ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行と共同性の衰退


人間の精神は基本的性向として、普遍的な真理や絶対的な価値への志向を持っているように思われてきた。
私達は、長い歴史の過程から固定的で強制的な価値が絶対化する危険を学習した結果、文化多元主義や価値相対主義の視座を獲得した。
私は、文化多元主義が、他文化とのコミュニケーションを放棄して、経済的な合理的取引きや法的な契約的取引きだけに終始する可能性を考えないでもないし、価値相対主義が『生きる意味の喪失=ニヒリズム』の暗き深淵に陥る危惧を抱かないでもないが、現代社会が手に入れた俯瞰的な相対主義的視点は、“他者への寛容”の態度を示した点において大きな歴史の成果ではあると思う。

多くの保守的な識者が懸念するように、確かに“他者への寛容”と“他者への無関心”との境界は、脆弱で曖昧ではあるが、『集団的意志(世間的同調圧力)を個人の意志として強制する絶対的な価値』と価値相対主義を天秤にかければ、やや相対的な方向へと天秤が傾いているほうが、私達個人の安寧や自由にとっては良い結果をもたらすように思える。
自らが生まれ落ちた共同体に、ユダヤ教イスラム教のような『絶対的な価値』が存在する場合には、個人が自由な価値観や信念を持ちなおす『懐疑の契機』が与えられる事が少なく、共同体が称揚する宗教や価値を懐疑する事は共同体からの追放や懲罰を意味する事となる。

翻って、人類の歴史を始原へと遡行してみると、普遍的な真理とは信仰や信念から芽生えて、集団や部族の団結を強める役割を果たしていた。
『絶対的な価値・普遍的な真理』が共同体の成員に共有され、更に、旧約聖書にあるような民族を貫徹する『大きな物語・栄光ある神話』を所有する集団は、他の共同体との戦乱が絶える事のない不安定な危険な時代にあっては、一致団結して侵略戦争や防衛戦争を行うことが出来たので有利であったと考えられる。
超越的な絶対者である神が下される命令(戒律)は、共同体内部の治安を高め、社会秩序を維持する事に役立った。
また、改めて述べようと思うが、宗教的な規範の特徴は、その規範の制定者が人間を超越した存在である所に最大の特徴があり、『完全さ故の無誤謬性』と『人間の手による変更の不可能』を基本原理として持つ。

完全無欠であるという事は、それ以上の発展や進歩を望めないという事であり、人間が積み重ねる経験や学習によって変更が出来ないという事は、時代の流れや環境の変化に柔軟に適応する事が不可能であるという事である。
ローマ法王庁の統一的な権威に抗議するルター、カルヴァンらの宗教改革蒸気機関や工業機械など相次ぐ科学的な発明と技術革新による産業革命、人権思想と国民国家の理念を普及させた市民革命などを経て、近代社会に移行した時に、宗教規範の持つ絶対的権威が漸次的に損なわれていったのは、時代の急速な変化に従来の宗教規範では対応できなくなったからである。

二千年以上前に人類の叡智の集積として確立された一神教の統治システムは、当時としては最新の共同体倫理として十全に機能し、最新の知識体系として自然秩序や人類の起源、生きる意味を巧みに説明することが出来たが、ゲマインシャフト(連帯に基づく有機的共同体)からゲゼルシャフト(利害に基づく機械的共同体)に移行するに当たって、科学的合理精神によって宗教的超越性が共同幻想や根拠なき迷信として駆逐され始めた。

ゲマインシャフト*1ゲゼルシャフト*2という社会形態を示す概念は、ドイツの社会学者テンニエス*3有機体と機械体との比較参照から提唱したものですが、現在する社会形態は、完全なゲマインシャフトや完全なゲゼルシャフトというように二分化する事は出来ず、どちらの形質をより多く持つかの程度の違いだと考えています。

ゲゼルシャフトを望む人は、自己と他者との間に明確な境界線を引いて、個人主義的な価値観の下で、自らが関係を持ちたいと考える人だけにアプローチしていける社会、プライバシーの権利を最大限に尊重する社会を理想としていると考えられます。
反対に、ゲマインシャフトを望む人は、共同体主義マルクス主義にコミットしている人に多いのですが、昔ながらの村落共同体のような密接な人間関係のもとに、相互扶助や共同作業によって社会を運営したいと考えていると想定できます。

伝統的な行事や地域のお祭りなどで、住民達が利害関係を意識せず、一丸となってお祭りの準備をしたり、山車や山笠を担いで走り回ったりしている時に感じるアットホームな一体感というものが、ゲマインシャフト共同体の感覚と思っていいでしょう。
ただ、近代的な経済生活に慣れた私達は、時々、楽しむお祭りや行事やイベントでみんなと一体感や連帯感を感ることに喜びや感動を感じるとしても、そういった深い情緒的関係が毎日継続するとなるとおそらくほとんどの人が精神的なストレスや監視されているといったような圧迫感を感じると思います。

一旦、都会生活を経験してしまった若者達が、故郷の村落共同体に帰りたくなくなってしまうという現象はよく見られますが、その原因として考えられるのは、都会の華やかさや娯楽の多さ、多様性ある就職機会、そして、『都会の匿名性=周囲の人々が自分を気にしないでいてくれる』という事があるでしょう。
『都会の匿名性にリラックス感』を感じてしまうと『田舎の特定性に圧迫感』を感じてしまうというのは至って自然な心的過程かもしれません。
周囲の人たち全てが幼い頃からの顔見知りで、自分の人生や行動に興味を持っている状態というのは、『無言の集団同調圧力』を受けている状態だと言えます。
現在の日本社会でも、昔ながらのゲマインシャフト的な共同体は都会部の周辺や村落部に数多く残っていますが、ゲマインシャフトにおいて人々の主要な話題となるのは、『〜家の○○さんは、〜したんだってね』という噂話です。
特に、周辺住民の家族に関する進学・就職・結婚・犯罪・死去といったニュースは、ゲマインシャフトにおけるコミュニケーションの円滑油を果たすような大きな話題を提供することになります。

