正義なき戦争と俗的野心のある教皇の象徴としての十字軍(クルセイダーズ)


アメリカ合衆国の大統領ブッシュ氏が、『9.11米国同時多発テロ』の攻撃を受けて、二つの戦争を起こしました。
一つはテロを実行したアルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンを捕捉する為に起こしたアフガニスタンタリバン政権とのアフガン戦争です。そして、もう一つは記憶にも新しい大量破壊兵器の所持と拡散の危機という捏造した根拠で国際世論を誘導しようとしたイラク戦争です。
フセイン政権を転覆したイラク戦争の正当化は結局あやふやなまま現在に至り、イラクのような非民主的な独裁国家は、世界の警察アメリカの民衆を解放する為の自由民主化政策によって制裁を加えてもよいし、聞き分けが悪ければ政権転覆も考えられるという国際法や国連決議の威信を無視したユニラテラリズム(単独外交主義)になってしまっています。

ブッシュはアメリカの戦争戦略や対テロリズムの戦争を、中世の十字軍の侵攻に擬えたかのような発言をして、熱狂的なキリスト教根本主義者やプロテスタント福音派新保守主義者(ネオコン)を喜ばせ、アラブの敬虔なイスラム教徒達を激昂させました。

しかし、歴史上に実際に行われた十字軍そのものも正義も理想もない侵略戦争で決して褒められたものではないという印象が私にはあります。そして、最終的な結果も、1291年にイスラム教徒がキリスト教側の最後の拠点アッコン(アクレ)を制圧して十字軍は失敗に終わってしまいます。
第1回の十字軍派遣(1096年)は、クレルモン公会議において、宗教者というよりも独裁専制君主のような攻撃的野心を持つウルバヌス2世によって決議されます。

表向きの大義名分はイスラム教徒に侵略されたキリストの聖地エルサレムを奪還する事でしたが、教皇ウルバヌス2世が十字軍派遣をした裏には、当時、セルジュク朝トルコ(1038〜1194)の侵略によって領土を侵犯されていた東ローマ帝国ビザンツ帝国)皇帝のアレクシオス1世の救援要請を受諾することで、ローマ法王庁の権威を東方世界にも拡大してより多くの領土と財力を手中にしたいという野心がありました。

『神はそれを望んでおられる』と高らかに十字軍に神の威光と承認を与えたウルバヌス2世でしたが、実際には神の名を僭称して自分個人の欲望や野心を満たそうとしたものと推察されます。
神の地上における唯一の代理人である法王(教皇)が、『異教徒を聖地から根絶やしにすることが、神の御意志にかなう事であり、この戦争は侵略ではなく聖戦だ』と宣言してしまうと聖戦になってしまう辺り、何故か現代のアメリカ合衆国大統領テロリズムの指導者たち、シオニズムを信奉するユダヤの指導者の論理に通ずるものを想像してしまいます。

キリスト教であれば聖書を、イスラム教であればコーランを自我の曇りなく素直にテキストを読解するならば、異教徒を虐殺する、やられる前に先制攻撃を加えて過剰防衛することが神の御意志にかなわない事は信仰を持たない者にも極めて明瞭なように思えるのですが、私的事情や利己心により教義や信仰を曲解し悪用する人たちには絶えず警戒が必要と言えるでしょう。



第1次十字軍(1096〜1099)は、内乱や紛争で弱体化していたセルジュク朝トルコが相手だったこともあり、エルサレムを奪還して膨大な財宝や芸術品を略奪する事に成功します。イスラム勢力が掌握していた中東地域の大部分をキリスト教勢力が支配する事になります。

第2次十字軍(1147〜1149)は、イスラム世界の英雄と崇敬されるアイユーブ朝エジプトのサラーフ・アッディーン(サラディン)の勇敢で巧緻な戦略により、フランス王ルイ7世と神聖ローマ帝国皇帝コンラッド3世に率いられた十字軍は無残にも撃退され、聖地エルサレムは何とか死守したものの中東のキリスト教側の領土の大部分は再びイスラム側に渡ります。派遣した十字軍の大部分を殺戮されたキリスト教軍は、戦力を回復するのに暫くの時間がかかりますが、臥薪嘗胆の思いで次回の復讐を誓います。

