ジェフリー・ディーヴァー『石の猿』:毛沢東の独裁体制とルサンチマンの独善的支配欲求


id:cosmo_sophy:20050106,id:cosmo_sophy:20050108において、ジェフリー・ディーヴァー『石の猿』の概略と感想を記した際に、毛沢東時代の中国共産主義の暗黒面である『大躍進と文化大革命』について軽く触れたが、その暗黒こそがこの小説の敵役である蛇頭幹部クワン・アンを冷酷無比で殺人機械のような“ゴースト”にした原因であり、生涯消え得ぬトラウマであった。



ゴーストの父親は、1960年代にその状況を一変させようとしていた。
父親は、旺盛な野心と綿密な計画性というめったにない組み合わせに恵まれていた。ずんぐりした体格の起業家は、いくつもの冒険的事業に手を出していた。南ベトナム軍を支援するアメリカを追い帰すために軍備を強化していたベトナムに軍用品を輸出し、廃品投棄場を経営し、金貸しをし、住宅を建て、ロシアから機械類を輸入していた――もっとも利益率が高かったのが<レマロフ>のエレベーターで、価格が安く、機能的で、めったに死者を出さない安全性を備えていた。

福州の共産党の後ろ楯もあって、クワン・ババ―“クワン父さん”という意味のニックネーム―は<レマロフ>のエレベーターを数千基輸入して建設公社に販売する契約を結んでいた。設置の為にロシア人技術者も招いていた。中国の空の風景は塗り替えられ、自分はいまよりももっと金持ちになるはずだという確信をババが抱いていたのも不思議はない。

成功しないわけがなかった。共産党が押し付けた男女共用の人民服をきちんと着て、共産党大会には必ず出席し、南東部全域に関係(グワンシー)*1を持ち、彼の会社は福建省でもっとも成功している会社の一つであり、北京に多額の利益をもたらしていたのだから。

しかし華々しいキャリアはふいに終わりを告げた。理由は単純だ。毛沢東という名の実直な、まじめなだけがとりえの兵士上がりの政治家が出現したからだ。毛沢東の気まぐれから始まった1966年の文化大革命は、国中の学生たちを奮い立たせ、“四旧”を打破させた――古い文化・風俗・思想・習慣。

福州の裕福な地域にあったゴーストの父親の邸宅は、暴徒と化した若者たちの最初の標的の一つとなった。若者たちは偉大なる主席さまの命令によって通りを占拠し、理想に体を震わせていた。
『お前は旧い思想を捨て切れていない』学生のリーダーは怒鳴った。
『悔い改めるか。旧い価値観を捨て切れていない事を告白するか』

クワン・ババは彼らを居間で迎えた。一家を取り囲んだ学生の数は凄まじく、居間がまるで刑務所の独房ほどに縮んだかに思えた。父親の学生たちを見返す目には、恐怖だけでなく、当惑が浮かんでいた。自分のしてきたことの何が責められているのか、本当に理解できなかったからだ。

『告白し、再教育を求めれば、見逃してやろう!』別の学生が叫んだ。
『お前は古い思想と古い価値観と、古い文化という罪を背負っている……』
『人民の苦しみの上にブルジョワの帝国を築いた!』

実際のところ、学生たちは、クワン・ババが何で生計を立てているのか知らなかったし、彼が経営する会社がJ.P.モルガンの資本主義思想を礎としているのか、それともマルクス主義レーニン主義毛沢東主義思想を礎としているのか、それさえも知らなかった。彼らが知っていたのは、クワン・ババの家が自分達の住む家よりも高級であること、忌み嫌われる“旧”時代の美術品―西側諸国の横暴に抵抗せねばと思わせるような類のものは一つもなかった―を買い揃えることができるほど裕福であることだけだった。

(中略)

