人格障害(クラスターB)の認知理論的な解釈


クラスターB(B群)……相互的な対人関係を築けない情緒不安定や依存性を特徴とし、自己の欲求や衝動を制御する良心や規範意識の乏しい群


境界性人格障害(borderline personality disorder)


かつては、境界例と呼ばれ、精神病と神経症の中間領域にある人格傾向や症候群とされたが、現在は衝動性と依存性に基づく不安定な人間関係と自己否定感情に基づく自傷行為を主要素とする境界性人格障害として再定義されている。対人関係において、適切な距離感を取る事や相互の自由を尊重し合う事が不可能であり、その根底にあるのは『他者への基本的不信感と見捨てられ不安』である。

境界性人格障害は、元々は、精神分析学の対象関係論の分析家によって『境界例(ボーダーライン)』という精神疾患の分類として考えられた概念であるが、現在では特異的な傾向や性質を示す人格構造の概念として用いられるようになっている。

境界例という用語が頻繁に使用されていた時期には、境界例に特徴的な人格構造として以下のようなものが挙げられていた。

  • 自我同一性の統合不全や自我発達の未成熟
  • 比較的よく認識されている自己と対象の境界
  • とりあえず正常圏にある現実吟味能力

しかし、境界例という疾病分類概念には、長い間、明確に統一的に定義された基準が確立されず、診断を下す際には、精神科医の主観的な印象や判断が多く介在してきたこともまた事実であり、同じ境界例の人であっても、その実際の病理的状態や行動特性は実に多様性に富んでいて、同じ疾患を持っているとは思えないというケースも多々あったようである。




DSM-Ⅲ-Rによる境界性人格障害の診断基準

全般的な気分、対人関係、自己愛の不安定さのパターンで、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、少なくとも、5項目により示される。

1.過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く特徴を持つ不安定で、激しい対人関係の様式。
2.衝動性で自己を傷つける可能性のある領域の少なくとも二つにわたるもの。例えば、浪費、セックス、物質常用、万引き、無謀な運転、過食(“5”に示される自殺行為や自傷行為を含まない)
3.感情易変性:正常の気分から抑うつ、イライラ、または不安への著しい変動で通常2〜3時間続くが、2〜3日以上続くことはめったにない。
4.不適切で激しい怒り、または怒りの制御ができないこと。例えば、しばしば癇癪を起こす。いつも怒っている、喧嘩を繰り返す。
5.自殺の脅し、そぶり、行動、または自傷行為などの繰り返し。
6.著明で持続的な同一性障害、それは以下の少なくとも2つ以上に関する不誠実さとして現れる:自己像、性的志向、長期的目標または職業選択、もつべき友人のタイプ、もつべき価値観。
7.慢性的な空虚感、退屈の感情。
8.現実に、または想像上で見捨てられることを避けようとする常軌を逸した錯乱的な努力。“5”に示される自殺行為や自傷行為を含まない。


このように掲げられた境界性人格障害の項目を一つ一つ見ていくと、ある着想や見解が多くの人に自動的に浮かんでくるかもしれない。
境界性人格障害の各診断項目の一つや二つは、現代社会に生きる大勢の責任能力ある大人にも当て嵌まるのではないだろうかという着想である。
特に、好きで好きでたまらない恋人・配偶者との関係を安定したものにしたいと願う時期や、今まで順調に育んできた、親密感に満ちた恋愛関係に別離の兆しが見えた時期などにおいて、大半の人が、境界性人格障害に類似した精神状態や行動特徴を示すことになる。

自分にとって交換不可能な価値を持つと認識している“かけがえのない他者との別離と見捨てられる不安・孤独”が、境界性人格障害に最も特徴的な認知であり、根元的な前提である。
正常な他者への依存心や信頼感と、境界性人格障害の依存心や信頼感との違いは、特別な別れや裏切りを予測される出来事がなくても、必要以上の衝動的な行動によるアピールや過度の興奮や感情的な訴えを見せることで、相手が自分の依存欲求を満たしてくれて、どんな状況にあっても自分を見捨てないという保証を得ようとするところである。

そして、現実状況と無関係に頻繁に起こる情緒不安定と気分の乱高下があり、絶えず空虚な孤独感や苛立ちに取り付かれているため、他人の愛情や支援がなければ自分は生きていくことが出来ないと断定していることが多い事も特徴的である。
境界性人格障害の特徴を簡単なキーワードで示せば、『不安定』『対人関係の混乱』『衝動性と怒り』『依存性』という単語で表現することが出来よう。
境界性人格障害は、非常に多様性のある症状群と特異的な行動群で構成される人格構造なので、境界性人格障害以外にも多数の精神疾患を発症している可能性は意識しておく必要があり、よくオーバーラップする精神疾患として、パニック障害全般性不安障害、身体表現性障害、うつ病双極性障害強迫性障害、短期反応精神病などが挙げられる。

