自己内面に広がるミクロコスモスの不可思議


私たちは、人間を考える時、心身二元論の檻に囚われやすい。
例えば、キリスト教霊性、仏教の仏性、プラトンの永遠不滅の魂(プシュケ)、機械論的自然観を持ち延長と思惟の二元論で世界を把握したデカルトなど悠久の思想・哲学・宗教の歴史は、精神を持つ人間存在が精神を持たない肉体(動物)や物体と自らを切り分ける運動の中にあった。

心身二元論の歴史の中に顕著な特徴とは何だろうか?それは、現代文明社会に生きる私たちの心中奥深くに根付く固定観念とも連接している特徴だと私は考える。
それは、精神に従属する身体、高貴なる精神と卑賤なる肉体の差別的価値判断を特徴とする私たちのイデア的な崇高なる精神への憧憬なのかもしれないが、身体性を貶める事は私たち自身の存在を否定する事に繋がりかねない。

徹底した方法的懐疑の末にデカルトが辿り着いたこれ以上疑い得ない確実明晰な第一原理『我思う。故に我あり』はなるほどその通りだと思うが、脳科学認知科学の進歩を見た現代では『思惟する基盤としての身体・脳無くして、我無し』の反駁も一定の真理性を宿している。
身体から切り離された精神があるのかないのか、“心”という抽象的な“私の本体”があるのかないのかについて、取り合えず私たちには確認する方法・手段が存在しない。
もしくは、純粋な精神の有無は原理的に検証出来ず、ポパーの唱える科学的仮説の基準である反証可能性などを満たさない為に信念や信仰の領域で確定する事しか出来ない。


私は、科学的精神の始原は『観察者としての私(精神)と観察対象としてのモノを切り離した地点』に見るのですが、素朴な科学的精神アルケー(万物の根源)を探求した古代ギリシアタレスアナクシマンドロスなど自然哲学者に遡る事ができ、その本格的な開花はイギリス経験論と大陸合理論の相補的進展の中で起こったと考えます。

哲学史を遡行するという事は、人間の知的探究心の源泉を遡行し、森羅万象に対峙する人間、政治経済的諸条件を設定する人間をイメージする事にも繋がりますが、その興味や関心の志向性は、天文学、自然学、博物学、物理学などに代表されるようにいつも人間の外部であるマクロコスモス(大宇宙)にありました。

しかし、近代以降の医学や解剖学の発展の中で認識の網が広がってきた人間の内部に広がる宇宙への果て無き好奇心をその著作の中で図らずも示唆してしまった人物が歴史上の意外な地点にいました。
中世キリスト教世界の教義的基盤を確立し、西方キリスト教会最大の教父と言われたアウグスティヌス(Augustinus, 354-430)でした。
『私は神と魂を知りたいのです。その他に何か知りたい事などは何もありません』といった至高の宗教的信条を持っていた精神の人アウグスティヌスが、『告白』において述べているのは肉体、身体性への興味です。



人々は、出掛けていって目を見張る。高い山々の威容に、海の大波に、河川の大いなる流れに、広大無辺な大海原に、星の運行に驚きの目を見張るのだ。それなのに、彼らは己の身体の不思議を思わず、驚く事もない。


『告白』第10巻8章

私たちの身体は、約60兆個の細胞を最小構成単位として組み立てられていて、その個々の細胞は酸素とブドウ糖を利用してATP(アデノシン3燐酸)というエネルギーを生み出し活動している。
バラバラに見える細胞個々は相互に関係し協力体制を取って、私たちの生命を維持している、類縁の細胞が集合してある組織を形作り、組織が集合して一定の機能を果たす心臓、肺臓、腎臓といった器官を構成していく。
一つの生理学的役割を果たす器官が集合すれば、系統を為し、循環器系統、呼吸器系統、消化器系統、骨格筋肉系統・・・といった私たちが生命活動を維持する為にどれ一つとして欠かす事の出来ない、機能の集合体となる。
人間の精神活動を可能にする基盤であり、意識の存立条件でもある脳でさえも、約140億個の神経細胞ニューロン)の集合体であり、電気的・化学的な情報伝達を行う事で私たちは考え、感じ、悩み、行動するのである。
血液や生体ホルモンといった生化学物質によっても、私たちの健康状態は変化し、気分や感情が変動してしまう。

電子顕微鏡の性能が向上してからは、生命の最小構成単位であるはずの細胞にも更に小さな細胞器官(オルガネラ)が存在して細胞も構造を持つ事が分かった。
細胞器官には、太古の昔、別の生命、バクテリアの一種であったミトコンドリアがエネルギーの貯蔵庫として細胞内に存在し、今では完全なる共生から同化へと至っており、ミトコンドリアの遺伝子は核へと移送されているとも言う。

私たちの外部には自然世界、広大無比なマクロコスモスが延々と広がっているが、それと同様に精巧無比な効率的な生命活動を可能とするミクロコスモスが私たちの内部には広がっている。
好奇心や興味関心のベクトルは、内部と外部を巡って錯綜し、思考し把握する喜びを人間に与え続ける。

大海原や透き通った青空、宇宙に輝く星々を眺めて、その壮麗な景観に雄大さを感じ、この世界の広大無辺な広がりに神秘を感じるように、人体の構造と機能にも悠久の生命の歴史を読み取り、私たちを今このように生かしている精妙なシステムに驚異と神秘を感じてしまう。