グローバリゼーションの功罪と文化の固有性の喪失

冷戦構造の崩壊によって、自由経済市場が加速度的に未開社会を含む世界の全ての地域に拡大している。
それまで貨幣や商品が流通していなかった未開地域において市場経済化が進む事そのものが、良いことか悪いことなのか。経済学でいう所謂『規範的な部分』を考慮する暇がないくらいに、市場経済グローバル化という流れは早い。
利潤拡大を目的として、需要と供給によって交換が成り立つメカニズムは人間の自然的な欲望に適っている為、いったん、自由市場と貨幣・商品・サービスが持ち込まれるとあっという間にその地域には市場経済が根付く。

経済のグローバル化・グローバリゼーションの流れを堰き止めることは誰にも出来ず、政治的なイデオロギー対立や人為的な計画経済が終焉した現代においては必然的な趨勢といえるだろう。
ヒト・モノ・金がボーダーレスに驚異的なスピードで世界の隅々を行き交うグローバリズムは、ある意味でリヴィアサン的な強大無比な魔物としての絶大な影響力をもつ。

その影響力には、世界のどの地域にあっても貨幣経済が成立している事でとにかく便利で、未開発地域の都会化が進むといった『正の側面』と貨幣経済に突然飲み込まれた未開民族が資源や労働力を収奪され、固有のコミュニティが破壊されたり、都会化や車の普及で環境汚染が世界レベルで進行するといった『負の側面』がある。

グローバリズムは、良い意味でも悪い意味でも『世界の均一化・標準化』を進めていき、世界のどの地域でも文明的な先進国に合わせた生活・思考様式を定着させようとする『潜在的な文化の侵食性』を持っている。

グローバリズムとは、『各国独自の経済体制を持って非効率で不便な経済活動をするのではなく、世界共通の市場経済ルールを確立して、世界全ての国々・地域がその共通ルールに従って経済活動を行うことが効率的であり、世界全体の豊かさの増加につながる』という市場経済の世界的発展の思想である。
つまり、ローカルルールではなくグローバルルールに全ての国を従わせようとする暴力性も背後に隠している。
その暴力性の一翼を担っているのがアメリカの豊富な資金を持つ投資家・投機家という説もあるが、正にグローバリゼーションの過程は、クリーンなオフィスに腰掛けて、パソコンの画面を見ながら大金を動かすゲームの場所を増やしていく過程でもある。また、安心して大金を投資する為には、宗教的原理主義の台頭、民族対立・地域紛争やテロリズムなどの不安定要因を排除したいという思惑が働き、それがアメリカの民主化・自由化を強制するかのような強硬的軍事外交につながっていると考えられる。

一昔前に、頻繁に語られたグローバルスタンダード(世界標準)やユニバーサルデザイン(普遍的なデザイン)という言葉こそグローバリズムを象徴的に示す言葉であり、グローバル化する市場経済でより多くの利益を上げて、市場の強者になる為にはグローバルスタンダードを他社に先駆けて打ち立てなければならないのだ。

確かにハンバーガーなどジャンクフードが好きな先進国の旅行者は、世界の殆どの国でマクドナルドやケンタッキーを食べて、いつもと変わらない食生活を楽しめるようになっている。お金さえ持っていけば大抵の地域で、最高のサービスが利用できるし、土壁や藁葺きの土俗的な住居ではなくピカピカに磨かれた大理石の床と清潔なベッド、快適なシャワーが完備されたヒルトンに宿泊できる。

その代わりに、その地域独自の食文化が衰退したり、低賃金で地元の人たちが雇用されたりする。それまで自給自足で自然と共生できていた部族の人たちがハンバーガーを食べたいばかりに伝統的な生活を放棄して都市へ移住し、その結果、森林や山岳地帯にある部族や民族のコミュニティが荒れ果てて消滅していく。
先進国にも見られる現象だが、特に若者層は、都会の煌びやかな雰囲気や娯楽の多さと物質的豊かさに魅せられて田舎から都会へと人口移動する。そして、次第に地方の農村部は人口減少が進んで、高齢化が飛躍的に進み、過疎地域になっていく。日本においても、50年後あたりには、かなりの過疎地域の農村が廃村となり無人化して荒れ果てることが予測されている。
市場経済化した国において、都会への人間とモノの局所的集中が起こるのは自然な成り行きで、伝統的な変化のない生活を営む農村・村落は漸次的に衰退していく。

グローバリズム思想の問題点として、開発途上国貧困層の拡大といった実際的な側面と上記したような文化帝国主義的な乱暴さによって地域固有の伝統文化が衰微したり、未開部族のコミュニティが崩壊して都市への人口集中が起こることなどが考えられます。
コミュニティ崩壊作用としては、終局的には国民国家や民族国家、地域社会、宗教国家、イデオロギー国家などにも及びますが、しかし、国民国家・民族国家といった枠組みはかなり強固なのでそれら全てを統一的なグローバル化の枠組みで統一することは出来ないと推測できる。
そして、そのグローバリゼーションが進行する過程で、第三世界や未開社会など従来のコミュニティとの間で数多くの対立や紛争が起こる危険性も考慮に入れておくべきでしょう。

そういったグローバリズムの問題点の中でも最大のものは、今まで知らなかった先進国の物質文明に憧れを寄せて、従来の地域固有の文化が次第に失われていくことだと思います。
少数民族や未開部族の伝統的な固有文化や食事・服飾・婚姻などの生活様式、宗教儀式などが喪失していき、『文化の侵食・文化の画一化』が加速度的に進行していく。
しかし、現代社会の中では、進出してくる経済活動・貨幣商品経済に対して『知らない自由』は保障されていない。知るべくして知らされ、欲求を覚えるべくして欲求を覚えた人々に対して、グローバリズム推進者は『知る自由・豊かになる自由』は保障されなければならないというでしょう。
そして、現実的に世界経済をみるならば、グローバル化の流れというものは、個人でも地域でも国家でも押し留めることは出来ないあらぶるリヴァイアサンであり、良い面も悪い面も併せ持って押し寄せてきます。

私が疑問に思うのは、先進国の文明的生活を最高善と考えるかのような豊かさの基準が果たして真なのかという事です。
まぁ、禁断の果実をいったん食してしまえばそこからは抜け出られないといった特質が市場にはあると思います。