人格障害(クラスターA)の認知理論的な解釈


心理学の概念としての『人格(personality)』とは、『個人を特徴づける継続的な特性の集合であり、個人に特有の一貫性のある思考・感情・行動・認知・対人関係のパターン』であると定義される。
その為、心理学及び精神医学の領域で、人格に言及する時には、違法行為や他者危害行為などを具体的に問題視する以外は、基本的に人格を人間性といった道徳的価値判断の次元では取り扱わない事に留意が必要ということになる。

id:cosmo_sophy:20050121において、標準的な人格障害の分類と概略を記述したが、その際にも、人格障害の概念には、善悪や優劣の価値判断や道徳的価値は基本的に含意しないと述べた。

どのような場合に、人格障害という概念を採用して、それを問題解決に利用すべきなのかという事についても以下のような感じで考えている。


私は、かつて性格異常と呼ばれた人格障害という精神障害の概念や分類には、懐疑的であり、どちらかといえば否定的である。

しかし、自己の性格が自分自身の主観的な苦悩の主要な原因となっていたり、他者に直接的な迷惑や危害を加えるものであるならば、人格障害の概念分類は、その性格の問題点が何処にあるのかを特定して、その苦しみや悩みを解決する為の一つの指標にはなるだろうと思う。

性格は後天的な経験や学習によって変えられる部分も多くあるというプラグマティックで科学的な視点に立つならば、『個人が持っている思考、感情、認知、行動、対人関係の持ち方のパターンや特殊な癖・傾向』が、対人関係の障害を生み出したり、社会環境や生活環境に適応できない為に経済的困窮や犯罪行為などの不利益につながったりするのであれば、それらを改善する事でより生きやすく、より対人関係や仕事を楽しめる性格へと変容させていく事も無意味であるとは言えないだろう。

人間関係を楽しみたいという意志があるのに人間関係が楽しめず、色々な形で社会活動に参加しようという思いはあるのに社会環境に適応できず、生計を立てる為に働く意欲はあるのに、職業活動が遂行できない為に収入が得られない、あるいは社会規範の意義を理解出来ないために犯罪行為を繰り返して収監されてしまうといった事態は、本人がその事態を変えたいと望むならば、当然、性格を意識的に変容させることは悪い事ではないし、本人にとって非常にやり甲斐とメリットのある取り組みになっていくだろう。



認知理論の観点から、人格障害の概念と特徴的な認知行動パターンを再検討してみたい。


クラスターA(A群)……対人関係からの完全なる撤退と奇妙な妄想や奇異な振る舞いを特徴とする群

妄想性人格障害(paranoid personality disorder)

他者への根強い不信感と猜疑心を特徴とする人格であり、あらゆる物事を執念深く疑ってかかり、他者の説得や説明をどうしても受け入れることが出来ない。家族・恋人・友人などから善意で寄せられた言葉や態度に対して、悪い方向に解釈して『自分を騙して利益を得ようとしている。無償の善意なんてないのだから、何か裏があるはずだ』と考え、通常の友好関係を取り結ぶことが出来ない。



DSM-Ⅲ-Rによる妄想性人格障害(paranoid personality disorder)の診断基準

A.全般的な疑い深さの傾向が、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになり、人々の行為や出来事を故意に自分をけなしたり脅かすものと不当に解釈する。それは、以下のうち、少なくとも4項目によって示される。

1.十分な根拠もないのに、他人によって利用されたり、危害を受けると予想している。
2.友人とか仲間の誠実さや信頼に対し、道理に合わぬ疑問を抱く。
3.悪意のない言葉や出来事の中に、自分をけなし脅かす意味が隠されていると読む。
4.悪意を抱き、または侮辱や軽蔑されたことを許さない。
5.情報が自分に対して不利に用いられるという恐れのため、他人に秘密を打ち明けたがらない。
6.動かされやすく、怒りをもって反応したり反撃したりする。
7.配偶者または性的伴侶の貞節に対して道理に合わぬ疑いを抱く。

B.精神分裂病または妄想性障害の経過中にのみ起こるものではない。


妄想性人格障害は、典型的な認知の障害であり、認知の歪曲の結果と解釈することが出来る問題である。
この人格障害の根元的な前提(スキーマ)あるいは非適応的な前提とは何かを単刀直入に指摘すれば、『世界の全ての他者は、私に対する悪意を抱いている敵であるから、最大限の警戒と猜疑をもって立ち向かわなければならない』というものである。
認知の歪みの種類で言えば、『読心術・心の読み過ぎ(mind reading)』を過度に行っている心理状態が、妄想性人格障害の本質的な問題であると言える。

