エリック・バーンの“精神分析の口語訳としての交流分析”


フロイトラカン精神分析理論は、使用される専門用語の数が多く、専門用語によって指示される概念が難解であるだけでなく、その理論の全体を見渡す為には構造論・力動論・発達論・臨床技法など複数の理論を系統的に参照する必要があります。

その精神分析の複雑さを必要最小限なレベルに低減させ、実用性を向上させた理論に精神分析の口語訳』と呼ばれる交流分析(Transactional Analysis)』があります。
アメリカの精神科医エリック・バーン(Eric Berne 1910-1970)が考案した交流分析は、構造論を日常言語に置き換え、発達論を親子の情緒的交流の次元に簡略化し、力動論を分かりやすいコミュニケーション論で説明しました。

交流分析の最大の特徴は、エゴグラムという簡単な答えやすい項目で構成される質問紙法を用いて客観的にパーソナリティを分析できる点にあります。
エゴグラムで得られたデータを精神疾患の改善の参考とする事も出来ますが、交流分析の主要な目的は、パーソナリティ構造を通した『自己理解の深化』と交流パターンを変容させる事による『対人関係の問題の改善』にあります。

交流分析の骨組みとなる4つの理論として『構造分析』『交流パターン分析』『ゲーム分析』『脚本分析』があります。

  • 構造分析(Structural Analysis)

個人のパーソナリティを、5つの『自我状態』という心的機能のバランスに基づいて分析する理論と技法を構造分析といい、エゴグラムという心理テストによって行われます。
構造分析によって、自分のパーソナリティを客観的な自我状態の調和や不調和の形で認識する事ができ、自分の思考・感情・認知・行動をどのような方向に変えていけば対人関係の改善や現実的問題への対応が出来るかを洞察することが出来ます。
エリック・バーンは、最終的には、相手・状況・場面・必要性に応じて臨機応変に自分の交流方法や自我状態をセルフ・コントロール出来ることが望ましいと提唱しています。

自我状態には、『CP・NP・A・FC・AC』の5つの種類があり、それぞれ以下のような特徴・性質を持っています。

P(Parent)は、親の自我状態であり、個人の生育過程において、両親の躾や学校教育、目上の人からの指導、社会的行動から獲得され内在化される『責任感・義務感・擁護・承認』などの親的な心理機能を意味します。
Pは、大きく批判的・父性的なPと保護的・母性的なPに分類されます。
フェミニズム思想やジェンダーフリーの立場からは、父性的・母性的といった言葉や視点による心的機能の振り分けは父権主義的で女性抑圧的なものと指弾されることもありますが、とりあえず、伝統的な父性や母性を意味しているものと解釈して下さい。
男性性や女性性を直接的に意味するというよりは、“批判性・攻撃性・厳格性・独立性”と“保護性・防御性・同調性・共感性”の二元論を典型的に展開したものと考えるほうがいいかもしれません。

  • CP(Critical Parent:批判的な親)

自己と他者を厳しく律する批判的・父性的な心理機能であり、子どもが良心に基づく規範意識を獲得して社会化する過程において重要な役割を持ち、“秩序指向性・規範遵守性”を特徴として持つ。
社会秩序の維持や理想的人格の追求など適応的な側面を持つが、CPが過度に強くなりすぎると何事にも批判的で攻撃的になり、他人への配慮に欠けた一方的な決め付けなどが多くなる傾向がある。
権威的で威圧的な面を持つので、行き過ぎると不遜になり、他人の粗探しや過失の執拗な追及を好み、道徳的な違背行為に対して罰則を与えたいという理想主義を持つ事がある。
基本的に保守的な価値観を持ち、決められたルールは厳守し、仕事や勉強といった義務的な事柄にも一生懸命に懈怠することなく取り組む。

CPの肯定的要素:良心・道徳心・倫理観・理想主義・責任感
CPの否定的要素:偏見・固定観念・頑迷固陋・権威主義・非難叱責

  • NP(Nurturing Parent:保護的な親)

子どもの成長を温かく優しく見守るような保護的・母性的な心理機能であり、子どもが両親との肯定的な感情交流や友達との相互受容的関係を通して培われるものである。
他者への共感性や受容性に富んでおり、優しく相手を元気付けたり、献身的に援助や協力をしたりする事で良好な対人関係の維持には欠かせない心理機能である。
しかし、NPが強くなり過ぎると相手を甘やかしすぎて自立心を疎外したり、過干渉や過保護によって健全な自我の成長と心身の発達過程に好ましくない影響を与える場合もある。

NPの肯定的要素:優しさ・思いやり・慰労・共感性・保護・承認・寛容・許し
NPの否定的要素:お節介・不必要な同情・悪事の黙認・厳格さの欠如・過保護・過干渉・甘やかし