学生集団のリーダーは、幹部たちとともに居間の真ん中に立っていた。黒縁の眼鏡をかけていた。レンズは少し傾いていた。地元の公社で作ったものだからだろう。口からつばを飛ばしながら、リーダーは幼いクワン・アンを相手に熱に浮かされたように問答を繰り返した。クワン・アンは、その何年も前に父親から算盤の使い方を教わったインゲン豆の形のコーヒーテーブルの傍らにおとなしく立っていた。

『お前は古い思想を捨て切れていない』少年の鼻先に顔を突きつけるようにして、リーダーは怒鳴った。
『悔い改めるか』一言ひとことを強調するかのようにリーダーは何か訊くたびに太い棒―クリケットのバットのように太かった―を少年との間に振り下ろした。棒は重い音を立てた。

『はい、悔い改めます』少年は落ち着いた声で答えた。
『人民に許しを乞います』
『退廃的な価値基準を捨てるか』
どすん。

『はい、退廃的な価値基準を捨てます』“退廃”が何を意味するのか知らないまま、彼は答えた。
『古い価値基準は、人民の幸福を脅かします』
『古い思想を持ち続ければ死ぬことになる』
どすん。
『では、古い思想を捨てます』
どすん。どすん。どすん……

問答は果てしなく続いた。ようやく終わったのは、学生たちが握った、先端に鉄片のついた棒が雨のように降り下ろされ、それまで彼らが叩いていたもの―縛られ、猿轡を噛まされて少年の足下に転がされた両親―の命がついに尽きたときだった。

学生たちが飢えた獣のように求める答えを繰り返す間、ゴーストは血まみれの二つの体に一度たりとも目を向けなかった。
『古い思想を捨てます。古いものを拒絶します。無益で退廃的な思想にそそのかされていたことを悔い改めます』
彼の命は救われた。


(中略)

少年は懸命に働いて金を貯め、どの犯罪には手を染めるべきではないか(国から盗むことと、麻薬の密輸だ。いずれも発覚すれば、火曜日の朝、地元の運動場で公開処刑され、新聞の第一面を飾ることになる)、どの犯罪なら比較的安全であるか(中国市場に十分な知識もなくさまよいこんできた外国企業から金を巻き上げること、銃の売買、密入国斡旋)を学んだ。

(中略)

彼が成功したのは、彼を駆り立てるのが金そのものではなかったからだ。金ではなく、挑戦することそのものが彼を興奮させた。


以下、『石の猿』の書評や感想から離れるが、近代中国史を基軸にして、毛沢東の独裁体制やその体制化で行われた文化大革命の悲惨な結末、ルサンチマンの蓄積と集団的暴発などをテーマに少々乱雑になるが縷々考えたところを綴ってみたい。

帝国列強に蹂躙されて、大日本帝国に侵攻された眠れる獅子であった女真族満州民族)の清王朝を、1911年の辛亥革命によって打倒し中華民国を建国した指導者は孫文であった。
その孫文も、清王朝皇帝・宣統帝溥儀の退位と革命の長期安定の為に、強力な軍閥を持つ清の軍人・袁世凱に臨時大総統の座を譲る(第二革命)が、袁世凱は皇帝に即位しようと企み独裁政治を目論むも押し寄せる民主化と反独裁の波の前にその野望は叶わずそのままこの世を去った。

その後の中国の歴史は、日中戦争期に、中国国民党中国共産党が抗日共同戦線を張って国共合作をしたり対立したりを繰り返し、第二次世界大戦終戦後は、毛沢東率いる中国共産党蒋介石率いる国民党が血みどろの内戦、中国大陸の覇権を巡る激しい内戦を繰り返した。
結局、中共が国民党を台湾に追い払って中国大陸を統一し、1949年10月1日に毛沢東国家主席とする中華人民共和国社会主義国として成立する事になる。

