岩月謙司容疑者逮捕に寄せて。カウンセリングにおける倫理原則。


<準強制わいせつ>恋愛指南本の香川大教授を逮捕 高松地検 [ 12月07日 22時04分 ]
http://www.excite.co.jp/News/society/20041207220400/20041208M40.122.html



高松地検は7日、香川大教育学部教授、岩月謙司容疑者(49)=高松市昭和町1=を準強制わいせつ容疑で逮捕した。岩月容疑者は否認している。

 調べでは、岩月容疑者は02年4月27日夜から28日午後まで、自宅の浴室や寝室で、神経症的な症状に悩んでいた20歳代の女性に対し、「父からのセクハラと母の嫉妬(しっと)という呪いがかかっている」などと言い、治療上必要な行為を装い女性の胸などを触るわいせつ行為をした疑い。

 岩月容疑者は「女は男のどこを見ているか」など恋愛指南本を多数出版。テレビ番組にも出演している。神経症的症例を「思い残し症候群」と名付けて治療していると称しており、女性は岩月容疑者に治療を申し出ていた。02年5月、女性が香川県警に告訴し、県警は03年3月に書類送検高松地検は同12月、「容疑者の言い分を排斥できない」などとして嫌疑不十分で不起訴処分にした。しかし、検察審査会は今年7月、「わいせつの故意がある」などとして不起訴不当と議決していた。

 岩月容疑者は、92年4月、香川大講師。00年に教授。動物生理学や人間行動学などが専門。【高橋恵子

 ▼木村好次・香川大学長の話 極めて遺憾。深くおわびします。社会的責任を再認識するよう注意を促していく所存です。

臨床心理学や精神分析の不十分な理解と練磨されていない独自の創意を加えた結果の準強制わいせつ事件であり、臨床心理学の道を志す者や岩月氏の著作に感化された者に与えた精神的衝撃や落胆は無視できない程に大きいと感じる。
私も少なからぬ年月を心理学や精神分析の学習と熟達に費やしているが、このようなクライエントを傷つける恣意的な学知の流用や治療と無関係な歪んだ個人的欲望を充足させる為の技術の悪用は極めて遺憾であり、一部の不心得な人物によって精神分析学の理論応用への不信や疑念を招く事に対して無念の思いを禁じえない。

『思い残し症候群』や『ストックホルムシンドローム』などフロイトのリビドーの発達理論やエディプスコンプレックスを下敷きにした独自の臨床応用的な疾病概念を造語していたようだが、私は岩月心理学には不案内な為にその内実について詳らかに知らないし、これから他の読みたいと考えている書籍に優先させる形で岩月氏の著作に真剣に目を通す機会もないかと思う。
実を言えば、今回の事件を知る前までは、マスコミへの露出が多く世間一般的に人気を得ている心理学者であり、どのような内容の心理学やエピソードを著作で紹介しているのか若干の興味が湧かないでもなかった。

ただ、書店や図書館で書籍のタイトルを見て何となく俗流の心理学と動物行動学の融合のような印象を受けて、手に取って読む迄もないかなと躊躇している内に月日が流れ先日の事件に至ったわけである。
私は、体系的に読める正統派の学術書がより権威的で価値が高いという思いは持っておらず、俗流であろうと自己流であろうとその内容に魅力や価値を感じれば迷わず読むタイプなのだが、岩月氏の著作に食指をそそられなかったのは、その心理学の傾向がワイドショー的に誇張された恋愛・結婚・父子関係に極度に偏っていた事と、表紙の帯の部分の文句が余りに売上向上ばかりを意識し過ぎているように感じたからかもしれない。