  • A(Adult:現実判断力のある大人の自我状態)

西洋近代社会の『自由主義個人主義・合理主義』の伝統で、理想的人間像とされる『自立性・客観性・功利判断(損得勘定)』の特徴を併せ持つ理性的要素の強い論理的な自我状態であり、Aの強度はそのまま帰属社会への適応能力の強度にもつながってくる。
Aの自我状態は、主観的感情よりも冷静な客観的認知を重視して、誰もが同じように認知できる“事実”に関する情報(数量化可能なデータ)に従って功利的な判断を下す傾向があり、自分の取る行動がどのような結果を生み出すのかについて予測的な考察を巡らしている。
物事・問題に対する判断をする場合には、信頼性の高い理論を参考にしながら、合理的な分析的思考を行って、的確に不利益の少ない判断を下す。

Aは、客観的データを処理するコンピューターの論理回路のような感情的要素を排除する特性を持つので、ビジネスや現実的な競争や契約場面では、その長所を遺憾なく発揮することが出来る。
しかし、家族・恋人・友人知人との間の人間関係にまで、Aの自我状態を過度に持ち込むと相手への共感性や協調性に欠け、利害関係のない愛情といった情緒的機能が不足してくるので“思いやりのない冷淡さを持ち、損得のない話題には関心を抱けない面白みのない人物”といった印象を与えてしまう欠点もある。
Aは、利益や権力を追求する功利的な個人主義の自我状態であり、基本的に何の役にも立たない行為や思考を回避しようとする現実的な合理主義の傾性を持つ。

Aの肯定的要素:知性的・理性的・独立心・自立性・経済社会への適応性・情報収集能力・科学的客観性・冷静沈着・分析的思考
Aの否定的要素:情緒性の欠如・感情表現の稚拙・人間関係の軽視・自己中心的・利害関係への執着・物質文明主義・自然環境に対する自然科学の優越への盲信


C(子どもの自我状態)は、幼少期の両親との人間関係から成り立つ家庭環境によってその基礎が構築される自我状態で、幼少期の自分の行動に対する他者からの『抑圧・禁止と承認・容認』の反応によってFCとACのどちらが優勢であるかの力関係、バランスが規定されてくる。
他者(親)から抑圧され禁止される生活体験を多くする幼少期の環境に育ったものは、他者の指示や社会の権威などに従順な態度をとって周囲との協調を重視するACが強くなりやすく、承認され放任される生活経験を多く積んだ者は、天真爛漫な考え方や自由奔放な行動に特徴付けられるFCが強くなりやすい傾向がある。

  • FC(Free Child:自由な子ども)

親の躾や社会化を目的とする教育の影響を受ける以前の、快楽原則を主軸に置いた本能的欲求や自然的情動によって思考し行動する自我状態がFCである。
FCは、道徳的規範や倫理的良心の束縛に支配されない自由奔放な自我状態であり、ありのままの自分の感情や欲求を表現し追求するため、人生をより楽しく自己実現的に生きる『個人の満足や快楽』の源泉でもある。
FCは、笑ったり、喜んだり、悲しんだりといった自分の偽りないありのままの感情を自由自在に表現することができ、のびのびとした快活さと他者との円滑な感情交流にその長所がある。
しかし、FCが過度に強くなると、社会規範や倫理判断を無視して自分勝手な振る舞いをしたり、自己中心的な行動につながったりして、利己的欲求に対する自制心を維持できない場合があります。
時に、自分の満足の為に相手の感情や気持ちを傷つけるわがままさを見せ、周囲の状況を考慮しない無邪気な悪ふざけを続けるといった欠点も併せ持ちます。

FCの肯定的要素:自由闊達・天真爛漫・屈託のない無邪気さ・自由なありのままの感情表現・自然随順・直観力や積極性の高さからくる創造性
FCの否定的要素:自己中心性・わがまま・傍若無人・無責任・衝動性・思慮不足からくる短絡性

  • AC(Adapted Child:適応した子ども)

幼少期に両親の躾や言いつけ、教師の教育や指示などによって形成される『権威や社会規範に対する適応的な自我状態』で、周囲の環境に従属する事によって対立や懲罰を回避し、承認や愛情を獲得しようとする傾向である。
自分自身の感情をそのまま表現する事を抑制し、欲求を実現する際にも周囲からの反発や抵抗を受けない様に慎重に振る舞う傾向がある。
周囲の自分に対する期待や要求をまず受け入れることで、円滑で良好な人間関係を維持しようとする自我状態で、ACが強い人は、周囲から『人当たりの良い、好感の持てる好ましい人物』という一般的評価を受けている。
ある程度のACは、他者との協調性や共感性を維持し、円滑な人間関係を作り上げる為に必要不可欠である。