毛沢東は、近代中国の建国の父として大きな功績を残した時代の寵児であり、そのエピソードには超人的な精力や行動力を感じさせられるものが多いが、実質的な専制君主として中国に長期間にわたって君臨して行った政策には失政も多く、反体制分子への容赦ない弾圧・投獄・処刑を行った悪しき面も数多く持つ。思想改造や再教育といった名目で、強制収容施設に投獄され、拷問を受け、悲惨な死を迎えたものは相当数に上り、その大部分は何の罪もない中国共産党が人民の敵ブルジョワ階級と呼ぶ一般企業家や資産家、自由な言論・表現活動を主張する思想家、作家や芸術家達であった。

毛沢東やその妻・江青は、共産党内における絶対権力を保持する為に熾烈な政治闘争による粛清・弾圧を頻繁に行い、急進的な毛沢東原理主義の浸透を狙った。
そして、伝統文化破壊と反近代化・反自由化の様相に彩られた文化大革命を断行して、数千万人と言われる膨大な犠牲者を出す事になった。
自らが掲げる政治イデオロギーによって国家や人民を完全に掌握し、経済を計画的に推移させることで生産力を増大させようとしたが、その試みの多くは失敗に終わっている。
毛沢東という歴史的人物は、それまでの中国には存在した事のないタイプの独裁者であり、地方農村部の貧困階層に対する絶大なカリスマ性を有し、貧困階層のルサンチマンと熱狂を上手く利用するアジテートの才能がずば抜けた異能の持ち主であった。

驚愕する他ない時代の悲劇や人類史上の記録的な災厄をもたらした近代の独裁者を振り返ると、ヒトラーレーニンスターリン毛沢東などに典型的なように社会を構成する圧倒的多数のルサンチマンに基づく絶大なる支持をとりつける狡知に長けていることが分かる。
その絶大なる支持を維持するために、ルサンチマンの燃え盛る憎悪のエネルギーを叩きつける仮想敵を構築することも大方共通している。
ユダヤ人・資本家階級・帝国主義者などのスティグマを焼き付けた集団を、スケープゴートとして葬る事で、自らの正当性や優位性を確認しようとするところに歴史的な人類の災禍としての大量虐殺や不条理な粛清が行われてきた。

造反有利のイデオロギーによって旧体制の価値観や経済秩序を転倒して、それまでの社会的な力関係を倒錯的に反転させようとしたのが、毛沢東の政治理念としての社会主義であったし、マルクス階級闘争の思想理念でもある。

毛沢東という個人や中国共産党が、圧倒的な支持と絶対的な権力を獲得できた背景には、社会構成員の大多数が貧困階層に位置していて、極一部の人達が富裕階層として富を独占していたという当時の社会構造を無視することは出来ないだろう。
世界同時革命などのラディカルな暴力革命路線を推進した共産主義運動の核心にあったのは、ニーチェの言う大衆の貴族に対するルサンチマン(弱者の強者に対する怨恨)だったのではないかと考えている。

ルサンチマンは、ニーチェキリスト教世界観を例示して執拗に説明しているように、道徳的価値観において現実の権力関係を価値転倒させるところに真髄がある。
つまり、キリストは弱き者、貧しき者、病める者、醜い者といった社会的弱者を救済する神の象徴であり、十字架にかけられて磔刑に処せられたキリストの弱々しく無抵抗な贖罪の姿は、処刑を断行した現世の権力者が神の殺戮者である事を示唆している。
キリスト教聖典である新約聖書を紐解いて見ればすぐに分かるように、キリスト教の世界観は、禁欲主義が前提にあり、強き者、富める者よりも弱き者、貧しき者のほうが敬虔であり神の意志に適っていて天国により近いと説いている。

現実世界では、貧困者よりも富裕者のほうが支配的で優位であるし、病める者よりも強健な者のほうが楽しく安楽に生活でき、強い者は当然に弱い者よりも幸福で豊かな生活を享受する事になるが、キリスト教の説く世界観の中では価値が転倒されて弱者が強者よりも道徳的に正しく、最終的には永遠の安らぎと幸福を得るという救済が用意されているのである。
現実世界の権力関係が、道徳的次元の善悪判断において、その立場を転倒されるという構造は、実は私たちの人生の至る場面で見られるものであるし、弱者への共感や支援というのは道徳的判断の根底にあるものであり、弱肉強食的な世界を忌避する傾向はおよそ殆どの人に共通している。
私も社会保障制度や社会のセーフティネットは更に充実させて、様々な事情や原因によって公的支援を必要とする人が支援を受けられるようにすべきだと考えているし、誰もが安心して生活できる社会を望んでいる。