『周囲の人間はみんな、私が一分の隙や油断を見せれば、私を騙して、欺き、搾取し、攻撃して傷つけるに違いない』という確信は相当に強固なもので、通常の介入手段では対等な人間関係や信頼関係を構築することさえ不可能である。
この非現実的な妄想めいた信念や確信は、統合失調症のような幻覚症状を伴わず、妄想的信念は体系化されたものでもない為、メジャートランキライザーなどの薬物療法も殆ど奏効しない。

妄想性人格障害は、性格の傾向が、他者に対する猜疑や不信の方向へと過剰な偏りを見せたものであり、脳内の神経伝達物質の異常によって発症する精神病の症状として生じる妄想とは基本的に区別されるものである。
その為、妄想を制止する効果を持つとされるドーパミン系の神経伝達を抑制する種類の薬剤は、妄想性人格障害に対してあまり顕著な効果を見せる事はないとされる。

人格障害という概念が持つ独特な語感から勘違いされる事が多いのだが、殆どの人格障害は『平均的性格像からの過度な逸脱や歪曲』とでもいうべきものであり、日常生活全般が障害されるような人格障害の種類と重症度は極めて限定されたものである。
妄想性人格障害であると想定される人たちの治療やカウンセリングが難しい理由の大半は、『本人が妄想的な異常に警戒心の強い世界観や人間観を苦痛と思っていない』ことが多いからであり、猜疑心や警戒心の強さこそが自分の安全や成功を保障してくれると長期間にわたって確信しているからである。

妄想的な認知や行動が本人にとっての問題となるケースの殆どは、対人関係における葛藤や対立、紛糾である。
その場合に明らかに見られる特徴は、あらゆる人間関係の問題の原因は(具体的な陰謀や悪意の根拠や証拠がまるで存在しないにもかかわらず)『自分を騙して、ひどい目に遭わせようとしている相手の責任である』という主訴が多く見られる事である。
また、一般的に、妄想性人格障害の人は、精神科医やカウンセラーとの間にラポール(信頼関係)を構築する事ができず、(治療者側が守秘義務を確約しているにも関わらず)『自分の個人情報を医師などに知らせるというのは何に利用されるか分かったものではない危険なことだから、恐ろしくてとても治療やカウンセリングなんて受けられない。自分自身のことを他人に話すということは、他人に弱みを握られて利用される原因を作り出してしまうことだ』といった認知に支配されてしまっている。

客観的根拠や具体的証拠のない広範囲な事柄に対して、不合理で理不尽な猜疑心や警戒心を発動し、他者に監視される前に自分の側から相手の動向全てを監視しようとするような態度が、妄想性人格障害に特徴的なものである。
この妄想めいた猜疑心や不信感を、論理的に反駁することは非常に難しく、自分の猜疑心を否定する客観的な証拠を提示しても、本人はその証拠を無視するか何らかの意図的捏造が加えられたものだとして多くの場合承認しない。

対人関係の障害の原因は、強固な警戒心と頑固な猜疑心にあり、基本的に他人が少しでも自分を批判するような態度をとれば、過剰防衛的な攻撃や反撃を企てようとする。すると、相手も攻撃的に自分を傷つけてこようとするので、更に他人への不信感を強めて、他人に対する優しさや共感を表明する機会を全く失ってしまい、対人関係が次第に貧困化していってしまう。

この問題の難しいところは、優しくて思いやりのある人物の真摯な協力や援助に対しても更なる警戒心を向けてしまうところで、『偽善者が自分に甘い顔をして近付いてきているが、騙されてはいけない。はじめだけ、親密で温厚なふりをしているが、こちらが信用しきったところで最後の最後に手ひどい裏切りをするつもりなのだ。今までの経験からもそれは明らかだ』という他者否定的な認知へと退却してしまう。
このため、妄想性人格障害の対応策として最優先となるのは、個人的な信頼関係を築くために、誠実で率直な態度と発言を心がけ、相手の猜疑心や不信感の内容を真摯に聞いて、その懐疑を晴らす為に丁寧に細かく語りかけていくことになりますが、全般的にこの問題を外部からの働きかけで改善するのは相当に長期間の時間を必要とし、それでも劇的な回復をさせるのは至難だと言われている。