しかし、ACの要素が過剰に高くなると、周囲の意見に無批判に従属したり、自分が納得できない事柄にしぶしぶ参加するといった強いストレスを受ける事態を招いてしまうことがある。
『主体性のある本当の自分』と『主体性のない建前で生きる適応的な自分』を分離して、必要以上に自分の感情や欲求を押し殺して禁圧する『過剰適応の傾向』があり、ストレス状況や欲求不満に対する耐性(トレランス)の限界を越えると、様々な心身の不調や心身症、行動化による問題行動をひき起こす場合もある。

ACの肯定的要素:我慢強い・他者配慮性が強い・環境適応的・感情の制御・欲求の抑制・他人の期待・欲求に応える・努力家
ACの否定的要素:主体性の欠如・過剰適応・自己束縛・消極的・ストレスや敵意の蓄積による爆発(心身症精神疾患・行動化)


ここまで、交流分析の5つの自我状態について説明しましたが、自我状態というのは個別的に確定的に存在するものではなく、一人の人格(パーソナリティ)を構成する複数の要素であり、自我状態という構成要素のバランスによって自己理解を促進し、対人関係をより生産的な質の高い交流へと発展させていこうとする目的を持つ概念です。
自分の性格を構成する典型的な行動パターンである5つの自我状態が、どのようなバランスと相互関係を持っているのかを知る事によって、自分の思考・感情・認知・行動のパターンを客観視する手がかりを得ることができ、自分の性格のどの部分を強化して、どの部分を抑制すれば、より自己実現的な人生を歩んでいけるのかを可視化して考察することが出来ます。

エゴグラムの質問紙に答えた結果には、どのパターンやバランスが優れているのかといった価値判断は伴いませんし、エゴグラムは個人の意思的な努力や行動によって変化するものなので、エゴグラムの結果を見て一喜一憂して浮かれたり、落胆して悲観的になる必要はありません。

エゴグラムを自分の理想的と思える状態に変容させていく働きかけとして成功しやすいものは、『低い自我状態を上げる主体的な働きかけ』であるとされていて、『高い自我状態を下げる意識的な抑圧的修正』はなかなか実現することが難しいようです。
とはいえ、エゴグラムから得られるパーソナリティ分析から私たちが目指すべきなのは、完全にバランスの取れた欠点のない理想的自己ではなく、相手・状況・場面に応じた柔軟な思考や主張、感情表現をスムーズに行えて、他者に対する無理のない対応が出来る自己だと考えています。

  • 交流パターン分析(Transactional Pattern Analysis)

二者間のコミュニケーションをエゴグラムを用いてパターン分析することで、この『交流パターン分析
』が狭義の交流分析を意味であり、エゴグラムはこの交流パターン分析を行う為の理論的装置としての質問紙という位置付けになります。
自分が相手に対してP・A・Cのどの自我状態で語りかけ、働きかけているかを自覚し、相手が自分の発話や働きかけに対して、P・A・Cのどの自我状態で反応し働きかけているかを考える事によって、私たちの日常生活における『対人関係パターン』を分析的に把握することが出来ます。

私たちは、意識するか否かに関わらず、コミュニケーションを取る相手に応じた個別的な対人関係パターンを習慣化させてしまっていることが多くあります。
そして、相手に対する不満や憤り、遠慮の少ない穏やかな受容的な関係性が長期間継続している場合や、相手に会って対話したり触れ合ったりすることが楽しみであるような生産的で相互に肯定的な関係性が育まれている場合には『習慣化した対人関係パターンがプラスに機能している』と分析的に了解することが出来るでしょう。

問題となるのは、『習慣化した対人関係パターンがマイナスに機能している』場合ですが、その場合には、自分のP・A・Cの発言や態度が、相手のP・A・Cとうまく噛みあっていません。お互いに相手を自分の思い通りに動かそうとして命令的・威圧的な態度をとって張り合っていたり、相手の長所や成功を無視して、お互いに相手の短所や失敗を粗探しの要領であげつらって、否定的な非難を繰り返して不愉快な思いをしていたりします。
また、相手の弱腰な自信のないACの態度につけこんで、CPの態度を用いて一方的に相手を従属させているような『表面的支配の対人関係パターン』では、普段、従順でおとなしい相手のACの態度の背後には蓄積している反抗的憎悪や暴力的衝動が潜んでいる場合が多く、突然の関係断絶や予想外の裏切りや抵抗にあってコミュニケーションそのものが破綻してしまう場合もあります。

