ネグリ=ハート『<帝国>』の雑感2:グローバリゼーションの世界秩序と近代国民国家の誕生


<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性
著作:『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』
著者:アントニオ・ネグリ,マイケル・ハート
訳者:水嶋 一憲,酒井 隆史,浜 邦彦,吉田俊実
出版社:以文社




ネグリは著作『<帝国>』において、現代のグローバル社会は、表層的な無秩序と混沌の背景に、超大国アメリカやユダヤ国際資本などの陰謀説に安易に還元されることのない『今、そこにある創発された秩序』を持つと述べます。
『今、そこにある創発された世界秩序』を形成するものは、特定個人でもなく、単一の超大国でもなく、特定可能な利益集団でもありません。
グローバリゼーションの進展を背景において支えるのは、グローバルな諸権力の相互作用とマルチチュードの解放と繁栄への欲望の集積であり、具体的に予測困難な形で、財・サービスを配分するのは、市場経済のメカニズムです。

国際社会の秩序に関して、法律の系譜学(歴史的な流れ)を、ネグリは独自の近代史観と国家観で展開し、私たちに、列強諸国が戦火を交える群雄割拠の混沌から国連のような超国家的機関による秩序形成が生まれるまでの歴史を語ろうとします。
現代社会に生きる私たちが、最大の共同体の単位として国家を語る時、それは他国の内政への干渉を許さない独立した『国民国家(nation state)』を指していることが暗黙の前提となっています。

国民国家を基本単位とした国際社会の認識がいつ始まったのかという『国民国家の起源』に関しては、1648年のウェストファリア条約*1に求める事が学説の主流になっていますが、ウェストファリア条約締結の条件整備として『哲学史上における近代的自我の確立』と『キリスト教文化圏における聖俗分離(政教分離)』を無視することは出来ないでしょう。

哲学史上において近代的自我の確立の宣言とされるのは、ルネ・デカルトの『方法序説』ですが、ルネ・デカルト以外にも、フランシス・ベーコンホッブズ、ロックなどのイギリス経験論の系譜に属する哲学者・政治思想家達も近代的自我を確立する過程へ、様々な思索の営為を通して強固な影響を与えています。
ドイツ、スイス、フランスなどを母胎とする16世紀のプロテスタント宗教改革は、神の権威によって世俗権力による支配が正当化されるというカトリックの世界観の強度を揺らがせました。

エストファリア条約締結を境界線として、世俗的権力が宗教的権威に対する優位性を段階的に確立していき、宗教による統治の正当化や連帯感の維持に代わって民族を同じくする事に一体感を見いだすナショナリズムが次第に力を強めてきます。
近代の歴史が進展する過程では、国家統治における政教分離の進展が進み、国民の主権者意識の高まりと共に、近代の国民国家は『立憲政治を原則とする法治国家としての体裁を整え、議会政治を通した民主的な意志決定を行う民主国家』であるという意識が浸透していきました。

ヨーロッパの中世が終焉する過程の歴史は、宗教権威による神聖政治や個人権力による独裁人治を否定する水脈の勢いを強め、法律に基づく統治である法治と法治国家こそが、社会秩序を維持する最も正当性と実効性のある政治形態であるという結論へと私たちを押し流していきました。
『強制力のある法律による規制と処罰の原則』は、国民国家の内部における秩序維持のみならず、国際社会の秩序維持にも敷衍されていき、第一次世界大戦後には国際連盟成立(1920)となって具体的な法制による国際秩序の形を示します。
しかし、ヴェルサイユ条約に基づいて成立した国際連盟は、国際平和を理想としながら*2も極めて不完全で曖昧な国際機関であり、ウィルソン大統領が提唱したにも関わらず、アメリカ自身は、国際社会での政治的中立を宣言する孤立主義としてのモンロー主義を理由として国際連盟に加盟しませんでした。

ソ連やドイツも成立当初には加盟していなかったことや日本が1933年に脱退したことも、国際連盟の実質的調停能力を喪失させた原因として指摘できます。しかし、やはり、当時の大国であるアメリカとソ連の不参加、そして、国際連盟が派遣できる軍隊がなかったことや紛争調停の為の具体的な制裁手段が発動できなかったことが国際連盟を有名無実化した決定的要因であったと言えるでしょう。