精神の問題は、単純に、表面化する症状や自発的に訴えられる問題のみで分類整理して診断できるわけではないので、絶えず変化する相手の症状・生活状況や問題の内容・性質を注意深く観察して、症候群を形成しているもっとも本質的な苦悩や病態に対して臨機応変にアプローチしていく必要がある。
人格障害精神障害が複雑に絡み合っているのと同様に、人格障害相互もかなり密接で分かち難い関係にあり、同一の根本的原因や個人の性格傾向から、何種類かの人格障害の問題行動が発生するケースも十分に考えられる。


時には、週単位で次々に変遷する症状や問題事項が、境界性人格障害であり、その症状や問題も一般的に標準化された分かりやすい症状・問題でないことが多く、非特異的な症候群として認識されることもありますが、基本的に感情表現は激烈であり、現実の状況や場面に適応していない怒りや憤慨を見せることがしばしばあります。
計画的な行動や試行錯誤した結果の行動を取る事が苦手であり、継続的な目標に向かって行動することや物事の優先順位の決定、性的な関係にまつわる慎重さに問題を抱えている場合も見られます。

手首や腕などを刃物で傷つける自傷行為が日常化して、痛みや恐怖という抑制因子が有効に働かず、衝動的に自分を傷つける行為を意識的に思い止まることが難しくなり、薬剤の過量服用によって自殺念慮、不安感や焦燥感、怒りを鎮静しようと試みるOD(オーバードーズ)の問題を抱えていることも多くあります。
実際に、自殺を確実に実行して死のうとする事を目的としているというよりも、自殺企図や自傷行為によって自らの存在を身体的な痛みによって再確認する意味や、自分が信頼している相手から愛情や労わりの感情を寄せてもらいたい、自分をこの絶望的な窮地から救いだして欲しいという意図が包含されていると解釈すべきでしょう。
とはいっても、自傷行為そのものに全く問題がないというわけでも、自傷行為によって周囲の意識を自分に向けさせる行動や意図が正しいというわけでもありませんから、段階的な行動療法的アプロ−チや支持的療法によって自傷行為を行う頻度を低下させていく必要は当然にあります。

苦しくて何処にも持って行き場のない衝動や怒りから何とかして逃れでたいという無意識的な願望は、容易に意識的な自己否定感や自己嫌悪感とぶつかって激しい葛藤を起こします。
『本当は、自分一人で心理的な問題を解決して力強く人生を生き抜きたい』という無意識的な願望が存在していても、現実的状況や自分の精神状態を振り返ってみると、とてもそこまでの目覚しい成長や問題克服は望めないだろうという悲観的な認知が自動思考として浮かび上がって来ます。
その結果として、自罰感情や自責感、あるいは生きていても仕方がないという虚無感や自暴自棄の感情が生起して、自分を様々な行動によって傷つけ、時には存在そのものを消滅させようとさえ企図します。

自傷行為や自殺願望に限らず、境界性人格障害に特徴的な衝動性と怒りに任せた行為群、セックス依存、物質嗜癖(アルコールや薬物への依存)、無謀運転、摂食障害など自己破壊的な行為は、回復や立ち直りを願う無意識的願望の葛藤から逃れ出るために、『自己の価値の引き下げと弱々しく不適応な自己の再確認→他者の保護保証の希求と自暴自棄な衝動性』という認知的意味を持っていると推察されます。

『否定的な自己像の確立と自我同一性の撹乱』を意識的・無意識的に行い続けてしまうところに、境界性人格障害の問題が複雑化し長期化して、回復が難しくなる根本原因が潜んでいるのですが、その一方で、葛藤を生み出す非現実的なまでに高い要求水準があり、それが満たされないなら何もしないほうがいいという『全か無か思考』の認知も存在しています。
そういった認知理論で説明されるような認知の障害や歪みに加えて、現実的な人間関係の依存や混乱と極端な対人評価の問題も合わさってくるので、更に境界性人格障害の人の精神内界や行動を包括的に把握することは困難を極めてきます。


全か無か思考という『二分割思考』以外にも境界性人格障害の根底的な認知を形成する非適応的な確信が幾つか存在します。

  • 『世界は危険であり、悪意ある他者に満ちている』
  • 『私は、その危険な世界に対峙するには、余りに無力であり弱々しい存在だ』
  • 『私は、生まれながらにして他人から受け入れてもらえず孤独である』