誤解を避ける為に書いておくが、私は書籍の『著者の人間性や人生・経歴の評価』と『書籍のテキストに記されている内容の評価』は完全に切り分けて考えるようにしている。その著者が犯罪者であるから、その著作の全てが駄作で読む価値がないと切り捨てる訳では無い。
しかし、岩月氏は今回の準強制わいせつ報道を見る限り、精神分析的療法に精通しているわけでも、一般的なクライエントセンタードなカウンセリング(来談者中心療法)や認知・行動心理学系の療法に熟達しているわけでもなく、ある種の祈祷師や呪術家、占い師の様な形での民間療法家と位置付けるべきなのかもしれない。

『父からのセクハラと母の嫉妬(しっと)という呪いがかかっている』という発言をしている時点で、臨床心理学的な基本姿勢から遠ざかり、精神分析理論の枠組みを逸脱し、科学的な教養の不在を自白している。
『呪い(呪術)、魔術、心霊、祟り、霊気、超能力、超自然的現象、原罪、カルマ、三世の業』・・・これらの『宗教的・超自然的な概念』を精神障害の症状や心理的な苦悩と因果的に結びつけ、クライエントの人格や生活を非科学的な特異な世界観で支配するやり方を取るならば、その人は心理療法家やカウンセラー、医師ではなく、カルトと称される新興宗教の教祖か霊媒師、心霊研究家、オカルティスト、超能力者と分類される人たちであり、宗教的・超常的・心霊的な領域における仕事であろう。
私は、非科学的な世界観や宗教的な治療法を否定しないが、それを行うならば、そういった世界観や理論を所有している事を表看板に高らかに掲げ、精神分析や心理学を正当化や権威付けの道具に使わない事が最低限の誠意であり、商慣習上の道義ではなかろうか。

御祓いやまじないや秘儀や魔術や儀式(イニシエーション)がこの世界に不必要だなどという傲岸不遜な考えを私は持っていないが、それはそういった種類の能力や儀式を必要だと求めている人に対して与えられるべきものであり、本人が病気の症状や人間関係の悩みや人生の困難で相談に来ている弱みに乗じて本来望んでいない宗教や御祓いを与えるのは一種の虚偽・欺瞞の悪徳商法や悪質な宗教勧誘である。
『求めよ、さらば与えられん』と聖書の聖句には記されているが、求めていない人に言葉巧みに求めていない内容の知識や儀式や教義を押し付ける事は、どのような分野の仕事にあっても普遍妥当性のある倫理規範に違背するものである。

岩月謙司氏のHPは未だ閉鎖されておらず、そのHP内に出版された著作のブックガイドが掲載されている。
確かに、事件報道において恋愛指南書と記されている通り、心理学の啓蒙書や教養書といった内容ではないと思われるタイトルが並んでいますね。

キーワードは、父・娘関係、母・息子関係、恋愛の男女関係、幸福な結婚という感じになりそうですが、性的欲動(リビドー)の充足と発達が十分に行われておらず、幼少期の三者構造の家庭関係において人格の発達を阻害するような対人関係の問題を抱え、エディプス的な葛藤の克服が成し切れずに無意識的に苦悩していたのは彼だったのかもしれないなどとふと儚い思いが過ぎりました。
彼の著作のタイトルだけで判断するのはいささか勇み足で軽率の謗りもありましょうが、彼の精神障害原因論の骨子はおそらくアダルト・チルドレン的生育環境と父性と母性のアンビバレンツにあると考えてよいと思います。

そして、アダルト・チルドレンの強調に固執し、親子関係の障害に焦点付けて拘泥する執筆行動は、いみじくもフロイトが指摘した失錯・誤謬を含めて無意味な行動など人間には存在しないという心的決定論との連接を感じます。
私は、自由な執筆活動、エクリチュールを意識的に書き刻む事は根底的には『無意識的な渇望と意図』に駆動されているといった考えを毎日の筆記活動に感じます。
それは、極めて自明な事実、『人は、言論の自由が保障された環境にあっては、書きたい事しか書き記さない』という思いに裏打ちされています。
確かに、自著の売上を伸ばす為に大衆受けするトピックを選ぶという傾向はプロの物書きや一般向けの著書を上梓する学者にはあるでしょうが、そうであってもその著者の嗜好や選好は著作数が多くなればなるほど如実に明確な傾向を示し隠し切れないものとなります。
ここで、私が書き続けている文章も更に年月が進んでいけば、一定の興味関心、趣味嗜好のベクトルを統計学的に示す事はほぼ間違いのないことで、それはブログであれHPであれ著作であれ基本的に人間の表現活動に通底する基本傾向であると考えます。


