ライフスタイルの構成と要素:私を知り、あなたを知るということ。

『ライフスタイルとは何か?』という定義を一義的に述べる事は難しいし、個人差が大きく、その内容や程度は、正に千差万別の様相を呈することになる。
ライフスタイルを出来る限り詳細に知る事は、相手をより幅広く、奥深く知る事につながる。
他人同士が一緒に生活する結婚が難しいと言われるのも、基本的には幼少期から習慣として蓄積されてきたライフスタイルの差異だったり、相性の悪さだったりする事が多い。
相手の性格や容姿や才能に惹かれて好きになった相手と、長期間一緒に良好な関係を維持できるかどうかのかなりの部分が、相手のライフスタイルを全面的に寛容に受容できるか、あるいは相手が自分のライフスタイルを快く受け容れて肯定してくれるかにかかっている。
当然、ライフスタイルを理解することは個別的な人間関係に役立つだけではなく、医療場面や福祉場面カウンセリング、企業活動など社会の広範な分野において他者の全人的な理解を促進させる事に役立つ事になるだろう。

以下に、ライフスタイルの構成要素を『身体・心理・社会・哲学の位相』に分類して、箇条書きすることで感覚的に俯瞰してみたい。



ライフスタイルの構成と要素

  • 身体的位相
    • 体質・気質・先天的特質・遺伝疾患・・・主要な遺伝的特性によって、強健か虚弱かなどの体質面での表現形質が異なり、積極的か消極的かという気質面での類型が異なってくる事があるが、後天的な環境や経験によってそれらは変更する事が可能な部分も多い。
    • 年齢・生物学的性差・・・心身の発達段階によって生活様式や実存的思考は変わってくる。生物学的性差は、社会的性差(ジェンダー)によって大きな影響を受け、その文化や民族の範型としての男性らしさや女性らしさを身につけるようになるが、先進国のフェミニズムの立場などからは、社会的圧力や要請・期待による性役割の押し付けは不公正であるとしてジェンダーフリーの思想や運動も起きている。年齢や生物学的性差は、性転換手術などの特殊な技術に拠らない限りは、基本的に変更が不可能である。
    • 発達段階で生じる加齢に伴う実存的な苦悩・・・加齢現象を衰退や弱体化とうイメージと結びつけ、ネガティブな老化としか認識できない人の場合には、中年期や初老期において精神的危機が訪れる場合がある。ある種の心理的転換点であり、それまでの知識や経験や人間関係の蓄積を生かして、どう加齢現象とうまく付き合っていくかが重要な課題となる。
    • 身体の健康にまつわる環境的要因・・・住宅環境、職場環境、学校環境で有害な化学物質による汚染がないか、気候風土が自分の慢性疾患や基礎疾患に悪影響を与えていないかなど、環境が身体に与える影響。
    • 認知傾向……外界の出来事や現象をどのようなものとして解釈して理解しているか。積極的かつ建設的な認知傾向を持っている場合には抑うつ感や不安感や絶望感を生じにくいが、消極的かつ破滅的な認知傾向を持っている場合には神経症抑うつ感などによって心身のバランスを崩したり、自律神経失調症や心因反応、ストレス反応などの心因性の問題を起こしやすい。認知は、心身の健康の根幹を左右する非常に大切な要素である。
    • 気質・性格・人格(パーソナリティ)……性格心理学において研究されている個人を特徴付ける類型・特性・パターンである。体質>気質>性格>人格の順で、より先天的な要因に規定される部分が大きくなるとされるが、性格や人格は、経験や学習、人間関係、社会的立場によって可変的であるために、Aという人物の性格は『明朗活発で爽やかであり、仕事熱心だが几帳面な面もある』というのは、その人格心理測定尺度を用いた時点・状況での性格に過ぎないという解釈の仕方も重要になってくる。いずれにしても、人間の性格を包括的に把握する事は容易ではなく、性格心理学の提示する理論枠組みは、その人物のおおまかな行動傾向や典型的な特徴との類似性を示しているに過ぎないという謙虚な知的誠実さを忘れてはならないだろう。また、ヒステリー型性格やメランコリー親和型性格など特定の精神疾患に罹患しやすい性格傾向やタイプAに代表される生活習慣の乱れにつながりやすい性格傾向には、深刻な病気にならないような予防的注意が必要である。
    • EQ(emotional quality)とIQ(intelligence quotiant)とのバランス……推理・記憶・計算・論理・数理などの人間の精神の知的機能の程度や特性を計測するIQだけでなく、自己認知力・自己統制力・共感性・コミュニケーション力・柔軟性・楽観性といった要素によって自分らしく楽しく生きる機能、社会活動への適応や対人関係の円滑さを計測するEQというものもあり、極端にどちらかに偏り過ぎるよりも、程よく両者が均衡しているほうが望ましいとされる。