毛沢東が、農村部の貧しい小作農や貧困に喘ぐ人民達に呼びかけたのは、造反有利のロジックによってルサンチマンによる価値転倒を道徳的価値という観念の次元ではなく、権力関係という物理的な次元で引き起こそうとしたものだと解釈できる。
『金持ちだから人民の敵であり、利己主義に従って人民から搾取する悪人である。貧乏だから私たちは正しいし、貧乏な原因は資本家階級の資本の独占体制にあるのだ』という短絡的な論理が、吹き荒れる狂信的な文化大革命の嵐の中では罷り通り、紅衛兵の青年達はそれが正しい理念だと盲目的に信じることで、自らの抑圧された怨恨感情や劣等感を暴力的に解放した。

自己正当化の理論武装により、無実の人たちを傷つけ、殺すことに罪悪感や良心の呵責を感じないという心理メカニズムは、テロリストやファシストの心理の特徴である。
そして、どんなに崇高で純粋な理想や目的の為であっても、殺人や弾圧といった手段は正当化されないというのが近代以降の民主的な文明社会・法治国家の不文律としてある。
もし、この原則を踏み外す事を承認すれば、何度でも歴史の悲劇を繰り返し続けるという愚かな選択をしてしまうことになるだろう。

過去の過ちで教訓とすべきは、共産主義時代のソ連毛沢東時代の中国において、政治犯や反体制分子と呼ばれて粛清され投獄された人々や、人民の敵とされたブルジョワ階級(大土地所有者・資本家・企業家)は、実際には殺害されたり、拷問されたりするような罪も落ち度もない人であったことであり、深く心に銘記しておく必要があるだろう。
私たちは、ラディカルなマルクス・レーニン主義毛沢東主義ファシズムの歴史を経験したことで、政治的な意図を持ったイデオロギーを、実際の経済メカニズムや社会システム、市民生活を無視して、形而上学的根拠のもとに実験的に国家運営に適用することの危険性を歴史から学んだといえる。

マルクスが構想した共産主義思想のもともとの理念の中には、未だ有効性を持つ内容のものもあるが、暴力革命や階級闘争一党独裁などの思想は現在では全く有用性や実現すべき価値がなく、国家の内部分裂や悲惨な虐殺を将来する危険なイデオロギーと見なされるべきものである。
怨恨感情や憎悪感情を共鳴させて増幅し、そのネガティブな集合的感情を浄化させる為に『特定のラベリングをした集団』を敵視するアジテートの危険性には、いつも自覚的であらなければならないと思う。

無辜の市民に対する暴力や殺戮、恐怖を手段として政治的目的を果たそうとするイデオロギーや価値観は、基本的にテロリストの論理として排除しなければならない。
しかし、圧政や弾圧、虐殺といった既存権力の暴力的政治活動に対する抵抗(レジスタンス)としての暴力の必要性を完全に否定することが難しいこともまた事実である。

絶望的な貧富の経済格差と軍事力の非対称性を前提として、ある勢力や権力が発動する暴力が存在する限り、政治的目的を掲げた暴力の応酬を終結させる事はおそらくできないだろう。
とはいっても、完全に絶望して悲嘆に暮れていても仕方ない。真摯な対話に基づく政治的調整や社会制度整備、そして、公正で誰もが最低限度の文化的な生活が送れる水準での資源の再分配への配慮、相互理解の促進による和平や互恵的な条件での和解など人間理性と共感感情による賢明な思慮に基づく政治判断を期待したいし、それは人間に備わった心の機能を活用すれば十分に可能なことであると考えている。

*1:グワンシーとは人脈によるコネのことを指す。