生活環境と対人関係への適応的な総合的変容を志向するカウンセリング

カウンセリング(counseling)という言葉は、相談・忠告・助言という意味を持ち、広義のカウンセリングは、『何らかの問題や疑問を持っている人が、自分よりも知識・経験・技術において秀でていると思う相手や信頼できて助言を得たいと思う相手に相談や助言を求める事』といった相談業務全般を指示する。
一般的には、カウンセリングというと、心の悩みや病気を抱えて苦しんでいる人が、カウンセラーに相談に行くといった形態を思い浮かべてしまうが、美容外科で整形手術を受けたいと思う人が、手術の内容や手術に臨むにあたっての不安や恐怖を和らげる為の相談をし、手術費用や術後の経過などについて説明を受けるのもカウンセリングであるし、エステや化粧品店で身体の何処の部位をどのような技術・化粧品を用いて美しくしたいか、費用がどれくらいかかるかについて相談するのもカウンセリングと呼ばれている。

人生相談というジャンルで括られる対人関係や仕事関係、家庭生活などのそれほど深く無い悩みの相談に応じるものも広義のカウンセリングの一種である。
しかし、人生相談というのは余りに大きな範疇を包含する為、『私の人生はこれからどうなるのですか?私はどのようにして生きていけばいいのですか?どのような人生の選択をすれば幸せになれるのですか?』といった超能力の所有者でもなければ答えられない相談をもちかけるケースも多い。
この種の人生相談に対して、知的に誠実なカウンセラーは答える能力も知識も技術も持たない。いい加減な気休めの解答を与える事は容易いが、人間的に真剣で、知的に誠実なカウンセラーであれば、『人生をどのように生きるべきか』という最終的な答えは、クライアント本人が、自分自身の内面にある苦悩や葛藤の源泉を深く見つめるつらい作業を通して、自分の力で見つけ出していくしかないと考えるであろう。

自らが発する忠告的な言葉で、他者の人生の選択に支配的な影響力を与えようと考える、あるいは与えられると過信する場合には、宗教的な説法や指導といった様相を帯びてくる為、心理学的なカウンセリングからは逸脱した価値観の押し付けを伴うものとなる。
飽くまで、狭義のカウンセリングであれば、価値観の中立性を維持するというスタンスを忘れてはならない。

こういった、人生全体の正しい方向性や幸福になる方法を教示して導くといったものは、心理学的なカウンセラーでは通常、対応できない為、いきおい、占い師・宗教家・霊媒師・自己啓発セミナー主催者などに典型的な特殊能力を自称する人たちの手に委ねられる事になるが、これは人生の主体性を放棄する事につながる恐れもある為、あまりお薦めは出来ない。
自分自身にも分からない不安な未来を、超越的な能力や技術を有する人物が、自信を持って予言してくれたと信じる事によって、最終的な幸福や成功を強くイメージする事につながり、それが自己暗示効果を生むという可能性は否定できないが、人生そのものを魔術や啓示や洗脳によってある方向に誘導されるといった危険性もまた否定できない。
顕在意識の覚醒水準を低下させる事によって、問題を解決する為の暗示をかけたり、過去の記憶の想起を手助けするといった催眠療法といった技法は確かにあるが、その場合には、明確に価値の中立性を提示する必要がある。

特に、『〜しなければ、あなたに災難が降りかかり不幸になるから、必ず〜しなさい』といった脅迫的な指示や命令の形を取る人物は、カルト宗教や支配的な占い師に多く、まともにその言説に耳を傾ける必要はない。

心理学的な理論や技法に基づく狭義のカウンセリングの場合には、クライエントの主体的人格を最大限に尊重して、真摯な相互理解に基づく対話を主にする為、自分自身が指示や指導をすることよりも、まず相手の訴えたい悩みや問題の内容を正確に聴取する事に全力を注ぐことになる。
症状の緩和や問題の解決といった明確な根拠のもとに、指示・指導・助言を積極的に与えていく指示的な積極的アプローチという技法や特定の問題行動や恐怖反応、精神症状を解除していく為の段階的な認知行動療法などもありますが、その場合にも何故、そういう行動や思考をするべきなのかといった納得できる説明が事前にあるのが普通です。

心理学的カウンセリングでは、カウンセラーとの言語的・非言語的なコミュニケーションを通して、自分の精神内面と深く向き合うことができ、今まで気付く事の出来なかった悩みの根本原因としての感情や認知(物事の考え方)、記憶に自分の力で気付く事が出来るようになる。
あるいは、精神内面と向き合う事に適していないと考えられる不安定で起伏の激しい心理状態や行動面での不適応が見られる場合には、現在、問題となっている症状や問題行動だけに焦点を合わせて、あまり心理内面に無理に踏み込まずに、観察可能な行動変容を中軸に据えてカウンセリングを行っていくことになる。