こういった絶えざる近隣住民への興味関心を『温かい情緒的な交わり』と受け取るか、『私生活への面倒な干渉』と受け取るかによって、その人のゲマインシャフト帰属の適性が測られると言い換えることもできるでしょう。
ゲマインシャフトにおいて、多くの人の関心を集めるのは、同じ共同体に所属する他者の生活状況であり、自己と他者の境界線は明確に意識されません。

世間体や社会への体裁を気にするという日本人の中心的価値観(現在は弱まりつつあるようにも感じられますが)は、そういったゲマインシャフト的な価値観から醸成されたと考えられます。
そして、ゲマインシャフトにある共同性に根ざした雰囲気には、顔見知りの相手には、犯罪を起こし難いという治安維持の効果、社会から孤立した個人を生み出さず社会参加の契機が自然に用意されているという『良い側面』があると同時に、世間体という集団同調圧力によって個人の自由が規制されたり、私的生活圏が公共圏と一体化してプライバシーが冒されるという『悪い側面』もあります。

ゲゼルシャフトは、近代社会に典型的な合理的経済人(ホモ・エコノミクス)の生きる利益社会であり、ゲマインシャフトは、共同体への帰属意識と近隣住民との仲間意識を有する共同社会です。
ゲゼルシャフトは、理性的な思考による合理的な判断を価値判断の重要な指針とするのに対して、ゲマインシャフトは、感情的な共感による世間一般の考え方との一致を価値判断の重要な指針とします。

ゲゼルシャフトゲマインシャフトのどちらがより理想的な社会なのかを語って、二項対立的なスタンスを取り、自分の支持しない社会・経済の形態を敵視するのは現代において余りに不毛です。
先進資本主義社会において、ゲゼルシャフト化が進行するのは半ば必然的で逆行し難い流れですが、そういった合理化・効率化の流れの中でも、NPO、NGOをはじめとして利益追求を最大の目的としない運動や組織が結成されてきています。
ゲゼルシャフトの長所とゲマインシャフトの長所を巧みに融合させた住み良い社会を志向すると同時に、個人がどの共同体や集団に所属するかを選択する自由が保障されていることが重要だと考えています。
そして、個人がそれぞれの気質性格や価値観に応じて、愛情・義理・人情・共感などによって結ばれる家族的共同関係の範囲をどこまで拡大するかを決めていければ良いのではないでしょうか。


余談ですが、マルクスが提唱した理想社会は、ゲマインシャフトを発展させた自立的な対等な個人に基づく自由な連合連帯としてのアソシエーション社会(協同組合的連合社会)でしたが、実際にマルクス主義に依拠して樹立された社会主義国家であるソ連や中国は、それと正反対の中央集権的専制国家となり個人の自由を抑圧し続けたのはアイロニカルであります。
ゲマインシャフトから閉鎖性や集団主義を排除したのが、アソシエーションだと言えると思いますが、自由参加のボランティア団体などがアソシエーションに近いかもしれませんね。



キリスト教を至高で最善の宗教と考えたいという西欧知識人の願望によって、宗教の発展段階は、『アニミズム多神教一神教』という順番によって発展するという考え方が宗教学では受け容れられてきましたが、現在の世界情勢を見ていると一神教的な普遍的な真理の衝突が人類の悲劇の起源となっているようにも見受けられます。
人類の精神的営為の原点を為す宗教を語るには、宗教の内部から語る神学、宗教の外部から語る宗教学・社会学歴史学、他の宗教との比較対照によって語る比較宗教学などの視点が必要になってきます。

*1:ゲマインシャフトの典型としての集団社会に、『血縁関係に基づく家族・地縁関係に基づく村落・友愛関係に基づく中世都市』が挙げられる。

*2:ゲゼルシャフトの典型として、『利潤の拡大を目的にする資本主義社会・社会的役割を相互にシステムの一部として分業する近代国民国家・村落に対比される匿名性の強い都会』が挙げられる。

*3:テンニエス(F.Tennies,1855〜1936):ドイツ社会学の黎明期の社会学者。イェーナ大学、ライプチヒ大学、ベルリン大学で経済学や哲学を学び、社会学を独立した専門科目として確立するのに大きな貢献をした人物で、マックス・ヴェーバージンメルらと同時代人である。代表著作『ゲマインシャフトゲゼルシャフト』において、未開社会の共産主義と近代社会の社会主義との差異を論じ、本質意志と選択意志の概念に基づく社会形態論を展開した。テンニエスの社会理論の特徴は、人間個人の関係性と結合のあり方によって社会形態を分類し整理した事にあるが、市場経済システムの解明が十分でなかった時代の理論である為に人間の結合以外の視点には乏しいとも言える。『本質意志』とは、有機的なゲマインシャフトを成り立たせる為の、『本来的な他者との関係性そのものを目的とする自発的な了解意志』である。『選択意志』とは、機械的ゲゼルシャフトを成り立たせる為の、『他者との関係性によって得られる利害を選択的に求める理性的・合理的な意志』である。