個体の差異の多様性と種の生存可能性:科学技術の進歩と倫理

id:cosmo_sophy:20041129で、血液型性格判断(診断)について幾許かの私見を述べたが、前回の記事で白血病に触れたので白血球の型についても簡単に説明したい。
白血病の根本治療である骨髄移植が日本では有名であるが、臓器機能不全や先天性疾患や異常奇形に対する臓器移植などでは、白血球型抗原(HLA:Human Leukocyte Antigen)*1の適合が非常に重要になってくる。
骨髄バンクや臓器移植ドナーに、大勢の人の登録を呼びかけるのは、ABO型とRh型が適合すればまず安全な輸血などと異なりHLAの適合する確率が極めて低い為である。

厳密には、HLAの型の全ては今現在まだ解明されていない状態であり、完全に型の一致する他人を見つける方法はない。その為に、適合検査に合格した相手の骨髄や臓器であっても、拒絶反応を絶対に起こさないと保証する事は出来ない厳しさが移植手術にはあるのである。
HLAは、現在判明しているだけでも、約200種類以上の型が存在していて、その適合率は血縁者でもそれほど高くなく、両親を同じくする兄弟姉妹で約25%の適合率、全くの他人では数万分の1の適合率とされている。*2

HLAの型に無数の種類がある事は、異物に対するリンパ球の応答反応などの拒絶反応を招きやすい為に移植医療においては大きな問題であるが、HLAの型が膨大な種類あることそのものは自然界の淘汰による適者生存の摂理に極めて適ったものである。
文明社会においては上下水道の完備など公衆衛生環境が整備されてきたこともあって、寄生される事による生命の危険はかなり低くなったが、太古の昔、人類が生活する自然環境には、ウイルス、細菌(バクテリア)、寄生虫など人間(宿主)の内部にパラサイトしようとする恐ろしい寄生生物で満ち溢れていた。

時に、大流行したペスト(黒死病)、コレラ、梅毒、天然痘結核などのウイルスや細菌による伝染病は、人類存亡の危機を招くほどの猛威をふるって猖獗を極めた。
HLAの種類が多いと言う事は、あるウイルスへの抵抗力が強いが、あるウイルスへの抵抗力は弱いという様に、外界の脅威に対するセキュリティの多様性があるという事である。
完全無欠なセキュリティは存在せず、どんなセキュリティにもセキュリティホールがある事を考えると、無数と思えるほどの防御網の種類を用意する事は結果として人類の生存可能性を高め、進化的な観点から大きなメリットになり得るものである。
もし仮にHLAの型が極限られた数種類しかないとすれば、そのHLA分子に似た構造を持つウイルスやHLA分子に擬態する進化を遂げたウイルスの大流行によって人類は絶滅の岐路に立たされる可能性が高くなることになる。

生物個体の生存や種(遺伝子)の保存、子孫の継続という生物学的な観点から見ると、同種内に様々な個性を持つ個体が居て多様性と複雑性に満ちているほうが有利だと言える。
その事を考えると、私たちが日常感じている有利な特徴や不利な特徴、優等な性質や劣等な性質というのは、恣意的であり主観的な価値観に基づいているものでそれほど当てにならない。現段階で劣等な性質とされているものが、未来において有利で優等な性質にならないとは誰にも断言できない。
その為、人間世界の個々人に様々な容姿や能力、趣味嗜好、異性の好みが存在すること、多様性に満ちていることは人類全体にとって歓迎すべき事態であり、未来の人類の生存可能性を高めてくれる指標なのである。


『他者の器官・組織』を『自己の器官・組織』とする治療法を困難にしている関門は、自己の身体・細胞と他者の身体・細胞を厳格確実に区別する免疫系であり、自己と非自己を識別して認識し、非自己である異物を攻撃する指標となるのはHLAの型である。
自然界における生物の身体構造や生理学的機能は、真に芸術的に精緻で見事に計算され尽くしたものであるが、流石に人間の知性における医療技術の適応までは自然は考慮してくれない。

自然な身体性の病魔や障害を、人工的な医療技術によって治療し回復させようとする時、生命倫理学的な善悪の問題が生じてくるが、人工的な先端医療を推進する者に必要とされるのはデカルト的な機械論的自然観であり、フランシス・ベーコンホッブズらイギリス経験主義哲学者が抱いたような『人間の幸福の為の自然征服・科学技術の力への信仰』なのかもしれない。

しかし、素朴な科学技術信仰と人間身体や社会生活への科学の素朴な応用にはいつも幾許かの危険がつきまとう。
科学の進歩発展は歓迎すべきことだが、その実用と応用に際しては倫理学的な検討が必要であることもまた間違い無いことではないだろうか。

先端生殖医療技術と移植医療技術という科学知の精華が到達した地点において、自己と他者、人工と自然、生命と尊厳の問題が再燃している。

*1:HLAは、白血球だけの型ではなく、血小板や各種臓器や組織の表面にも存在する型である。赤血球の型が表面抗原の糖鎖で決定されるのに対し、白血球の型は表面抗原であるタンパク質で決定される。一説には、その表現型は数万種類あると言われており、A,B,C,G,DR,DQ,DPという7つの遺伝子座を持っている。しかし、7つの遺伝子座はバラバラの染色体上に存在するわけではなく、第6染色体の短腕部に集中している。また、更なる遺伝子座が発見される可能性も否定できない。

*2:両親はそれぞれ2組ずつHLA遺伝子を持っているが、子は両親からそれぞれ1組ずつのHLA遺伝子を受け継ぐ。その為、子のHLAと親のHLAの半分は必ず一致する事になる。