妄想性人格障害の、根底的な妄想を形成する世界観というものは何であるかを考えてみると、それは『徹底的な弱肉強食の実力世界』であると言えます。
彼らは、自分の弱点や欠点を他人に見透かされる事を極端に恐れます。それは、他人は全て弱者を踏みつけにして搾取する恐ろしい人たちの集まりであるという前提があり、弱い人間であることを隠しとおしたものこそが勝利や利益を獲得できるという非適応的な確信があるからです。
その為、社会の権力関係や上下関係に対して非常に敏感であり、自分よりも高い地位や強大な権力を持っている人に対しては卑屈になりがちであるが、いったん、自分よりも弱い人間であると認知すると極端に冷酷で容赦のない攻撃的態度を見せる事もあります。

『自信・権力・独立自尊に対する異常なまでの執着心と、『弱々しい人・優しい人・病気の人・欠点の多い人』に対する自己投影的な憎悪や軽蔑が付随的な特徴として挙げられることもあります。
しかし、こういった自尊心の高さと自己の能力への信頼という特徴こそが、妄想性人格障害の状態を改善するとっかかりになると考える事も出来ます。
原則的に、妄想性人格障害の人の価値判断は、“優勝劣敗の二分法的思考”に支配されていますから、自分の能力の高さを確認できる成功体験や勝利経験を何らかの方法で繰り返させることで、自己の能力の信頼感の高まりと共に、率直な思考や感情や認知を話してくれる準備が整うことがあります。

自分自身の認知の特徴である猜疑心や警戒心、それらの深奥にある根元的な前提・非適応的な確信を批判的に客観視できるようになりさえすれば、妄想めいた認知を改善する初期の条件は整ったといえます。



分裂病人格障害(schizoid personality disorder)




DSM-Ⅲ-Rによる分裂病人格障害(schizoid personality disorder)の診断基準


A.全般的に、対人関係への無関心と感情体験との表出の範囲が限定されるパターンで、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、少なくとも4項目によって示される。

1.家族の一員であることを含めて、親密な関係を持とうとしたり、それを楽しんだりする気持ちがない。
2.ほとんどいつも孤立した行動を選択する。
3.怒りや喜びなどの強い感情を体験したと主張したり、そう見えたりする事は滅多にない。
4.他人と性体験を持とうとする欲求を殆ど示さない(*要年齢考慮)
5.他者の賞賛や批判に対して無関心である。
6.親兄弟以外には、親しい友人や信頼できる友人が全くいない(あるいは一人だけいる)
7.狭く限られた感情を示す。例えば、冷淡でよそよそしく、微笑んだり、うなずいたりなど、顔の表情や身振りを返すことが滅多にない。

B.精神分裂病や妄想性障害の経過中にのみ起こるものではない。


伝統的な分裂病質人格の定義は、精神分裂病統合失調症)の陰性症状からの部分的な寛解状態であるとか、慢性的な精神的脆弱性や感情鈍磨であるというものである。
唯一、体格と性格の相関関係の臨床的観察に基づく研究で有名なクレッチマー(Kretschmer)のみが、分裂病質人格に対して、やや肯定的な見解を述べている。
クレッチマーの理論枠組みでは、分裂病質は必ずしも悲観的な病態や絶望的な障害ではないとされ、孤独な集中力を要求される職業領域において図抜けた才覚を示すことさえあるという。
時に、特定分野において、驚異的な素晴らしい創作能力や常人の思いもよらない革新的な発想・着想をする人の中には、極端に対人関係を嫌う冷淡で感情表現の乏しい人や孤独な時間に浸ることを嗜好する性格の一群があるとクレッチマーは言う。

クレッチマーは、何らかの特異な能力を発揮して、社会適応が出来ており、経済的精神的に自立できているのであれば、分裂病質人格特有の孤独癖や対人関係回避は何ら問題ではないという解釈をとる。
私も基本的には、本人がそれで十分な満足を得ていて放っておいて欲しいというのであれば、無理して対人関係を豊かにする方向に仕向けなくてもよいし、クレッチマーの必要以上に人格上の問題を指摘しないという判断はそれほど間違ってはいないと考える。

分裂病人格障害の最も著明な特徴とは、対人関係からの完全なる孤立と社会的活動意欲の消滅であり、慢性的に感情麻痺した状態でのひきこもりが見られやすく、徹底した人間関係と社会活動からの回避行動を取りやすいのです。
分裂病人格障害に見られる『対人関係からの孤立』は、社会性不安障害(対人恐怖症)や回避性人格障害による『対人関係によって傷つけられる事を恐れる為の孤立』とは本質的に内容が異なることに注意が必要です。
分裂病質人格の人には、基本的に人間関係に対する恐怖や不安というものは極僅かしかなく、人間関係そのものに全く関心がないか冷淡であり、わざわざ自分から話し掛けたり、誘ったりして人間関係を構築する価値を見出すことが出来ないところに最大の特徴がみられます。