という訂正困難な確信のために、様々な場面で環境適応能力を低下させ、物事や問題に立ち向かっていく自信や勇気を打ち砕かれてしまうことが多くなります。
上述した非適応的な確信の内容をよく吟味してみると、一つの致命的事実にあなたは気付く事でしょう。



ここで、私たちは人間の卓越した精神機能である想像力、その想像力を活かした他者への共感能力を最大限に発揮して、境界性人格構造の内面へと分け入ってみましょう。

悪意ある他者が殆どである世界に住んでいる私が、唯一、自分の味方になってくれ、自分を危険や困難から守ってくれるという恋人や配偶者と巡り合い、その愛情を十分に受けるようになった時にどのような心理反応や感情反応が生起するでしょうか。

私を傷つけ、欺き、騙そうとする不誠実な他者に満ちた生き残ることさえ難しい世界の中では、私は自分一人の能力や努力では生き抜いていくことが出来ないと確信しています。精神的あるいは経済的な独立への自信が欠如していて、不安と恐怖と混乱の感情に精神内界が占領されているときに、信頼できる自分を守ってくれる他者の出現は、ある種の天啓であり救済です。

しかし、その天啓であり救済である愛する恋人・配偶者は、全知全能で無誤謬な神ではないことも私は十分に知っています。
元々は、悪意ある他者しかいないという確信があったのですから、相手が永遠不変の保護や愛情を私に与えてくれるという間違いのない保証はないですし、私は基本的に他人から好意や関心を寄せられるような魅力的な人間ではないという前提的認識を強く持っています。

親密さや依存の欲求を満たしてもらう事には、その満足や幸福以上のデメリットや反動的危機が内在しています。
予測不可能な相手からの拒絶、突然の心変わり(変心)、自然消滅的な愛情の限界……一度、与えられた愛情や依存や親密さを不意に予期できない形で剥奪されるという恐怖や不安は、初めから何も与えられなかった孤独や不安よりも一層冷酷かつ不条理で耐え難いもののように思えるのです。

しかし、私は自分一人で孤独を耐え忍びながら、能力や努力によって独立自尊で生き抜く自信もないですし、やはり誰か自分を絶対的に守ってくれる相手を必要としているのです。
それほど魅力的ではなく、才能にも恵まれていない私は、この恋愛と結婚のチャンスを逃して、相手から嫌われ拒絶されてしまえば、もう新たな異性と巡り合うチャンスなどは決して巡ってこず、一生を孤独で淋しく過ごさざるを得ない状況に追い込まれてしまう事でしょう。

ここに示されている致命的な不合理に満ちた認知としてまず挙げられるのは、相手に、“未来にわたる永続的な愛情や好意を自分に保証して欲しい”という現実的ではない高度な要求水準です。
人間の精神は、自らの信念や道徳を重んじ、忠義や孝行を尽くしたり、義理や人情に突き動かされたりしますが、ある程度の確実性以上のレベルで絶対的・普遍的な保証を行うことは通常、困難なことであり、『永遠かつ完全な愛情・好意でなければ、全く意味がない』という極端な二分法の認知に基づく対人関係は、元々好意的で自分と関係を持ち続けようと思っていた相手をも遠ざけてしまう粘着的な言動に発展することが往々にしてあります。

悪意に満ちた他者と世界の中で、唯一の例外として現れた恋人・配偶者、友人を貴重な存在として認知するのは当然ですが、無数の人間性と感受性の広がりを持つ人々の中で、現在、親密にしている人たち以外は、決して自分の味方になって支援してくれないだろうという認知もまた極端な過度の一般化が施された認知です。

『永続的な関係性で結ばれていなければ、自分には誰一人として親密な恋人や友人がいないことになるだろう』という人間関係の捉え方も、現実性や合理性のあるものではなく、自分自身が恣意的に取り決めた理想的な人間関係への執着にしか過ぎないでしょう。
『この恋愛や結婚契機を逃せば、自分はもう完全に打ちのめされてダメになってしまう』という破滅的な認知は、大勢の恋愛に熱中している人たちや恋人の優しさや魅力に耽溺している人たちによく見られるものですが、一度、失恋や離婚をすれば自分は死ぬまで孤独に生きなければならないという強迫的な観念に取り付かれて、新たな関係構築の意欲が完全にスポイルされてしまっては、自分で自分を他者から孤立した状況に追い込んでいるのと同じ事になってしまいます。

