性的虐待・性暴力の定義と子どもに対する性的虐待の精神的影響

家庭内における性的虐待という残酷極まりないエゴイスティックな虐待行為は、人間社会の倫理規範を二重に侵犯していると言えます。
一つは、『性暴力(sexual abuse or sexual violence)』という子どもの性的尊厳の不条理な侵害という侵犯行為で、これは強姦罪、強制わいせつ罪などに類する明白な犯罪行為といって差し支えないものです。

ここでは、家族間での性的虐待と精神的影響を中心に記述しますが、『性暴力・性的虐待という概念は本来、もっと広範な領域の性的な暴力を包括する概念です。
相手が不快感や拒否感を示しているのに、性的行為を強制する行為、性器や裸体を露出する行為、性的な揶揄や侮辱を言葉によって行う行為、相手の性的な身体部位を窃視する行為などは性的暴力・性的虐待の代表的なものです。
そして、家庭環境における親と子ども、企業環境における上司・部下、学校環境における先生・生徒などの『非対称な関係性』の中で、相手の性に関する自己決定権を事前に抑圧した状況下において性的行為を行ったり、性的発言や性的露出を行うことも同様に性暴力であり性的虐待となります。

時代錯誤な性的観念、ジェンダー理解や男尊女卑的な価値観によって、性的虐待や性暴力の定義を無意識的に歪曲して、『実際の身体的接触や公共場面での性的露出がなければ、性的虐待や性犯罪には該当しない』と考える人達もいるかもしれませんが、相手に羞恥心や嫌悪感を感じさせるような猥褻な発言や相手の性生活・性的嗜好や性的部位に対する覗き見趣味の質問は、性的な嫌がらせ(セクシャルハラスメント)に該当するものです。
明確に、二人が特別な恋愛・性愛関係にある場合の同意された刺激的な対話である場合や、不快感や抵抗感がない事を明瞭に宣言し相互的に楽しく猥談をしている場合などを除いて、何らかの外部的な強制力(物理的暴力・給与や保護養育など生活基盤の剥奪・職業や地位に関する決定権など)によって性的な行為や対話を相手の心情や価値観を無視して行うことは性的虐待であると言えるでしょう。

性的虐待や性暴力は、夫婦間・恋人間であっても特別な免罪を得られるものではなく、『性行為をしたくない・性的会話を行いたくない・性的な部位や行為を露出して欲しくない・AVビデオやポルノ雑誌など性関連情報を得たくない』と明確な拒否・不快の意思表示をしている配偶者や恋人に対してそれらの行為を無理矢理に強要すれば性的虐待となり、性交の強制などの場合には強姦罪等の性犯罪の構成要件を満たす場合も想定されます。

子どもに対する性的虐待は、端的に言えば、性の自己決定にまつわる基本的人権を子どもの知識・判断力の未成熟や社会的立場の弱さにつけこんで、蹂躙し侵害する愚弄かつ卑劣な行為であり、『子どもだから、少しくらいふざけていやらしい行為をしても分からないだろう。自分の子どもに対する愛情表現に他人が口出しするな』というような家庭環境を社会環境から意図的に切り離すセクショナリズム(分離主義)や歪曲したパターナリズム(父権的温情主義)の弁明は通用しません。
親の子どもに対する保護養育の義務は、虐待という人権侵害行為や種々の搾取行為が現実化した途端に、一方的優位性に基づく支配権力へとその容貌を変化させます。

もう一つの人倫への違背行為は、虐待者が子どもの血縁者(実の父母)である場合の、近親姦禁忌(incest taboo)』への抵触です。
近親姦は、極少数の例外を除き、人種・民族・文化・時代を問わず、人類の婚姻や性交渉にまつわる普遍的なタブーとして伝承されてきました。
近親相姦という用語が、通俗的に猥雑さや興味本位な意図の元に使用されることがありますが、親と子どもという身体的・社会的・知性的に大きな力関係の格差がある中で行われる性行為には、相互的な同意や了承を前提にすることは出来ません。
どのような形態であれ、子どもを保護養育する責任のある血縁関係(あるいは法的な親子関係)にある大人が、子どもに対して性的行為を行ったり、嫌悪を感じさせる猥褻な言動・態度を取ったりすれば、そこには表面的な同意では欺瞞し切れない『親の子に対する強制力や支配力に基づく性的搾取』が働いていることになります。