    • 食生活……朝食を抜かずに食べているか、夕食の時刻は早すぎたり、遅すぎたりしないか、不規則な夜食やおやつを摂り過ぎていないかといった食事の周期性・規則性。食事内容と食嗜好によって栄養のバランスが偏らないように、バランス良く多品目の食事を摂取するようにする。健康維持に必要最低限なカロリーを摂取しないような危険なダイエット習慣を作らないようにする。過食、拒食、自己嘔吐、下剤や利尿剤の濫用、ビンジ・イーティング(衝動的なやけ食い)、サプリメントへの極端な依存は、健康な食生活習慣を破壊して、神経症圏の摂食障害(eating disorder)に陥ることも少なくない。摂食障害は、症状が亢進すると生命の危険に及ぶこともある為、軽視できない心身両面の疾患である。
    • 睡眠……毎日の起床と睡眠は規則正しく行えているか。睡眠時間の不足の為に、日常生活に支障が出ていないか。うつ病に特有の午前中に気分が優れず憂鬱感が出て、夕方から夜にかけて気分が晴れてくるといった『日内変動』はないか。『ぐっすりと眠らなければ、明日の仕事が出来ない。学校で勉強できない』といった強迫観念を日常的に意識していないか。その為に精神交互作用が生じて交感神経が興奮して睡眠障害の原因を自分で作り出している場合がある。環境改善やカウンセリングを行っても、どうしても眠ることが出来ない場合には、必要に応じて、睡眠導入剤抗不安剤を服用して良質な睡眠を取るようにすべきである。現在、睡眠薬の主流であるベンゾジアゼピン系は、かつてのバルビツール酸系と異なり、極めて安全性が高く、依存性も低いとされているので、医師の処方箋による用法用量を遵守していれば副作用に苦しめられるといったことは殆どない。
    • 運動習慣……様々な趣味や娯楽によって気晴らしやストレス解消が出来るが、心身医学的な健康の見地からも毎日、年齢や体力に応じた一定量の適切な運動をして体を動かす事が望ましい。瞬発的に強い負荷がかかる無酸素運動よりも、持続的な程よい負荷がかかる有酸素運動のほうが、健康維持には適している。強度・時間・持続・頻度・取り組み態度・面白さや爽快感などの観点で、様々な運動を経験しながら自分に最も適していて長続きしそうな運動を選ぶのがよい。
    • 排泄行動……規則的に毎日快適な排泄が出来ているか、下痢や便秘が頻繁に起こったり、習慣化していないかが重要になってくる。心理的な原因があって、自律神経系のバランスを崩し、胃炎、胃潰瘍、十二指腸潰瘍や消化器の穿孔等消化器系に症状が出ることは極めて多い。登校や出社の時間などに決まって下痢を繰り返したり、腹痛を訴える場合には、過敏性腸症候群を考える必要もある。
    • 性行動……性的欲求を違法でない適切な方法で満たす事により、心身の安定感や充足感を得ることができ、配偶者や恋人と相互的な信頼と支持の関係を維持できているか。性の対象者は、配偶者や恋人を相手にした安定的な親密な関係の対象者なのか、異性なのか同性なのか、あるいは、不特定多数の不安定な関係の対象者なのかといった事も当時者のライフスタイルに大きく関与してくる。加齢現象や精神疾患、心因反応による性欲低下と性交不可能な性機能不全などの問題が、夫婦関係の疎遠やコミュニケーション不全につながっていたり、セックスレスの背景にあったりする。
    • 心身の健康の増進と鍛練……医食同源の食療法、呼吸法やヨーガ、内観法や瞑想などの自律神経系のセルフコントロール、乾布摩擦、温泉療法、冷水浴、気功法、鍼灸太極拳、健康体操・ストレッチングなど、自分自身で実行している健康増進法や養生法。
  • 社会的位相
    • 生活形態……家族と同居か、親と同居か、一人暮らしか、恋人との同棲かといった生活形態はライフスタイルの基盤となってくる。家族構成や同居構成における人間関係が円滑なのか険悪なのかは、その人の基本的な安定感や安心感が保持されているか否かと密接に関わっている。
    • 社会的関係に対する基本的態度……他者とどの程度の親密な付き合いをするのか、初対面の他者に対してどのような態度を取るようにしているのか、他者との適切な距離感はどのくらいかといった他者との社会関係に対する基本的態度は、気質的な部分と幼少期から繰り返される人間関係とコミュニケーションの体験によってその基本的傾向や態度が形成されてくる。深層心理において、相手からどのような反応や態度を引き出したいのかと考える無意識的な意図が人間関係に影響しているという説もあるが、人間は有限の時間と体力しか持っていないので、成長して知人が増えていくにつれて、意識的に自分は誰と親密に付き合い、誰と疎遠になっていくのかを判断している事も多い。
