性格心理学の伝統的方法論としての『類型論と特性論』


人間の個人が動物の個体と異なる事を示唆する心理学的な概念を考えるならば、『人格(personality)』と『性格(character)』がまず考えられます。
人格と性格は、後天的な経験と環境の影響を非常に強く受ける可変的で柔軟性のあるものですが、一般的に年齢が高くなるにつれてやや柔軟性が欠ける傾向があり、頑迷固陋さや偏屈さ、偏狭、依怙地といった性格特性が前面に出てくると人格や性格の固定化が見られる事もあります。

人格と性格は、厳密に区分されない場合もありますが、人格のほうがより高次の包括的な全体的な概念で、後天的な人間関係や対人評価、知識学習や技術習得などの影響を受けながら漸次的に完成され特徴付けられてくるものです。
性格は、人格よりもやや狭い範囲の個人の心的特徴や行動傾向を示す概念で、知性や理性よりも対人関係における情動・感情・態度の側面により重点が置かれる事がありますが、意識的な反応や行動によって規定されるという意味では人格と同等の概念であり、人格・性格といった言葉を用いずにパーソナリティといった用語で両者を統合したような意味合いを持たせている場合もあります。

パーソナリティが後天的で柔軟性のあるものであるのに対して、『気質(temperament)』は、遺伝的素因による影響を強く受け、生得的で反射的な側面を強く持ち、快楽原則に規定される情動面の反射反応として用いられる概念です。


遺伝素因→体質→気質→性格→人格の順番で、後天的な要因や環境を受けて変容する可能性が高くなっていきます。

性格心理学が、個人の性格を分類整理し理解する為に取る方法論には、大きく分けて『類型論』と『特性論』の二つがあります。
性格心理学の起源は、ヒポクラテスとガレノスの四大体液説による四気質分類(多血質・粘液質・胆汁質・黒胆汁質)にあるが、これが科学的根拠のない思弁的な枠組みではあるが、類型論の手法の典型的な例です。

類型論の特長は、個人の顕著な分かりやすい全体的特徴と行動パターンによって幾つかのタイプに分類し、多様性と複雑性に満ちた性格を単純化・簡易化して質的に把握しようとする点にあります。
その為、一般的に世間で普及する性格分類や人気の出る性格診断の殆どは類型論の方法を用いて、『あなたはタイプAです。あなたは外向思考型です』と言う様に結果を割り当てていく単純なものです。

類型論の長所は、極めて簡易化されていて分かりやすい事と複雑な性格をイメージで大雑把ではあるものの容易に把握できることです。
その短所は、その心理テストに定められた少数の限定的な分類・タイプしか選択肢がなく、そのどれにも当て嵌まらないように思えても強引にその枠組みに個人の性格を押し込めてしまう事です。
類型論は、ある理論に従って作成されたタイプに個人を当て嵌めるおおまかな質的評価であるために、顕著で特徴的な性格傾向のみに注目する結果になったり、典型的なプロトタイプの性格類型に全ての個人を割り当ててしまう正確性の欠如があります。

個人間の性格の微妙で精細な差異や特異的で個別的な特性を正確に把握する目的には、類型論は用いる事が出来ず、科学的な統計を用いた検証にも不向きですが、その個人の性格が大体どのような傾向を持っているか、大雑把な枠組みのどこに位置するのかを知りたい時には簡単で便利な方法ではあります。

類型論の方法を用いた心理学者は、ヨーロッパに多く、その欠点を克服しようとする流れは、アメリカのキャッテルやオルポートという特性論を採用する学者の間で生まれました。
類型論が質的評価をタイプ分類への当て嵌めで行うのに対して、因子分析を行う特性論(特性因子論)は、性格を量的に測定し統計化することが可能な『特性(性格構成要素:trait)の集合体』であると考えて、より詳細な性格の理解を検証可能な形で目指しました。
性格構成要素である特性そのものは、行動・思考・感情・認知・態度・価値観などに関する表現を日常言語の中から検索して選択されるもので、その測定方法も自己記入方式の質問紙法か構造化された調査面接ですので、自然科学としての厳密性や実証性には及びません。
しかし、多数の特性を抽出してそれを組み合わせることで個人の性格を記述しようと試みることで複雑な性格を類型論よりも高い精度で測定できるようになったとは言えるでしょう。
精度の高い特性論の欠点は、細かい性格構成要素の一つ一つにこだわって量的に測定する事で、個人の性格像の全体が把握し難くなることであり、これは、そのまま類型論の長所ともなっています。
類型論と特性論は、相互的に長所と短所が入れ違っており、相補的な関係にある性格調査方法なので、自分が全体的な個人の性格を把握したいのか、より詳細な特性因子の出現頻度を知りたいのかといった目的に応じて柔軟に使い分ければよいでしょう。

当然のことですが、人間の性格の内実を微に入り細を穿って知り尽くすような方法論は現時点では存在しませんし、それが可能となるとすれば、個人の恣意や選択が働かない非言語的で科学的な方法と検証になるでしょう。
しかし、そういった脳科学や神経計算論による精細かつ徹底した心理分析では、私たちが実生活の行動や性格変容や対人理解に役立てるレベルの解答を言語的に導き出す事が目的ではなくなっている可能性が高く、脳内の電気的情報伝達や化学物質分泌の数値データに性格が還元されるという(科学的成果としての意義や薬物療法機械的施療への応用可能性といった意義は高いが)無味乾燥なものとなっているかもしれません。。