禁欲規則を遵守する自我の強さと誇大自己的な不遜の戒め


id:cosmo_sophy:20041211の記事に関連した部分である治療構造論や分析者の倫理規範に関するフロイトの言葉を引用しておきます。



精神分析療法は、真実性の上に立つものである。・・・この点にこそ精神分析療法の及ぼしうる作用力と、その倫理的価値の大半があるからである。この基礎から離れることは根本的に危険である。・・・患者から最高の厳密さを持って真実を要求する以上、われわれ分析者自身もまた真実から逸脱したところを患者に押さえられたりしたら、一切の権威*1を失ってしまう 転移性恋愛について 1915』


『ノイローゼ傾向にある人は、ドストエフスキーがそうだったように誘惑に弱く、様々な罪を犯し、その後悔の中で強迫神経症的に、倫理的要求を掲げるタイプの人間である。だからこそ、精神分析療法の途上で、倫理の本質である断念の能力を欠くために禁欲規則を守れないで、様々な性的行動化(アクティングアウト)に走るなどの意志の弱さを露呈する。   ドストエフスキーと父親殺し 1928』


精神分析療法は、それが可能な限り、禁欲の内に行われなければならない。つまり、患者が*2行動化を起こしそうになったり、治療者との間で、甘えたい、愛されたいという転移性の要求を満たして欲しいと執拗にせがんでも、それを許容してはならないというのが禁欲規則である。もし、この禁欲規則を緩めてしまうならば、精神分析療法を受ける患者は、自由連想の中で解放される為に、みな、様々な形でそれまで抑圧していた願望を行動化し、日常生活の中で満たそうとする事になり、そこにまた新たな内面的なものと外的なものとの衝突や葛藤が生じるが、それを満たしたのでは本当の意味での心の訓練、あるいは精神分析療法が目指す自我の強化にはならない。    精神分析療法の道 1918』


『もし、分析家が患者を助けてやりたいという気持ちでいっぱいな為に、およそ人間が他人から期待する事の出来る全ての満足を患者に許し与えてしまうとすれば、患者はそれを快適に感じてしまって、人生の困難から脱け出して、好んでそこに避難所を求めるという結果にしかならない。*3これでは、患者を人生に対してもっと強健に、彼ら自身に課せられた課題に対して、もっと行動力豊かにしてあげるという治療的な努力を放棄する事になる。・・・精神分析療法ではこの甘やかしは一切避けなければならない。分析者は患者に、満たされない願望を十分に残していなければならない。患者が最も激しく願望し、最も切実に表現しているこの性(リビドー)の満足そのものを満足させないでおくという根本原則(禁欲規則)は、むしろ、目的に適った事である。      精神分析療法の道 1918』


『救いを求めて、我々の手に委ねられる患者を、我々の私有物にしてしまい、彼の運命を彼に代わって創り出し、我々の理想を押し付け、造物主の高慢さをもって自身の気に入るように我々の似姿に彼らを仕立て上げるというような事を、断固として拒否する。・・・『ここにこそ医師(分析者)としての分別』を用いるべき場所があり、これを越えては医師としての関係以外の関係に入ってゆくことにならざるを得ない。』


『患者に対して預言者、魂の救世主の役割を演ずる試みに、分析の規則ははっきりと反対しているから、ここで分析療法の効果に新たな制限が加えられる。・・・その際には、病気を治す事よりも患者の自我に決定の自由を与えるべきである。』  


『分析者は、患者に対して、教師、模範、理想となり、これの典型に従って人々を教育したい、という誘惑をどんなに感じる事があっても、絶対にそれは精神分析的な治療関係における自分の責務でないこと、いや、むしろこのような傾向によって分析者がひきずられるようなことがあるならば、それは分析者としての自分の責務に対して不忠実であるとの謗りを免れる事が出来ない事を銘記すべきである。』



精神分析フロイト理論へは賛否両論あり、好き嫌いもあって、私自身その全てが現代の臨床的な心理学アプローチにおいて妥当性があり信頼できるものとは考えていませんが、禁欲原則や治療構造の部分に限定すればカウンセラーや精神科医臨床心理士その他の種々雑多な療法家などは、心の奥深くのアイデンティティの一部として抱え持つ意義はあると思います。

岩月謙司氏の踏んだ轍を近縁の領域で活動する者が踏まない為には、カウンセラーとクライエント、相互の役割分担と責務義務を明確に認識し、価値観を巡る言説において特定の価値観を強硬に主張する態度を取らない『中立性の維持』に務める事、転移性の恋愛感情や好意などに流されない強固な自我と分別、自制心を持って面接場面に臨む事、クライエントの人間性と自由、選択を最大限に尊重し、自他の境界線を明瞭にして『場』に対するプロフェッショナルな責任意識を一時たりとも忘れない事を黄金律的な原則として内面に持つ事の重要さを幾度も再認識し、自己言及する必要性があるでしょう。

*1:私的には“権威”を“信用”に置き換えたい

*2:治療の中で満たされない願望や欲望を治療者以外の人物との間で満たそうとする事で起こす行動化

*3:カウンセラーや精神科医に精神的に依存してしまい、カウンセリングや治療そのものが自己目的化してしまって、外的な日常生活環境への適応を放棄してしまう事態であり、母子分離不安などの心的過程と通底する情況でもあるので一方的に満足や充足を面接場面で与え続ける事には一定の警戒が必要であろう。