フーコーの関係的な権力作用に抗したレインの反精神医学


id:cosmo_sophy:20041109の記事に関連する一連の流れの中で、19世紀末〜20世紀初頭のクレペリンの早発性痴呆(1899年)やブロイラーの精神分裂病(1911年)などを振り返って、精神疾患概念の定義と整理の歴史を見てきました。
不治の病とされていた統合失調症が、治療可能な病に変化していった背景には、薬学発展の成果としての抗精神病薬メジャートランキライザー)の開発*1があるのは勿論ですが、それと並行して、イギリスのR.D.レイン(1927-1989)らに代表される『反精神医学』の歴史があります。

精神医学による精神分裂病者の治療は、DSM−Ⅳに代表される一定の診断マニュアルに基づいて診断を下し、プラセボ効果*2を排除する為の二重盲検臨床試験などの治験をパスした科学的根拠のある薬物(向精神薬)を投与する事によって行われます。
そこには、正気を持つ正常者と狂気を持つ異常者あるいは健常者と障害者といった区別が暗黙の内に存在し、統合失調症であると診断を下す者(医師)と下される者(患者)という非対称的な権力関係が介在することで『対等な理性や感性を持つ人間としてのコミュニケーション』が放棄されがちです。

対話可能性を放棄され、矯正や治療の対象とされた精神病者には、フーコー(1926-1984)が『狂気の歴史』の中で喝破した『産業化された文明社会における異質性の巧妙な排除システム』*3が関与してきます。
フーコーは近代社会に存在する権力をパノプティコン(一望監視施設)として捉え、権力は前近代的な『支配する者と支配される者の単純な二項対立的関係=ゼロ-サムゲーム的権力関係』では読み解けず、社会に生きる個人が主体性を獲得する過程で教育や人間関係、社会活動を通して『内在化した規範=他者の視線にまなざされる自己意識』に自動的に服従する事で権力はもっとも効率的に働いていると考えました。

具体的な権力者によって権力が行使される近代以前の絶対王政型の監視・処罰は『見える権力』ですが、近代以降の法律や制度によって行使される権力は、匿名的であり関係性によって産出される逃れる事の出来ない『見えない権力』であり、その権力は中心的価値基準を伝達する情報を媒介して、自律的かつ自動的に社会に張り巡らされています。
私たちは、日常生活の中で特別に権力を意識する事は殆どなく、内在化された中心的規範に自発的に服従する状況に絶えず置かれています。

現代社会における内在化された権力は、画一化された学校教育や労働環境の場で無意識的に植え付けられます。
いや、植え付けられるというよりも、社会的動物である人間の自己意識には、他者との比較や競争による差異化の欲望が本質的なものとして備わっている為に、集団内の平均的な基準を捏造し、その基準に照らして異質性を持つ個人を排除しようとします。
集団内の平均的な基準は、個人の優越欲求や疎外恐怖に根ざしていると同時に、集団の維持発展に貢献するか否かという目的志向にも対応しています。
産業経済社会では、経済的な生産活動に従事する事が出来るか否か、社会的関係を維持する為の他者との意思疎通が行えるか否か、集団の人口を増加させ集団を維持拡大する性活動を行えるか否かといった集団的な目的志向への適合が中心的な価値観の樹立へと繋がっていきます。

その集団の目的達成に貢献しない精神病者・同性愛者・反社会的人物・種々の障害者は異質性を持つが故に排除されたり差別されたりする恐れがありますが、それは明示的な外部にある強制的な権力によって行われている排除ではなく、規格化された画一的な人間観や道徳観を内在化させている私たちの『正常・異常の区別』によって起こってくる排除の作用です。*4

個々人の内部にある他者と比較対照して自己の位置付けを求める心理や社会的な階層序列化によって自尊心や優越感を満たそうとする欲望が、社会的な規格化されたシステムを自動的に形成していきます。
社会全体の労働力人口の増大や経済的生産力の上昇、犯罪や暴力の原因の事前防止といった大きな目標や目的は、政治権力によって志向されることはありますが、その政治権力を下から暗黙裡に支えているのは個々人に内在化された異質性への嫌悪や排除の規範であることを忘れるべきではないと思います。


精神病者との対話によるコミュニケーションが治療的な意義を持つ事を強調し、精神医学の権威的レッテル貼りや非人間的な科学的態度に反対する政治的な潮流ともいえるのが、1950-1960年代における反精神医学のムーブメントでした。
人間的な相互理解を前提とする精神医療を実存主義現象学によるアプローチで実現しようとしたレインが模索したのは、『正常と異常の境界線に捕われない人間関係の構築』『匿名的で関係的に作用する近代の権力を無効化する治療環境の確立』でした。
つまり、レインは、『医師-患者という社会的役割関係』から生まれる権力作用や『従来の医療施設のシステム』から生まれる病者アイデンティティ、更には『規律・訓練的な内在化されたまなざし』から生まれる自己否定的な絶望を否定しようとしたのです。
それは、精神分裂病という診断を下さず、医師としての権威を捨て去ることで『共感・理解的なまなざしの内在化』をクライエントに対して行おうとしていたとも解釈できます。

*1:1952年のクロルプロマジン(商品名:コントミンウインタミン)の開発を端緒に、次々と強力な精神安定作用や精神高揚作用を持つメジャートランキライザーが開発されました。その作用機序は、脳内の中枢神経系で興奮や妄想を生み出すと想定される神経伝達物質ドーパミンのD2受容体の回路を遮断する事にあるとされています。

*2:プラセボ(プラシーボ)とは、偽薬・擬薬を意味するもので、プラセボ効果とは乳糖やブドウ糖などの薬理作用のない成分で作ったものを『ある病気に効果のある薬』であると説明して飲ませる事で発生する心理的暗示の作用による改善効果の事で、薬剤開発にあたってはそのプラセボ効果を排除して真の医薬品・薬物の効果を試験する為に『偽薬を与えた群』と『本物の薬を与えた群』に分けて治験を行います。

*3:精神医療という権威あるシステムによって、社会的生産関係に参加しない『狂気』を秩序の枠外にある闇として疎外することで、光としての『理性』を際立たせる事が出来るという正常な理性の価値を高める巧妙な内在化された区別意識が働いています。フーコーが大監禁時代と呼ぶ17〜18世紀の時代の収容施設では、労働規範や性規範の秩序を乱す『怠惰無為なる浮浪者・乞食・困窮者』『生産に貢献しない重症者・障害者・分裂病者・売春婦』も異常として排除され収容されましたが、それらは医学的判断などによっているのではなく、『社会秩序維持と産業経済振興を目的にする倫理的・経済的』な要請を根拠としていました。権力は、社会の無秩序や経済力低下を嫌い、社会の生産力を増大させ、不安定要因から社会を防衛する形で作用してきましたが、その陰では本来監禁や拘束される必要のない人々の苦しみや不幸があったと考えられます。

*4:私たちは、幼少期からの社会的関係や学校教育の環境の中で、自分が所属する集団内の『標準・平均・規格』と自分を照らし合わせる自己認識の方法を習慣化させてしまっており、標準的価値観からの逸脱、平均的感性からのズレ、規格化された正常から外れた異常に自分が規定されることを恐れる規範(他者の視線)が内在化しています。その結果として、異質性の排除が社会内では無意識的な権力として作用することが数多くあります。