第3次十字軍(1189〜1192)は、1187年にイスラムの英雄サラディンによって再び聖地エルサレムを奪われた為にそれを再度奪い返そうとして編成された大軍隊です。
この今までに無い大所帯の十字軍を指揮したのは、フランス王フィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)、バルバロッサ(赤ひげ)の異名を取る神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世と獅子心王ライオン・ハート)の異名を取るイギリス王リチャード1世でしたが、フリードリヒ1世は聖地到着の前に病気で没し、戦果もあまりはかばかしいものがなく聖地エルサレムも奪還する事は叶いませんでした。
更に、帰国後、十字軍では同盟を組んでいたイギリスのリチャード1世とフランスのフィリップ2世は、フィリップ2世のイギリス王位簒奪の陰謀が露見した為に戦火を交えるという皮肉な事態を迎えます。

第4次十字軍(1202〜1204)は、id:cosmo_sophy:20041204でも触れた最大の権威と権力を所持した絶頂期の教皇インノケンティウス(イノセント)3世(位1198〜1216)の提唱によって派遣されたが、この十字軍は、アフリカ北部へ渡る船をヴェネツィア商人から調達する為に同じキリスト教の町を侵略制圧してしまいインノケンティウス3世から破門(スコムニカ)されてしまいます。
軍隊を北アフリカアイユーブ朝アフリカ)の土地に運ぶ船を持っているヴェネチア商人は、船を出す交換条件としてハンガリー王に侵略された港湾都市ツァラを奪還するように要求したのです。
更に、歴史上稀に見る密約が、ビザンツ帝国の内紛で落ち延びたアレクシオスとヴェネツィア商人、そして十字軍の指導者の間で結ばれます。

その内容は、アレクシオスの父親で内紛によって廃位されたイサアキオス2世を復位させる為に、十字軍によって東ローマ帝国ビザンツ帝国)の首都であるコンスタンティノープルを陥落させて首都をアレクシオスに掌握させてくれれば、十字軍の遠征にかかった全費用と船舶渡航費を全額ビザンツ帝国ヴェネツィア商人が肩代わりするというものでした。
つまり、一旦、クーデター・内乱によって王位を追われた没落王室の復興を十字軍が引き受けたわけです。そして、1203年にはコンスタンティノープルを十字軍は攻撃して占領し、契約通りにアレクシオスの父に王位を取り戻します。
何故、ヴェネツィア商人がこの密約に加担したかというと、ビザンツ商人は長年の商売仇であり、ビザンツ商人の拠点であるビザンツ帝国を制圧することで、ヴェネツィアは東方世界の制海権を掌握して、貿易振興による莫大な利益を得ることが出来たからです。

しかし、この密約は最終的には挫折してしまいます。
アレクシオス4世とイサアキオス2世がヴェネツィア商人との契約を履行せずに制海権を渡す事をしぶった事と、この十字軍による侵略がアレクシオスの密約による陰謀であったことが民衆に露見してしまった為です。
結局、密約露見に伴って宮廷クーデターが勃発し、アレクシオス4世は絞殺され、父親のイサアキオス2世も毒殺されてしまうという不幸な結末を迎えます。

何だか、最早、十字軍当初の目的である聖地エルサレム奪還や異教徒の排除という目的は何処へいったのか分からない状態となります。
十字軍は、この宮廷クーデターを承認出来ないとして、再度、コンスタンティノープルへ侵攻して制圧し、今度は財宝金銭をやりたい放題に略奪し、徹底的に首都を蹂躙します。
戦果として得た財宝や金貨銀貨は、盟友であるヴェネツィア商人と共に山分けする事になりましたが、全く何をしにわざわざ西ヨーロッパ世界から大軍団を率いてやってきてるのでしょうか。
本来、同じキリスト教の神を信仰している仲間であるはずの東方ヨーロッパ世界の盟主ビザンツ帝国を侵略して財貨を強奪するというあまりにもシニカルな結果に第4次の十字軍は終わってしまいます。

第4次十字軍は、本末転倒の脱線十字軍といえるでしょう。
この辺りも、アメリカの軍事外交の本末転倒ぶりを露にする饗宴に通じている気がしてしまうのは勘違いでしょうか。
もし、そういった十字軍の根底にある凶暴な侵略性や本来の目的からの逸脱ぶりと自分の世界戦略のアナロジーブッシュ大統領が気付いていて十字軍の言葉を使用したのだとしたら、少々きついウィットが効いているとは言えますが・・・。
自信満々の演説などを拝見している限りでは、単純に、十字軍がイスラム諸国に対する聖なる戦争であったと盲信してしまっているのかもしれません。

この結果、十字軍によるラテン帝国(1204〜1261)が建設され、一時的にビザンツ帝国は瓦解して姿を消します。
十字軍に追い出されてしまったビザンツ帝国の王族は、小アジア地方に亡命してテオドロス1世を首長とするニケーア帝国を建国します。
第4次十字軍では、諸侯・騎士階級が新たな領土を多く獲得して封建領主としての性格を強めていき、東方世界への交易路を確保したヴェネツィアは莫大な貿易利益を獲得して経済を発展させ、この後に来るルネサンス(文芸復興)を可能とする経済的基盤を築いていきます。

