遺伝子決定論の陥穽

先ほどの投稿で、神経伝達物質や生体ホルモンといった生物学的要因に人間の精神状態を還元することの間違いを指摘しましたが、それと同じように人間の健康・疾患や才能・能力といったものの全てを遺伝子に還元しようとする立場にも警戒が必要です。
嗅覚との関連で、化学物質による決定論に近い考えを学者の中で述べたりする人もいますが、そういった立場にたてば『においの化学物質によって、人間の性行動、集団帰属行動、食行動が規定される』と言うことが出来ますが、勿論、私達の行動の全てがにおいの化学物質によって決定されているなどという事はないですよね。

人間には、行動主義心理学や行動科学が述べるように、『古典的条件付け(条件反射・レスポンデント条件付け)』や『オペラント条件付け(道具的条件付け)』に従う機械的な行動メカニズムの傾向もありますが、完全にある条件や刺激を与えられれば同じ反応や行動を取るわけではありません。飽くまでも、統計的つまりは確率的にそういう行動を取り易い傾向があるというレベルで物事を語っているに過ぎない事には注意を払う必要があるでしょう。
そういった注意や認識を忘れないこと、絶えず自分の現在や未来は選択可能性に向けて開かれていることを信じることが『自由意志の自覚』にもつながってくるのです。
そういった意味で、行動主義の心理学者ワトソンやスキナーなどには、人間の心理の表れである行動をあまりに機械的決定論的なものとして捉えすぎている偏りが見られます。
その偏りが何故、生まれたのかといえば、それはそれまで思弁的で主観的であった心理学を自然科学と同格の実証主義的な科学にしたいという科学至上主義的な価値観を彼ら(行動科学者)は持っていたからでもあります。
人間の行動は、一般的な法則やシステムとして認識され、誰にとっても客観的に理解できる数式で関数表記されなければならないという信念を持つ人は、科学的な心理学徒といえますが、人間の自由意志や個別的な要素については無頓着な人たちとも言えるでしょう。

また、私が遺伝子決定論の問題と思っていることの一つに、大気汚染・水質汚濁・環境ホルモン・窒素酸化物など化学物質の氾濫に代表される生活環境の悪化要因が大きく影響している慢性疾患が、単純な遺伝的要因による発病メカニズムに還元される事の問題があります。
これについては、またいつか詳述したいと思います。


いろいろ、還元主義的思考の実際的な問題について述べましたが、人間において嗅覚という感覚は、陶酔感や恍惚感を喚起し、幻想的な想像力を豊かにして私達を癒してくれる働きもあります。
嗅覚は、ある意味では、現実世界の物質性とは切断された不思議な感覚で、香水やアロマのようにどこへでも広がり、ぼんやりとリラックスした精神状態を生み出し、そして、忘れていた記憶や思い出、風景や場所をふわりと思い起こさせたりもします。
精神的な疲労感や感情的な高ぶりや苛立ちを感じる人に、アロマテラピーハーブティーなどのフレーバーティーが効果的なことも、香り=嗅覚の癒しの作用ですね。
香り高い紅茶は、私にとっての一服の清涼剤、意欲の取り戻し効果のある甘美な液体でもあります。