アパシー・シンドローム(apathy syndrome)とうつ病:学生の無気力現象


うつ病は、ここ最近のテレビ・新聞などの報道やうつ病に似た憂鬱感や無気力の症状を経験する人の増加によって非常によく知られた精神障害精神疾患)になっています。
その罹患率(生涯でうつ病に一度でも罹る確率は約10%)の高さから、軽症うつ病であれば『心の風邪』とも言われ、極めてありふれた病気の一つになっています。
社会構造と経済活動が複雑化して、生きていく上で様々な競争や努力を要求される先進国では特にうつ病に罹る人の数が増える傾向があります。

うつ病の症状は大きく分けて、『憂鬱感・気分の落ち込み・不安感・イライラ・焦燥感・希死念慮(自殺願望)といった精神症状』『意欲減退・無気力・無関心・億劫感といった心理的抑制の症状』『思考力の低下・記憶力の低下・読解能力の低下・決断力の喪失といった知的能力面の症状』『食欲低下・性欲減退・不眠・頭痛・眩暈・吐き気・腹痛といった身体症状』に分ける事が出来ます。
うつ病の特徴を一言で言えば生きるエネルギーの全面的低下と心身の完全な疲労困憊という事が出来るでしょう。

今日は、うつ病心理的抑制の症状である意欲減退・無気力・倦怠感などの症状と極めてよく似た症状を呈するアパシー・シンドロームについて説明しようと思います。
アパシーは無気力状態・意欲減退状態を意味する言葉で、アパシー・シンドローム神経症レベルの疾患として意欲減退症候群と訳されます。
元々は、ハーバード大学のウォルターズの青年期後期にある学生の無気力状態の研究によって作られた概念で、発達課題に対処する気力を失っているモラトリアム(重要な就職などの決定に関する猶予期間)遷延などの状態を指して使われました。

アパシー概念は、主に学生の心理状態や行動傾向に対して使用されるので、一般的にスチューデント・アパシーといった形で用いられる事が多いのですが、現代の若年層のフリーター増加現象や刹那主義的な生き甲斐の喪失の問題にスチューデント・アパシーの問題が関係していることも考えられる興味深い概念です。

スチューデント・アパシーの特徴として代表的なのは、無気力・無関心に付属する『生き甲斐・生きる意味の喪失・自己決定した行動の動機の不在』があります。
アパシー状態にある人に、『何故、そういった事をしてるの?』と問い掛けると、返ってくる返事は大方『何となくやっている』『暇潰ししてるだけ』『別に理由はない』というものです。
現在している自分の行動や考えに対して、自分自身もその動機がわからないし、目的も特別ないしといったアンニュイで漠然と薄い霧に包まれているような状態が想定されます。

アパシーうつ病と違う最大のポイントは、自我異質性の精神症状がないということです。つまり、無気力でぼーっとした状態や無感動で何をしても面白くないといった状態が続いていても、不安感や焦燥感、後悔の念といったものを感じることが殆どありません。
うつ病と違って、自分自身の主観的な苦しみや悩みがないので、治療動機に欠け、通常、アパシーの人が自発的に精神科やカウンセリングの門を叩くことはありません。

更に、アパシーでは本来やるべき仕事・学業と優勝劣敗が生じる競争的場面に対する無気力・無関心・退却傾向が顕著であるが、自分の好きな趣味や遊びだけは積極的に行えるケースがうつ病の場合よりも多いのが特徴です。
アパシーに陥る前の病前性格を見ると、うつ病に似て完全主義傾向があり、白か黒か、1か0かの極端な価値基準を持っていて、一番優れていないならば意味がないから何もしないほうがましだといった偏った判断をすることが多いようです。
競争的場面からの退却行動の背景には、強迫障害などに関連するとされる完全主義傾向や二分法的思考(黒か白か)と屈辱や敗北を過度に嫌う潔癖さや劣等感を完璧に排除したいとする自尊心の高さが見られます。

これらの事からアパシーは、本来、他者への優越欲求や社会内での存在感確立欲求があり、それらが何かの理由で挫折して自己防衛的な退却性の心理に変わったと考えられます。
退却する方向というのは、自分の自尊心が傷つけられず自信を維持できる場所に向かう方向であり、それが極端になると外界との接触を拒絶するひきこもりの状態に至ることがあります。
アパシーの場合、うつ病のような脳内情報伝達(セロトニン系やノルアドレナリン系)の障害が引き金になっている精神病とは異なり、純粋に心理社会的な原因(失敗・挫折体験、競争忌避感情)が想定される点に注意を要します。

発達心理学エリクソンの用語を用いれば、『自我同一性の拡散』状況を意味していて、自分が社会内においてどのような役割を果たせばいいのか分からないし、自尊心が満たされない立場に立つくらいなら決断を猶予したいと考えている状況だと言えます。
『自分が何者であるかを認識すること』が、現代社会においては他者・社会との関係の中でしか実現できない構造になっているので、自我同一性確立の為には社会的経済的関係の中に自分の身を投じていかなければなりません。
そこでは、当然、所得格差や社会的地位の高低、職種の違いなどがありますから、相対的な優勝劣敗の感情を生じさせる可能性があります。普通の人ならばとりあえず意欲的に行おうとする社会参加・職業選択でも、優越欲求やプライドが本来的に強くて繊細な感受性をもつアパシーの人たちには非常に大きな関門であり、できればモラトリアム(猶予)を置いて絶対確実な状況で社会参加したいと慎重に慎重を重ねて身構えてしまうという事になります。
勿論、本人はそういった自覚は生じにくいでしょうから、『自分は特別にやりたいことがない。やるべき時期がくればやろうとは思う』といった認識になってきます。

アパシーには、現代社会の受験競争と学歴主義、少子化による親子関係の親密化、フロイト的な権威(ファルス)としての父親像の喪失が影響など複雑な要素が相互連関しており、社会内での自己確立を出来るだけ遷延(先延ばし)したいという欲求に基づいています。
これは、社会の制度や体制に従属する事の抵抗感や自己存在の相対的矮小化に対する拒否感情、勤労と自尊心の過度の結びつけなどとも関連しており、漠然と過ごす時間感覚が麻痺したモラトリアムの中で無意識的な焦燥感や切迫感を感じている事も多いのです。

しかし、自我同一性の確立というのは、実は非常に難しい課題で、大人になって就職をして社会内での役割をとりあえず選択して受け入れたとしても、その後延々と『自分がどのような存在であり、どのような役割を果たしていくのがよいのか』といった葛藤や逡巡は続いていく事になります。
視点を変えれば、アイデンティティ確立とは、生涯を通して達成すべき永遠の課題といった側面を感じます。
将来の目的や目標を妥協せずに完全主義で見定めようとしても、それは不完全かつ相対的な人間には難しいことです。
特に物事の本質を直視しながら生きようとすれば経済生活とは別の面での自己存在確認欲求が高まりアパシーに陥りやすくなるとはいえるでしょう。
他者に見られる自己を強く意識しすぎるというのは、現代人の特徴でもあり、実際には存在しない内的な他者に対してあーでもないこーでもないと格闘しているのかもしれませんね。