その為、分裂病質人格である本人自身が、自発的に自分の人間関係の貧困や社会的孤立の問題を解決しようと願うことは通常ありえませんし、何故、親密さや好意に満ちた人間関係が自分に必要なのかといった事柄にも全く関心を見せません。
一般的には、風変わりで気難しい人などといった印象を持たれていて、単なる人嫌いということで済ませられることも多いのですが、実際、分裂病質人格の人と向かい合って会話をすると非常に奇異な感じや違和感を覚えることになります。相手に対する興味関心や関係構築の意欲や共感が全くないのですから、会話は絶えず一方通行で、相手は受動的に無表情な感じで話を聞き続けるだけというケースが目立ちます。

また、社会的な孤立や対人関係の希薄・貧困が直接的な経済的不利益や社会不適応の問題を引き起こさず、本人自身が現状に満足していれば、分裂病人格障害は問題として取り上げる必要がない、あるいは、その機会自体が存在しないかもしれません。
周囲と協調しなくても孤独で一人で黙々と進める事のできる仕事をうまく見つけ、その分野で能力を発揮して日常生活を支障なく送っている分裂病質人格の人も多くいるでしょう。

分裂病人格障害の認知的な特徴は、『他人と親密になる必要性など何処にもないし、私は孤独こそが最も適している』『他人の意見や感情など私には何の影響も与えることは出来ない』『セックスによる快楽は身体的な本能的欲求に基づくものに過ぎず、私は、感情の持ち主である異性には特別な魅力は感じないし、恋愛など興味がない』という根元的な前提を持っている事です。


分裂病人格障害の社会的孤立の状態を改善したいと考えるならば、面接場面などを通して他人と関係を持ち、会話や交流をすることの意義や喜びを様々な方法を用いて実感させることが主要目標となる。
しかし、対人関係に対する否定的な認知や無関心さは相当に強固なものがあるので、分裂病人格障害に特徴的な対人関係スキルの拙劣さを指導しながら、行動療法的な手法を用いて、実際に、他人との情緒的関係を頻度と強度を上げながら体験させていく中で人と関わる面白さや楽しさを知ってもらうように働きかけていかなければならない。

分裂病質人格者の人間関係を豊かなものにする為に性格傾向を変容させるのは、相当な時間な労力を必要とするし、その成果も十分に保証できるものではないが、相手の反応の悪さや冷淡さ、無関心に医師やカウンセラーがひきずられて不快感や諦観を抱くことがないようにすることなども必要になってくる。
学習心理学の知見から述べれば、分裂病人格障害への対処というのは、対人コミュケーションスキルの再学習過程に他ならないということになる。




分裂病人格障害(schizotypal personality disorder)



DSM-Ⅲ-Rによる分裂病人格障害(schizotypal personality disorder)の診断基準

A.全般的に、人間関係における欠陥、および観念、外観、行動における奇妙さのパターンで、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、少なくとも5項目で示される。

1.関係念慮(関係妄想は含まない)
2.人間関係での過剰な不安。例えば、親密でない他者との間で生じる過度の緊張や焦燥感など。
3.奇異な信念、または魔術的思考が行動に影響しており、それは文化的規範に合わない。例えば、迷信的であること、千里眼、テレパシー、または“第六感”“他人が私の感情を読み取ることができる”といったことを確信していること。(小児期及び思春期には、奇異な空想・白昼夢・思い込みとなって出現することがある)
4.普通でない知覚体験、例えば、錯覚、実際には存在しないはずの力や人物の存在を感じること(例えば、死んだ母が自分と一緒に部屋にいるかのような経験をしたなど)
5.奇妙で風変わりな行動や外観、例えば、だらしのなさ、異常にわざとらしい動作、独言。
6.親兄弟以外には親しい友人や信頼できる人がいない(または一人だけ)
7.風変わりな会話(連合弛緩や支離滅裂はない)、例えば、会話内容が乏しい、過度の脱線をしやすい、曖昧、不適切なほどに抽象的。
8.不適切で狭い感情。例えば、馬鹿げたよそよそしい振る舞い、微笑んだり頷いたりなどの表情や身振りを返す行動がめったにない。
9.疑い深さ、または妄想様観念。