    • 対人関係パターン……前項とほぼ同じ要素であるが、自己中心的な対人関係を構築しやすいのか、他者中心的に過剰適応した対人関係を構築しやすいのかといった個別的な対人関係のパターンがある。自分中心に相手の事情や感情をあまり配慮せずに身勝手な関係を求めれば、自然に相手は離れていくし、他者の期待や欲求に応えるために自分の気持ちや事情を押さえつけて、相手に適応し過ぎれば心身が疲労するばかりで自分にとっての『関係を持ち続ける意義』を見失ってしまう事になる。
    • 学校環境……就学状況はどのようになっているか。不登校(登校拒否)や長期欠席、頻繁な遅刻早退の有無とその原因。本人にとっての最善の学習環境はどのようなものなのかを考える。いじめや学校環境への不適応などがあれば、教師や学校関係者、双方の親達も共にその問題を解決する方策を考えなければならない。学業成績の不振や授業への参加意欲の減退も、学校への登校意志を弱めることがある。塾通いや習い事、クラブ活動の有無と学校以外の場での同世代との人間関係なども重要になってくる。休日の過ごし方はどのような行動が中心になっているか。
    • 生活履歴……出生地・生育地・家庭環境・両親の夫婦関係の質・離婚再婚の有無・DV(ドメスティックバイオレンス)の有無・親の犯罪との関連や性格的問題・育児のへの不適応・兄弟関係や親戚関係の内容など現在に至るまでの生活環境と感情体験と学習経験の総括的な履歴。
    • 余暇と趣味嗜好……心身の疲弊やストレスの蓄積を回復するのに十分な余暇や休養を取ることができているか。休暇の日には、どのような趣味を通して精神的な満足やリラックスを得ているか。日常的な生活環境を離れて、綺麗な景色や気の合う相手との会話を楽しむ為のドライブや史蹟名勝を巡る観光旅行なども外向的な活動にストレスがない人ならばいい気分転換となる。
    • 心理的支持となる人間関係……自分の悩みや愚痴を打ち明けられる相談相手や友人知人、遊び仲間の存在があるかないかは、その人のライフスタイルにおける対人関係の充実度を測る一つの指標と考える事が出来る。また、同じ趣味や嗜好を持つ友人知人の存在があれば、その相手と過ごす時間そのものが心理的な支援や援助の役割を果たしてカウンセリングに似た効果を表す場合もある。喜びや感動を一緒に味わう体験を繰り返す事は、基本的な他者への信頼感をいっそう強化する作用を持つ。
    • 経済状況……毎日の生活を維持する事の出来る収入や貯蓄があるか否かは、精神的な安定感や対人関係の余裕にもつながってくる。収入・貯蓄の相対的な多寡はそれほどQOLの高低には関係がないが、食事ができない、住む場所がないという日常生活に支障を来すレベルでの経済的困窮や借金等は大きな問題である。経済的困窮の原因が、無職や労働忌避にある場合は生活に必要最小限の収入を得る為の就職活動を進めなければならないし、買い物依存症ギャンブル依存症等の嗜癖問題や豪遊・放蕩・浪費といった無駄遣いがあるならばそれを段階的に是正する対処をしなければならない。家計のバランスが生活不能なまでに崩れている場合には、家庭システムそのものが正常に機能しないこととなり、大人だけではなく子どもにも様々な悪い影響を与える。
    • ボランティア活動……自分の余暇や能力を活かしてボランティア活動をして、社会的貢献をし、心理的な充足感を得られているか。ボランティアの動機・内容・頻度・負担・社会貢献度など。
    • ライフイベント……人生の過程で起きる大きな節目にあたるイベント。出生・入園・就学・引っ越し・転校・進学・就職・独立・昇進・降格左遷・結婚・出産(子どもの誕生)・子どもの独立・離婚・近親者の死去・事件事故の被害・自己の死など様々なライフイベントを私たちは人生の過程において経験する。
  • 哲学的位相・実存的位相
    • 生きる意味や価値の探求と創造……人間は生物学的な利己的遺伝子の目的である『個体の生存維持・自己保存欲求』と『子孫を残す事による遺伝子保存・結果としての種の保存』のみに規定されて生きるわけではなく、個別的な思考・感情・認知・行動を通して『人生の意味・生きる価値』を志向する本性を持っています。ニヒリズム虚無主義)を信奉して『この世に生きている意味など何もなく、人生とは空虚で無意味なものである』という結果を様々な事例や論理を駆使して述べる人であっても、そういった『知的な言論活動』や『メタ次元での生の内実の読み解き』に知的好奇心を充足させ、無意味さの根底を追究しようとしています。