そういった国際調停機関としての国際連盟の無力さを踏まえ、二度にわたる悲惨で破滅的な世界大戦の反省に立って誕生したと解釈できる『国際連合(国連)』は、段階的に発展してきた国際的な法的秩序の具現化した国際機関であり、『国際連合憲章』の前文と第一章の第一条と第二条には、現代国際社会が遵守すべき普遍的理念が掲げられています。


以下に、国際連合憲章の第一章と第七章を示しておきます。



われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。
よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。



第1章 目的及び原則

第1条

国際連合の目的は、次のとおりである。

1.国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。

2.人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。

3.経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。

4.これらの共通の目的の達成に当たって諸国の行動を調和するための中心となること。

第2条

この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。

1.この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。

2.すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない。

3.すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。

4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

5.すべての加盟国は、国際連合がこの憲章に従ってとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合の防止行動又は強制行動の対象となっているいかなる国に対しても援助の供与を慎まなければならない。

6.この機構は、国際連合加盟国ではない国が、国際の平和及び安全の維持に必要な限り、これらの原則に従って行動することを確保しなければならない。

7.この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7章に基く強制措置の適用を妨げるものではない。




第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動

第39条

安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。

第40条

事態の悪化を防ぐため、第39条の規定により勧告をし、又は措置を決定する前に、安全保障理事会は、必要又は望ましいと認める暫定措置に従うように関係当事者に要請することができる。この暫定措置は、関係当事者の権利、請求権又は地位を害するものではない。安全保障理事会は、関係当時者がこの暫定措置に従わなかったときは、そのことに妥当な考慮を払わなければならない。

第41条

安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。

第42条

安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

第43条

1.国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ1又は2以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。

2.前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提供されるべき便益及び援助の性質を規定する。

3.前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。この協定は、安全保障理事会と加盟国との間又は安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。

第44条

安全保障理事会は、兵力を用いることに決定したときは、理事会に代表されていない加盟国に対して第43条に基いて負った義務の履行として兵力を提供するように要請する前に、その加盟国が希望すれば、その加盟国の兵力中の割当部隊の使用に関する安全保障理事会の決定に参加するようにその加盟国を勧誘しなければならない。

第45条

国際連合が緊急の軍事措置をとることができるようにするために、加盟国は、合同の国際的強制行動のため国内空軍割当部隊を直ちに利用に供することができるように保持しなければならない。これらの割当部隊の数量及び出動準備程度並びにその合同行動の計画は、第43条に掲げる1又は2以上の特別協定の定める範囲内で、軍事参謀委員会の援助を得て安全保障理事会が決定する。

第46条

兵力使用の計画は、軍事参謀委員会の援助を得て安全保障理事会が作成する。

第47条

1.国際の平和及び安全の維持のための安全保障理事会の軍事的要求、理事会の自由に任された兵力の使用及び指揮、軍備規制並びに可能な軍備縮小に関するすべての問題について理事会に助言及び援助を与えるために、軍事参謀委員会を設ける。

2.軍事参謀委員会は、安全保障理事会常任理事国参謀総長又はその代表者で構成する。この委員会に常任委員として代表されていない国際連合加盟国は、委員会の責任の有効な遂行のため委員会の事業へのその国の参加が必要であるときは、委員会によってこれと提携するように勧誘されなければならない。

3.軍事参謀委員会は、安全保障理事会の下で、理事会の自由に任された兵力の戦略的指導について責任を負う。この兵力の指揮に関する問題は、後に解決する。
軍事参謀委員会は、安全保障理事会の許可を得て、且つ、適当な地域的機関と協議した後に、地域的小委員会を設けることができる。

第48条

1.国際の平和及び安全の維持のための安全保障理事会の決定を履行するのに必要な行動は、安全保障理事会が定めるところに従って国際連合加盟国の全部または一部によってとられる。

2.前記の決定は、国際連合加盟国によって直接に、また、国際連合加盟国が参加している適当な国際機関におけるこの加盟国の行動によって履行される。

第49条

国際連合加盟国は、安全保障理事会が決定した措置を履行するに当って、共同して相互援助を与えなければならない。

第50条

安全保障理事会がある国に対して防止措置又は強制措置をとったときは、他の国でこの措置の履行から生ずる特別の経済問題に自国が当面したと認めるものは、国際連合加盟国であるかどうかを問わず、この問題の解決について安全保障理事会と協議する権利を有する。