依存欲求と独占欲求は、異性(同性)との恋愛的関係にまつわる同一の情緒的欲求の表裏であるとも解釈できますが、自己の能力に対する自信や長期的な人生の指針を自律的に打ち立てていく中で、過剰ではない依存や独占欲求へと調整されていきます。
『相手を自分の独占・依存の関係から何が何でも引き離さない』という無謀な努力は、結果として、恋愛の終焉や関係の破綻の時期を促進することになりかねないので、『相手と自分の二人で過ごす時間を大切にし、共有する人生の過程を楽しみながら、お互いを自然に自分へと惹き付ける』という無理のない相互的な影響を志向するべきでしょう。

ここまで概観してきただけでも、境界性人格障害という人格構造は、非常に複雑で多面的な要素によって構成されたものという事が分かりますから、理論的な先入観や一般的な言説にあてはめる形で相手を理解しようとしても往々にしてその結果はあまり芳しくないものとなると予測できます。
また、面接場面やカウンセリング状況においては、境界性人格の人の感情表現や感情反応に最大限の綿密な注意を払わなければなりません。境界性人格の方は、時にひどく親密で誘惑的な態度を示したりもしますが、そういった態度や言動を明確に早い段階で転移であると認識して適切な対処と説明を施すことが求められます。
強烈な感情転移の奔流の予兆を事前に察知し、その転移に安直に呑み込まれないようにする厳格な面接構造の遵守が必要となってくるでしょう。
そうでなければ、境界性人格障害患者は、急速に人間関係の距離感を詰めて来て、面接場面での医師−患者関係やカウンセラー−クライエント関係の形式化された構造を意図的に破壊するような行動をとってきて、結果として馴れ合いや個人的人間関係以上の面接を行うことが不可能となります。

しかし、そういった転移状況をうまく利用することで、適切な自己主張や感情表現の必要性やコミュニケーションスキルの向上の意義などを納得させる契機を得ることが出来る可能性もあります。
衝動性の制御という問題に関しても、『何故、衝動性を制御する必要があるのか?』という意義を、衝動的行動のメリットとデメリットを比較考察しながら本人が深く内省的に感得しなければ、実践的な効果は望めないでしょう。
『衝動的な行動以外にも、他の心理的葛藤・不安・恐怖の解決法があるのだ、より効率的で危険性の少ない解決法を選択すべきだ』という認識を深めていく過程において、本人は、複数の衝動性に対する選択肢を手に入れる事が出来ます。



演技性人格障害(historionic personality disorder)

過去に精神分析学理論などの枠組みでヒステリー性格と呼ばれていた性格の主要な特徴が含まれた性格類型が、演技性人格障害である。



DSM-Ⅲ-Rによる演技性人格障害(historionic personality disorder)の診断基準

社会的に過度な情動と人の注意を惹こうとするパターンで、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、少なくとも4項目によって示される。

1.絶えず、保証、賛成、賞賛を求める。
2.不適切なほど、性的に誘惑的な外見や行動
3.身体的魅力を過度に気にする。
4.不適切に誇張された情動の表現。例えば、ちょっとした知人でも過度の熱烈さで抱き締めたり、ほんの些細な感傷的機会にすすり泣く。癇癪発作。
5.注目の中心にいない状況では楽しくない。
6.素早く変化し、浅薄な感情表出を示す。
7.自己中心的で、行為は直接的な満足を得ることに向けられる。満足することが遅れると欲求不満で、それに対する耐性がない。
8.過度に表現的だが、内容の詳細や深みがない話をする。例えば、母について語ってくださいと言われても、『彼女は美しい人です』という以外、何も特別な内容がない。


自己愛性人格障害(narcissistic personality disorder)

他人に対して傲慢不遜な横柄な態度を取る事を常としており、自分は特別に選ばれた人間なのだから他人よりも高い立場にあるのは当然だという意識が強く、他人からの注目や賞賛を求め、それが得られなければ途端に不機嫌になり体調を崩したりもする。




DSM-Ⅲ-Rによる自己愛性人格障害(narcissistic personality disorder)の診断基準


全般的な、誇大(空想または行動における)、共感の欠如、他者の評価への過剰性が成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち少なくとも5項目によって示される。

