「いんちき」心理学研究所を巡る沈黙のオーディエンスの意識化と孤独感について


「いんちき」心理学研究所|終了
「いんちき」心理学研究所|終了:その後
憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記:沈黙のオーディエンス


浅野教授という方が開設されていた「いんちき」心理学研究所が、閉鎖の運びとなったようです。
「いんちき」心理学研究所は、大勢の人が興味を持ちそうな社会現象や世間の常識、歴史問題など雑多なテーマを取り上げ、独自の心理学的分析と解釈を加えるというコンセプトによって作られたサイトです。
根拠となる客観的データや関連する参考文献を引いてきて、テーマに対する心理学的な分析を行い、『一般常識と異なる面白い見解を提示することで読者を楽しませたい』という意図が込められている事がその記事を幾つか読むと分かると思います。

浅野教授が、サイトを閉鎖の決断をする決め手となったのは、アクセス数は伸びても、読者からの共感のこもった反応がないという“沈黙のオーディエンス”を前にした虚無感や孤独感であったことが、以下の文章から伝わってきました。


まあ理由は色々あるのですが、沈黙のオーディエンスというか、いくら書いても全くと言っていいほど反応が無く、閲覧者が増えるほど壁に向って話している感が強くなっていくのは精神的にどうにも辛いので。

読者の存在を意識して、読者が面白いと感じるようなオチをつけて、懸命に長い時間をかけて記事を書いているという浅野教授のような書き手であれば、やはり、どんなにアクセス数が多くても、沈黙のオーディエンスばかりでは記事を書くモチベーションを維持できなくなってしまう可能性が高いでしょうね。
とはいえ、ブログやウェブサイトの作成者全てが、沈黙のオーディエンスに対する虚しさや淋しさを抱くわけではなく、私のように読者を完全に意識していないわけではないが、自分の思考の整理や興味対象の文章化などを主眼においている書き手などは沈黙のオーディエンスの存在から圧力や空虚感を抱く事は余りないでしょう。

ブログ・ウェブサイトの書き手は、インターネットという公共空間に自分のテキストによる著作物や画像・映像・素材などの作品を公開している時点で、『自分のテキストや作品』を不特定多数に見られたいという意識的・無意識的な欲求を抱えていますが、その“他者にまなざされる快楽”には階層的な構造があります。

  • 現実世界でURLを知らせた友人知人のみが閲覧して反応してくれれば良い……リアル直結コミュニティ型
  • インターネットの内部で知り合いになった友人知人を中心として“批判的でない信頼できる人”だけが閲覧して反応してくれれば良い……mixiに代表されるようなSNS的ネットコミュニティ型
  • 自分のテキストの魅力に応じた閲覧者数が適度に確保されていればよく、余りに多い閲覧者は逆にプレッシャーになることがある……儀礼的無関心を求めるマイペース型
  • 閲覧者数の最大化を求めず、自然に集まる閲覧者と穏やかな交流を深めていければよい……一般的コミュニティ型
  • リンクや検索エンジンを辿って出来るだけ多くの人に閲覧して貰いたいが、特別反応を求めるわけでもない……トータルアクセス&ユニークアクセス重視型
  • リンクや検索エンジンを辿って出来るだけ多くの人に閲覧して貰うと同時に、批判的であっても構わないので感想や意見を活発に貰い、対立的な論戦さえも楽しむ事ができる……議論促進コミュニティ型
  • 出来るだけ多くの人に閲覧して貰うと同時に、共感や承認のメッセージを貰って友好的な交流を行っていきたい……理想的コミュニティ型
  • 閲覧者の存在やアクセス数を余り意識せず、自分の書きたい内容の記事を自由に書ければそれでよい……気ままな唯我独尊型


浅野教授の望んでいるオーディエンスは、議論や論戦を好むようなオーディエンスではなく、友好的で共感的なオーディエンスのようですので、アクセス数の増加にこだわらないのであれば“一般的コミュニティ型”であり、アクセス数の増加と同時に友好的な交流のみを求めるのであれば“理想的コミュニティ型”に分類することが出来るのではないかと思います。
上記に、私が便宜的に分類した『閲覧者にまなざされる快楽の階層構造』で、最も強度が強く実現が困難なのは、やはり、理想的コミュニティ型のウェブサイト・ブログでしょう。