第51条

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。


国際連合の、国際紛争解決を出来うる限り、平和的手段である対話や交渉、利害調停によって行おうとする理想的目的や普遍的理念は素晴らしいものですし、大国の指導者達は、現代の国民国家の理念にそぐわない国際的脅威である独裁国家への軍事的介入を遂行する前に幾度も連合憲章前文の理念に立ち戻る必要も感じますが、アメリカのユニラテラリズムによる国連無視の戦争を含む強硬的外交姿勢や世界各地で頻発する小規模な内戦内紛やゲリラ、テロ活動などを目の当たりにしている私たちは国連の実質的権威の失墜を感じずにはいられません。

世界秩序を良好に円滑に維持する為の、超国家的な国際機関への信頼を取り戻す事が出来なければ、世界は超大国と有志連合の保安的警察活動による秩序維持にその問題解決を委任するか、<帝国>的な特定の主体に還元されない経済的利害に駆動されるグローバルなシステムの不安定な決定に一喜一憂するかという選択を為さざるを得ない地点に辿り着く懸念もあります。

超国家的な国際機関は、実体性や主体責任のない形而上学的な理念の暫時的な現れに過ぎないのだから、国際的な紛争や対立の全てを、国民国家内部の法秩序のような国際的な法体系に基づく秩序で、調停・解決することは日本国憲法前文のような“建前としての理想論”に過ぎないというリアリズムと政治力学を信奉する政治学者や軍事アナリストもいるでしょうが……果たして、世界の対立や紛争を国際世論が同意する客観的な理念なき実力(軍事力)で捩じ伏せる形でイラク戦争のように解決する事が良いのかどうか……これは、今後の国際社会が背負うべき平和と秩序を巡る大きな問題だと思います。

幾ら過激な政治思想家であっても、16世紀のトマス・ホッブズのように行為の善悪の判断基準を単独国家におき、軍隊は地上の神であるなどとして、軍事力を根本原理にするのは時代錯誤ですし、ホッブズの説く“国家に道徳規範は従属するという倫理観”は極めて危険なファシズムの領域に隣接するものです。

*1:ウェストファリア条約は、1618年-1648年まで続いたヨーロッパ史上最大の宗教戦争である三十年戦争講和条約であり、封建領主に相互不可侵な統治権としての国家主権を認めて、近代国民国家の枠組みの起源となりました。三十年戦争の始まりは、敬虔なカトリックの守護者・ハプスブルク王家による苛烈な新教徒(プロテスタント)弾圧に対するプロテスタントの反乱でしたが、周辺諸国を巻き込む悲惨な長期間の大戦争へと拡大発展しました。旧教・カトリック側には、旧教徒連盟リガ、ハプスブルク王家、スペインがあり、それに対抗する新教・プロテスタント側には、新教徒連合ユニオン、グスタフ・アドルフ率いるスウェーデン、旧教国ながら政治的利権獲得の為に乗り出したフランス、デンマークがあって、ヨーロッパ各地で血みどろの内戦を繰り広げました。ウェストファリア条約によって確認された国民国家とその統治の原則として、『国家主権の排他性と相互尊重』『国際社会の基本単位としての国民国家』『地理的領土の保全』『国家間条約の締結による国際法整備』があり、外交としての戦争を認可する『外交手段の選択としての国際法に則った戦争の認知』があります。

*2:国際連盟の設立趣旨は、国際紛争の平和的解決、集団安全保障体制の確立、国際協力体制の確立、大国の軍備縮小という理想論に満ちたものでしたが、設立当初からアメリカは外交的無関心であるモンロー主義を標榜していた為に不参加であり、新興共産国家であるソ連も排除されていた為、その国際平和維持に対する政治的強制力の基盤が全くありませんでした。また、国際連盟の意志決定は、全会一致を原則としていた為、具体的な実効性のある決議を迅速に採択する事も難しいという制度的欠点もありました。しかし、国際連盟の成立そのものは、国際紛争を対話や交渉によって解決しようとする理念を確認するという意味での意義はあったと考える事が出来るでしょう。