行動の次元や物理的な次元に生き甲斐を見出す人もいるでしょうし、ニヒリズムであっても思考による観念の次元や精神的な次元に生き甲斐を見出す人もいるでしょう。
個人の価値観は、千差万別で相対的で可変的なものですが、人は何かしら自分の存在や活動や観念に意味を求めてしまう傾向を持っているのではないかという思いがあります。フランクルのロゴセラピーのように実存的な生きる意味の探求を理論や技法の中心に置いているものもありますが、生きる意味は具体的に特定できない場合や明確に言語化できない場合も多いかと思います。
それでも、生きている事を選択している現在では、死ぬのが怖いという理由にせよ、死ぬのが面倒臭いという怠惰にせよ、『生きる事を選択し、現実に生きている』のです。その生死を巡る逡巡や葛藤にも、生きる意味の光が射す可能性が多いにあります。

    • ライフステージ……自分が人生全体の発達過程のどのステージに現在位置しているのかによって、自己概念や自己認識、実存的な意味付けの深みが変容してくることがあります。
    • 宗教と信仰……特定の宗教宗派を深く信仰し、その教義や戒律を信じて遵守している場合には、生きる意味や価値はその宗教教義や信仰に基づく死生観や世界観に大きく依拠することになります。ポストモダン以降の世界は、固定的価値観や絶対的権威が喪失して、個人の価値観は多様化し流動化していますが、宗教を信仰し帰依するという事は、宗教の説く世界観や価値観を全面的に受け入れ、絶対的な価値観や実存的意味付けを獲得する事でもあります。

ある宗教を信仰するか否かは個人の自由ですが、個人の自由意志による選択を許さないような主体性を完全に奪う宗教団体や法外なお布施や寄付を強要する宗教団体には注意が必要かもしれません。とはいっても、主体性や自律性を奪われても、全てを神や教祖に委ねることで安心や安定、幸福や自信が得られるという敬虔な信者を完全に否定するわけではありませんので、最終的には違法な勧誘手段や洗脳を行っていない限りは、自己責任で判断するしかないと考えています。