カウンセリングに求められる結果は、クライアントの『認知・思考・感情における適応的な心的変容』であり、『コミュニケーション・態度・主張・生活技能における適応的な行動変容』であると考えられる。
クライエントが現在抱え込んでいる心理的な悩みや問題を、少しでも本人が望ましいと考える方向へと心理的・行動的に変容を促進することがカウンセリングの機能の要諦ではないかと思う。
学習過程の促進によって行動はより環境適応的なものへと変容し、自己内面の洞察や心的成長過程の促進によって心理はより関係適応的なものに変容していくこととなる。


『カウンセリングとは何か?』という明瞭な分かりやすい定義を考えると、『心理的な悩みや問題を抱えて相談に来たクライアントと共同作業する事で、悩みや問題の緩和や解決に役立つ援助をする事』という事になるでしょう。

もう少し専門的に厳密に定義すれば、『カウンセリングとは、時間・空間が限定された面接構造において、カウンセラーとクライエントが、一定のカウンセリング契約を締結する事によって開始される非日常的な人間関係であり、協力的・建設的な人間関係を前提として、専門的な知識・技法・技術を用いて心理的な問題の解決を志向するプロセスである』と定義する事が出来る。

カウンセリングと類似したものにサイコセラピー(心理療法)があるが、カウンセリングの取り扱う問題群は健常者パーソナリティに近く、サイコセラピーの取り扱う主要な問題群は精神病理を抱えたパーソナリティという風に大まかに分類できるが、両者の領域はクロスオーバーする部分も多く、カウンセリングの始祖と呼ばれ、来談者中心療法を提唱したカール・ロジャースはカウンセリングはあらゆる心理的問題を包摂すると考え、カウンセリングとサイコセラピーを区分することを無意味だと考えていたようだ。
この基本的な人間認識は、私が過去に紹介したレインの反精神医学的な流れを継承しているとも解釈でき、人間の心理を、正常と異常という風に権威的に区分して診断する事には『構造的な異質性の排除の原理』がつきまとう。


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レインは、『私』と『他者』の興味関心が相互に絡まり合う、私の興味に他者の興味が寄せられ、他者の興味に私の興味が寄せられる無限の交錯と螺旋こそが、生き生きとした意味を生み出す人間関係であると考えた。

私たちが生きていくという事、社会で他者と出会い関係を持つ事は、内的世界を相互干渉させて拡大していく事であり、他者の表象を内面化させることで絶望的な孤立や不安から離脱していく事でもある。


無論、カウンセリングに関する技法は、微細なものを合わせれば現在では数百種類にも上ると言われ、支持的カウンセリングの代表である来談者中心療法だけで全ての問題に対応できるわけではない。
比較的、広範囲にわたる心理的な問題群に適応しようとカウンセラーが望むならば、少なくとも面接相談法において2種類以上の技法に精通し、具体的な不適応の状況を改善していく為の行動療法及び認知行動療法を行える事が期待される。
更に、クライアントの性格・人格・価値観・態度の傾向を適切に理解する為の心理アセスメントの手段を持ち、自律神経系のセルフコントロールを可能とするような内観的な技法や無意識的な心理内容の意識化に関する精神分析理論にも明るければ、かなり柔軟な汎用性のあるカウンセリングを展開する事が可能となってくるだろう。

反対に、非指示的な徹底的傾聴と共感的理解にこだわる支持的療法(来談者中心療法に代表される標準的な心理相談的態度)のみしか技法を有していないカウンセラーの場合には、クライエントの側に積極的に問題解決を模索していけるだけの意志の強さや自我の確立がなければ、多くの困難なケースの場合、具体的な積極的アプローチを持たないが故に、効果的な心理や行動の変容を導いていくことが難しくなってくると予測される。

また、カウンセリングは、人間的な相互の関係性や対話・表情によるコミュニケーションといった『パーソナリティ要素』に重点を置くのに比較して、サイコセラピーは、悩みや症状の種類に適応した『基礎理論・技法の修得とその実践的応用』に重点が置かれるところに違いが見られる。
しかし、カウンセラーの能力は、『personality(人格的要因)』と『intelligence(知性的要因)』の総合と均衡によって測られるべきものであり、どんなクライアント(他者)にも対応できる事を目標とする『人間性の陶冶』とより多くの心理的問題に対処できる事を目指す『知識学習の継続と技術話法の練磨』が要請されてくる事となる。