人間の心理特性として、アクセス数が膨大な人気サイトになればなるほど『テキストの内容の質が高くて、面白いのは一見して明らかだから、わざわざ自分が承認や激励のメッセージを送る意義はないだろう。他にも多くの人が既に肯定や賛成の意思表示を既にしているだろう』という気持ちになりやすいですし、アクセスカウンターの数字が増えるだけで快や満足を感じる“アクセス数重視型”の人も割合多いと思われますので、一日に数千、数万のアクセスがあるサイトはそれだけで大勢の人の支持を得ていると解釈している可能性も高いですね。

また、多くの人は、インターネットを閲覧する際に、テレビや雑誌のように一方的な情報の受信者として閲覧する事が多く、かなり大量のサイトを巡回しているとしても、作者への書き込みやメールをする事自体を始めから考慮に入れていない場合も多いでしょうから、面白いテキストを公開するだけでは閲覧者の具体的な肯定的反応を引き出すのは難しいと言えるでしょう。
莫大な売上を計上する一般的な書籍の著者に対しても、私たちは通常、特別に熱狂的なファンでもない限りは、その作品を読んだ感想や意見をメールで送ることは少ないように思えます。一方的に与えられる情報に対しては、内心で様々な感想や印象を抱く事はあっても、具体的なメール作成という行動を生起させるには及ばない事が殆どです。
「いんちき」心理学研究所の場合には、コメント欄が批判的なコメントや否定的な罵倒が多いことを理由に閉鎖されていたので、メールを送るしかメッセージを伝える手段がありませんでした。

テキストの内容の魅力や価値の高低とは無関係に、メールで応援や挨拶、共感のメッセージを貰うというのは、それ以前に友好的で協調的なコミュニティが形成されていないと難しいように思います。
一般的に、コメント欄が異常な盛り上がりを見せているようなウェブサイト・ブログは、何らかのテーマを巡る激しい論戦や攻撃的な議論が行われている場合が殆どで、批判や反論のない和やかな対話が頻繁に繰り返されているウェブサイトというのは、それ以前に既にネット内でのコミュニティや友好関係が形成されている場合に限られるでしょうね。
コメント欄を開放しておけば、時々、自分の記事を読んで好意的な感想を抱いてくれた閲覧者からメッセージを貰う事はあるかもしれませんが、それは偶然的な出来事であり、確率論的にしか語れない事でしょう。

共感的なコメントや好意的なメッセージを貰うための最も確実な方法は、自分自身がこまめに他のサイトを巡回してそのサイトに対する肯定的な意見をコメント欄に書き込んだり、作者の意見を補強するような内容のトラックバックを打ったりして、相手との心理的な距離感を縮めていく事とそういった地道な努力によって培われた親近感を複数の人間関係の中でリンクさせていき、活発にメッセージを取り交わせるような小さなコミュニティの構築を推進していくことでしょうね。

しかし、沈黙のオーディエンスからのメタメッセージを自分の希望通りの形で自由に解釈して、アクセス数や稀にくるコメントやメールから記事を書く意欲を引き出すという方法が気楽で良いかもしれません。
精神衛生上好ましくない閉塞感や虚無感に陥らない為には、沈黙のオーディエンスを喜ばせ、面白がらせることを第一義の目的としてブログ・サイトの記事を書くのではなく、自分自身が面白いと思う内容や書きたいと思うテーマを文章化する行為そのものを沈黙のオーディエンスと無関係に楽しめることも大切だと思います。
沈黙のオーディエンスの反発や批判を引き出すような記事の書き方には、社会問題や政治的立場に関する一方的で攻撃的な記事を書いてみるなど模範的な形式があるように思えますが、沈黙のオーディエンスの好意や賛同のみをメールやコメントの形で具体化させるような記事の書き方を考えるのは難しそうですね。

自分の記事が閲覧者にどのような形で認知され、どのような感想や意見を持たれているのかを知りたいと思う欲求の強度によって、沈黙のオーディエンスの重圧感と反応のない中での孤独な壁語りの虚しさの程度が変化してくるのかもしれません。
どのような目的や願望を抱いてブログやウェブサイトのテキストを書いているのかは人それぞれでしょうが、長期間にわたって無理なくテキストを書き続けていける人は、大きく分けて、コミュニティによる人間関係に支えられるタイプと書く行為そのものを楽しんでいるタイプとに分かれるように感じています。
自分の外部にある他者の評価や事物に価値を見出す“外向性”と自分の内面にある自己の信念や考えに価値を見出す“内向性”というユングの考えた性格類型とも照応してくる部分があります。