人格発達上の未成熟、自己分析(教育分析)の不徹底に基づく精神分析の陥穽については、フロイト自身がくどいほどに述べていることであり、岩月氏が多少なりとも精神分析を学んだのであれば、それを知らないということはまず考えられません。
そして、最高学府である大学の教授という地位にふさわしい教養水準と人格性を兼ね備えているのであれば、本来、何の教養もなく、訓練も受けていない人間でも分かるような倫理規範の逸脱を行うはずはないと思うのですが・・・そこに権威主義的な慢心があったのか、あるいはクライエントの治療をはじめから目的としていない不純な意図の下で独自の技法を展開する怪しげな人物だったのかというところでしょうか。

いずれにしても、私は、やはり岩月氏の語る積極的なスキンシップやふれあいなどの身体的接触を伴う技法の心理療法的な有効性を認め得ない立場に立つ事になるでしょう。
確かに、女性の精神分析者のメラニー・クラインなどが、『ホールディング』という慈愛で包み込むような抱擁を究極的な技法として提唱している場合もありますが、極めて例外的な技法であると認識しています。
それを行うにふさわしい人格、私欲を捨て、世俗的欲求を排除した透徹した中立性を維持できる自我の強さを持つ事が要求されます。
個人的な恋愛関係に収束しない博愛精神、十分な尊敬を得るに足る高尚無垢な人格性を兼ね備えてこそ有効なものであって、中途半端な同情心や優しさによるスキンシップ、不純な性的欲動の投射としての抱擁などは百害あって一利なし、セクハラやドクハラに堕落する恐れもあり、性犯罪に直結する事も少なくありません。

身体的接触を伴う技法は、フロイト精神分析の第二原則として語った『禁欲原則』に抵触します。自分は、精神分析なんか興味がないし、そんな思弁的哲学の趣が強いものに科学的なエビデンスはないから、禁欲原則も知らないというカウンセラーや療法家がいれば、かなり逸脱的な倫理観を持った人物と推測できます。
私は、心理的な援助や相談といった広義のカウンセリング場面を想定しての禁欲原則に、強いシンパシーと説得力を感じます。
そして、カウンセリングにおける治療構造論的な整合性を取るためには、限定された時間と空間においてカウンセラーの時間を料金によってクライエントに貸し与えるという契約的側面の重視と共にカウンセラーの中立性と倫理規範の遵守=禁欲原則がとても重要になってくると考えます。


岩月謙司氏も、自分の過去の心的外傷(トラウマ)や未解決の心的発達課題を抱えながら、何とか今まで綱渡り的な情況の中で人生を歩んできたのかもしれません。
今まで、様々な性的誘惑に駆られながら、苦しみながらカウンセリングを行ってきた可能性もないとは言えません。
しかし、それであっても今回の事件は看過出来ない重篤な堕落であり、犯罪です。
曲りなりにも、大学教授という権威を掲げ、心理療法のプロを自認する人間が行った行為として今回の準強制わいせつ罪は決して許す事の出来ない卑劣で慙愧すべき犯罪行為です。
少なくとも自らが誠実な心理の研究者であると自負しているならば、そういった苦悩や葛藤を十分に解決してから臨床に臨むべきです。

『カウンセラーとしての中立性』を維持できる安定した心理状態を用意する事は、自己分析の徹底と過去の心的コンプレックスの了解的抑制もしくは自覚的解決は、療法家、カウンセラーや精神科医にとって事前に達成すべき最低限の責務であると言えるでしょう。