第5次十字軍(1217〜1221)は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に率いられて行われましたが、フリードリヒ2世は軍事力によって聖地を奪還する事に懐疑的であり、異教徒を虐殺して略奪するなど粗暴な行為を好みませんでした。
第5次十字軍の派遣にしても半ば強制的に行かされた形になるのですが、それ以前にもローマ法王庁から再三にわたる十字軍派遣の要請がありました。
それを何度も断っていたフリードリヒ2世ですが、遂に断りきれなくなり渋々出撃した十字軍もマラリアに罹患した事を理由に途中で引き返します。
それに激怒した教皇から破門(スコムニカ)の制裁までも受けているのです。

しかし、フリードリヒ2世は、十字軍を統率した歴代の君主の中でも最も賢明で思慮深い人物でしたので、第5次十字軍は『血を流さない交渉による十字軍』となりました。
つまり、聖地所有の問題解決を犠牲の大きな『軍事的解決』によって成し遂げるのではなく『対話的解決』によって成し遂げるべきだとフリードリヒ2世は考えたのです。

フリードリヒ2世は、当時の北アフリカアイユーブ朝や中東のイスラム諸国が大規模な戦争を実行できない内紛状態である事を知っていたので、イスラム教国の王であるスルタンに外交交渉を持ちかけて平和裡に聖地エルサレムを奪還しようとしました。
そして、実際に外交交渉によって、エルサレムを取り返す事に成功する快挙を成し遂げます。

イスラム諸国との和平協定によって、イエス・キリストに由縁のある聖地、エルサレムベツレヘム・ナザレは神聖ローマ帝国フリードリヒ2世の主権で統治するキリスト教側の領土とすることになります。
そして、イスラム教徒が礼拝にくるエルサレムにある岩のドームやモスクなどの主権は例外的に認めて、礼拝の為にエルサレムに来るムスリムの信仰の自由と身体の安全は責任を持って守る事が契約されました。

更に、フリードリヒ2世は、今後、エジプトを包括するオリエント世界、イスラム教徒の勢力圏の侵略戦争や十字軍派遣を行わない事を確約しました。

私は、このフリードリヒの第5次十字軍の外交努力による平和的な対話的問題解決を高く評価します。その成果としての和平協定は、正しく現代国際社会の和平と比較しても理想的な和平協定として通用するもので、時代を先取りした先進的なもののようです。
しかし、この和平協定の相互不可侵の条項を先に破るのは、またしても狂信的なキリスト教側だったのです。
今まで行われたどんな十字軍よりも、理想的な形で聖地エルサレムばかりかベツレヘムとナザレまでもイスラム教国から取り戻したにも関わらず、フリードリヒ2世の和平協定は異教徒と中途半端な形で妥協的に結ばれたものとしてローマ法王庁から叱責され厳しく非難されます。

この和平協定の成果によって破門が解除されるかと思いきや、時のローマ法王グレゴリウス9世は『イスラム教徒を根絶やしにする目的で派遣された十字軍にあって、一人の異教徒も殺戮できないとはキリスト教を護持する神聖ローマ帝国皇帝として怠慢であり由々しきことである』といった論調で憤慨の色を隠さず、中世世界にあって最大の恥辱であり威信の凋落である『破門』は継続されました・・・。

このフリードリヒ2世に対するローマ法王庁の礼遇とは対照的に、聖地エルサレム奪還に失敗し最終的には失意の内に病没してしまう第6次・第7次の十字軍を敢行したフランス王ルイ9世は、後に聖人に列せられます。
ルイ9世が、聖ルイに列せられた理由は、イエスのように奇跡を起こしたからでも、病人や弱者を救済したからでもなく、強靭な信仰心によって異教徒であるイスラム教徒を数多く殺戮して勇敢に神(ローマ法王庁教皇)の栄光の為に戦って死んだからです。

ルイ9世よりも本来聖人として祝福されるべきはフリードリヒ2世だと私は思いますが、いつの時代にも、絶大なる権力や権威の恣意的判断によって、真の正義が不正として歪曲されたり、敬虔なる信仰が異端な不信に貶められたりする可能性はあるという事でしょうか。
愛と寛容を理想とするキリスト教であれば、殊更否定する必要は感じませんが、クルセイダーズ的な凶暴性と排他性を露にする狂信の領域に入り込むキリスト教の悪用は回避して欲しいものです。