グレゴリ−・ベイトソンの学際的研究:Ecology of Mind…自然と文明の共生


グレゴリ−・ベイトソン(Gregory Bateson:1904-1980)のコミュニケーション理論が既存の学問体系に投げ掛けた問いとは、統合失調症の発病や経過に関する家族システムだけの問題に留まらない。
ベイトソンがコミュニケーション理論に託した革新的な野心とは、学習心理学が提示する学習モデルと遺伝学と進化生物学が提示する進化モデルに対する画期的な変革』であった。

ベイトソンという人物は、未開部族の生活様式や社会構造をフィールドワークを通して調査する人類学から学問の世界に踏み込んだが、心理学、精神医学、生物学、民族学など実に広範多岐な分野に旺盛な興味を燃やして、エレガントな思索と論理にこだわった研究活動を推し進めた人物である。
興味深い文化人類学の仕事として、パプアニューギニアインドネシアのバリ島の先住民を調査して、社会構造や価値体系、コミュニケーションと文化様式を明らかにした研究などがある。人類学の代表的な著作としては、ニューギニアの生活習慣や伝統文化を調査した『Naven』が挙げられるだろう。

余りにも幅広い知の領域を視野に入れていた為、ベイトソンの専門分野を単一の分野に限定して押し込めることは事実上不可能であるし、ベイトソン自身が既成のアカデミズムの枠組みに収まることを潔しとしなかったようである。

心理療法の分野では、前述した統合失調症ダブル・バインド理論を基礎においた『家族療法の始祖』として知られ、アルコール依存症の治療に貢献する『《自己》なるもののサイバネティックス理論』を提唱したりもした。
心理学とは全く異なる生物学の分野では、クジラやイルカのコミュニケーションの特異性を調査して、他の哺乳類のコミュニケーションとの比較を行ったりもしている。

ベイトソンは、自然科学者としてのアイデンティティを人生の途上で脱ぎ捨てて、最終的には文明社会の発展と自然環境の保護とが調和し統合されるようなシステム理論の構築に精魂を注ぎ、自らのエピステモロジー(知の形態)を『Ecology of Mind』と呼ぶようになる。
現代風に言えば、エコロジー思想や環境保護思想であるが、ベイトソンが模索したのは単純な環境保護や自然讃美ではなく、人間精神と自然環境の衝突を緩和するような健全な文明社会と自然科学観の構築であり、進歩や発展の欲求を内包するエコロジー思想である。

物質文明信仰に偏れば、人間は自らの生存の基盤である自然環境を自らの手で崩壊させてしまうだろうし、盲目的な自然崇拝に埋没すれば、現在まで我々の祖先が積み重ねてきた技術や知識が風化して原始的な不便な生活へと逆行してしまうだろう。
物質信仰と自然崇拝という極端な方向性に猪突猛進する蒙昧を戒めて、世界に対して科学理論が行う事実の記述を、ヒトという種と環境を永続させる方向に適用していかなければならないと考えた。

世界環境と物質資源を、人間的な政治力学や権力闘争の過程や予測として利用すれば“短期的な繁栄や勝利”を獲得することは出来るだろう。
しかし、先進的なテクノロジーと急速なイノベーションを実現する人間の目的意識や達成動機が、非可逆的な人類と生態系の破滅のプロセスに陥っていないかを適宜確かめていかなければ、どんなに驚異的で革命的なイノベーションを繰り返しても、全てが水泡に帰す可能性がある。

その確認手段を確立するためには、メタ・サイエンスの視点を獲得することがどうしても必要となってくる。
現代的に言うならば、科学哲学的な科学の本質と研究対象、利用範囲の是非を問い掛けるような賢明な理性的営為によって、科学そのものを検証していかなければならない。

ベイトソンの注目すべき白眉な着眼点は、トマス・クーンのパラダイム理論で著名な『科学革命の構造』(1962年)が発表される以前に、科学をメタの次元から把握して、近代科学の基盤である経験主義や検証可能性とは異なるパラダイムを打ちたてようと意図したところだろう。

ベイトソンの構想した科学とは、一般の近代的な経験科学とは質的に異なるもので『コンテクスト(文脈)の科学』と呼ばれ、日常経験と常識的判断のみから導かれる種類の学問体系を意味していた。
様々な学際的探求の中で、コンテクストは重要な位置付けを得ており、理論成立の説明概念として頻繁にコンテクストの概念が用いられているが、とりわけ、精神障害の発症と関係するコミュニケーション理論においてコンテクストの科学の本領が縦横に発揮されているということが出来る。


また、近い内に、家族システムとダブル・バインド理論について書きます。