1.評判に対し、憤激、羞恥、侮辱をもって反応する(たとえ、それが表現されたものでないにせよ)
2.対人関係における利己性。自己の目的を達成するため。他者を利用する。
3.自己の重要さや能力を現実以上に誇大に認識していること、例えば、業績や才能の誇張、十分な業績がないにも関わらず、『特別である』と評価されるはずだという期待。
4.自分の問題がユニークであり、特別な人々にしか理解されないという確信。
5.際限のない成功、権力、才気、美、あるいは理想的な愛の空想に夢中になること。
6.特権意識を持つこと。特別、有利な取り計らいを理由なく期待する。例えば、他の人たちがそうしなければならない時でも、自分は列に並んで待つ必要などないように振る舞う。
7.絶えず、人の注目と称賛を求める。自分から称賛を積極的に要求したりする。
8.共感の欠如。他人がどのように感じるかを認め、共感的に体験することが出来ない。例えば、友人が重病でデートの約束を破った時でも、怒って腹を立て、驚く。
9.嫉妬、羨望の感情にとらわれる。


反社会性人格障害(antisocial personality disorder)


15歳以下の少年期に見られる反社会的行動や動物虐待や殺害などの残虐行為の場合には、発達障害・行為障害に分類されるが、18歳以降もその反社会性や虐待・殺害・窃取の嗜好が継続する場合には反社会性人格障害とされ、連続的に犯罪行為を繰り返して何ら良心の呵責や反省を感じない人たちの性格傾向に頻見される。




DSM-Ⅲ-Rによる反社会性人格障害(antisocial personality disorder)の診断基準

A.現在の年齢が少なくとも18歳。

B.15歳未満に始まった行為障害についての証拠があり、それは以下の反社会的行為の12の項目のうち、3項目以上があったことによって示される。
1.頻繁な無断欠席。
2.親または親代わりの人と暮らしていて、少なくとも2回の家出外泊があった(または、1回だけだが帰宅していない)
3.しばしば、喧嘩を始めた。
4.喧嘩で武器を使ったことが1回以上ある。
5.誰かに性的行為を無理強いした。
6.動物を虐待した。
7.他の人に身体的に残虐を加えた。
8.計画的に他人の財産を破壊した(放火以外の手段によって)
9.計画的に放火することに加わった。
10.頻繁に嘘をついた(身体的・性的虐待を回避するための嘘は除く)
11.2度以上、被害者と対面しない盗みをしたことがある(置き引きを含む)
12.被害者と面と向かって盗みをした(例:強盗、ひったくり、強奪、凶器をもった強盗)

C.15歳以降の無責任で反社会的な行動様式で、以下のうち少なくとも4項目で示される。

1.定職に就くことが出来ないこと。
2.法にかなった行動という点で社会規範に適合しないことで、逮捕の原因となる反社会的行為が繰り返しなされることにより示される(逮捕されたか、そうでないかは問われない)。例えば、財産を破壊すること、他者を悩ますこと、盗みや非合法的職業。
3.易怒性や攻撃性、これは配偶者または子どもを殴打することを含めて、けんかまたは暴力(これは職業上、必要とされたものではなく、誰かまたは自分を守るために必要とされたものでもない)の繰り返しによって示される。
4.財政的義務を繰り返し引き受けないこと。これは、債務不履行、子どもの養育費を出さないこと、または他の扶養家族に決まった生活費を出さないことで示される。
5.将来の計画を立てられないこと、または衝動性、これは次のうち1つ、または両者によって示される。
(a)仕事のあて、はっきりとした目標、またはいつ終えるかについてはっきりした考えがなくあちこちを放浪すること。
(b)1ヶ月以上の住所不定
6.正直さの軽視、これは嘘の繰り返し、偽名使用、自己の利益や快楽のため他人から騙し取ることで示される。
7.自分自身または他人の安全についてのむこうみずさ、これは酔っ払い運転またはスピード違反の繰り返しなどによって示される。
8.親や保護者の場合、親としての責任能力の欠如で、以下のうち、1つまたはそれ以上で示される。
(a)子どもの栄養不良
(b)衛生上の最低基準を満たせないことによる子どもの病気
(c)重い病気の子どもに医療を受けさせないこと
(d)子どもが食物または宿泊所を、近所の人、または一緒に住んでいない親類に依存していること
(e)親が不在の時、幼い子ども達の面倒を見る人を都合しないこと
(f)家計に必要な金を自分のために浪費することを繰り返す
9.1年間以上、完全な一夫一婦制を維持することが不可能なこと(伝統文化や習俗慣習の文脈を考慮すること)
10.良心の呵責欠如(他人を傷つけたり、虐待したり、他人のものを盗んだ時も正当化する)

D.反社会的な行為は、統合失調症精神分裂病)や躁病エピソードの経過中にのみ起こるものではない。