着きの無さや短気を出しての焦燥感や怒り、周囲に過剰適応して疲労や病気を訴えられないワーカホリックな生活態度が、健康に悪い生活習慣の基盤を利用して、心臓や血管系に大きな負荷を持続的に掛けたと考えられる。その結果として、冠動脈疾患が発症する可能性が高まってしまうのである。

しかし、タイプAの性格行動類型であるからといって必ずしも重篤な心臓疾患になるわけではなく、十分な休息と適切なストレスへの対処と解消が出来ていれば問題がないことも多いし、タイプBよりも社会的・経済的に有利な位置にいる場合も多い。一概に、どちらの性格行動類型に近いほうが良いかは断定できず、それぞれ一長一短があり、個々人の人生設計や価値観、生命観によって(無意識的にせよ)選択していくしかない。

ライフスタイルの見直しとバランスの是正といったものに、ある程度意識的であることによって、致命的病態に至るような生活習慣病を予防できることが多い。
栄養配分を考えた食生活、十分な心身の休養となる睡眠、心理的な満足や娯楽となるようなストレスを緩和できる親密な楽しい人間関係、血管系の障害につながる肥満を抑止する為の適度な運動の習慣、喫煙や飲酒習慣の適切なレベルの維持もしくは禁煙(ストレス解消や喫煙の嗜好による快と喫煙の健康への害との利益衡量による選択)などのライフスタイルの考察と改善を行って、『自分らしい幸福につながるライフスタイル』を模索する過程において、『自己決定・自己選択・自律性』を前提とした人生の喜びや価値が芽生えてくるのではないかと考えている。