相互理解や相互尊重といった方向のコミュニケーションから遠ざかっていく『他者への優越や他者の支配』といった自尊心や優越欲求のぶつかり合いの競合的支配的コミュニケーションの悪循環にはまり込んだ場合には、お互いにCPの自我状態を全開にして相手の過失や未熟な部分を探し出して叩こうとするので、どれだけ会話を重ねても相互理解は進展せず、相手へのマイナス評価が高まるばかりとなってしまいます。

相手と接触して言葉を交わす度に、自分だけがフラストレーションを募らせ、相手への怨恨や怒りといった否定的感情を蓄積してしまっているような対人関係のケースでは、自己中心的で押し出しと自己主張の強い相手に一方的に付き合わされていて、自分の感情表現や自己主張を過度に抑圧して機嫌を取ったり、無理に適応しているため、意識的にCPやFCを高めて、ACを少しずつ弱めていく事でフラストレーションによる否定的感情やストレスを緩和することが出来ます。

反対に、いつも付き合い初めは相手とうまく交流できるのに、付き合う期間が長くなると、自分はその人間関係を楽しく感じているにも関わらず、次第に交流が疎遠になって会う頻度が減っていき、関係が自然消滅してしまうといったケースでは、相手への共感的配慮や受容的な思いやりに欠ける場合も見られ、その場合には、NPやACの自我状態を高めて、自己主張を弱め、相手の主張や感情表現にも耳を傾けて受容や共感の意志を的確に伝達していく必要があるでしょう。


交流分析でいう交流とは、明示的な言語的メッセージのやり取りだけでなく、非言語的コミュニケーションである表情、ジェスチャー、態度、振る舞い、声の調子・抑揚も含みます。
また、幾つかの典型的な交流パターンが例示的に考察されていて、以下のような種類があります。

  • 相補的(平行的)交流(complementary transaction)

P・A・Cのベクトルが平行する交流であり、言葉・態度の発信者が、相手に対して期待した通りの反応が返ってくる交流を言い、円滑な相互に満足できるコミュニケーションが継続する傾向がある。
良好な関係を維持している仲の良い夫婦や恋人の交流の多くは相補的交流であり、話や価値観が自分と良く合うなと思っている相手との交流の殆ども相補的交流である。
相互の反応が自分が望んでいたものであり、その発言や態度による刺激が適度に心地良く有意義なものであると感じる時には、相補的交流の中でも質の高い生産的な相補的交流が維持されているものと解釈することが出来る。

『相互に相手に理解してもらっている・受容してもらっている・話を聞いてくれる・相手への好意や共感がある・安心して楽しく関係を持っている』といった印象を抱き、肯定的な相手への評価を持っている時には相補的交流がうまく機能していると考えられる。

  • 交差的交流(crossed transaction)

言葉・態度の発信者が、相手に対して期待した通りの反応が得られない、相互のP・A・Cが交差し合う対立や葛藤を生じやすい交流を交差的交流と呼びます。
相手のNP的な優しさで受け入れて貰いたいという意図を持って話し掛けているのに、相手がそれを受け入れずにCP的な厳しく指導するような態度をとったり、FC的な甘える依存的な態度を取ったりする場合には交差的交流が発生しやすくなります。

自分が期待した自我状態からの反応が返ってこないので、発話と刺激のベクトルが食い違って交差してしまい、コミュニケーションは不満や違和感を感じてしまうものとなります。その結果、相手との意思疎通をする度に、失望や落胆を感じ、混乱したり、裏切られたという感情を抱くことが多くなり、最終的には関係が悪くなり、コミュニケーションが中断してしまいがちになります。

  • 裏面的交流(ulterior transaction)

言葉で明示的に表現された表層的なメッセージの裏面に、言語化されない隠された意図や動機といったメッセージがこめられているコミュニケーションを『裏面的交流』と言います。
表面的な建前のメッセージの背後に秘められている本音のメッセージを相手に読み取られた場合に、相手がどのような反応や態度を返してくるかによってそれ以降の人間関係の方向性が定まってくるが、親密な間柄であれば、微妙な表情や態度の違いによって的確に自分の裏面的な意図を読み取ってくれる事も多い。

裏面的交流では、相補的交流や交差的交流とは異なり、相手のP・A・Cに向けて二通りのメッセージを投げ掛けて、自分の本当の意図や欲求を読み取ってそれを満たしてくれる事を期待しています。


交流分析で、精神の発達過程に非常に重要な影響を与えると考えられている交流方法に『ストローク(stroke)』と呼ばれるものがあります。
ストロークとは、簡単に定義すれば『人間の存在や価値にまつわる自己評価に影響を与えるような情緒的交流や働きかけ』という事になります。

ストロークには『肯定的なストローク』と『否定的なストローク』がありますが、賞賛されたり評価されたり、感謝されたりするような他者からの共感的理解と親密なふれあいに満ちた感情的な交流は、人間の健全で正常な心身の発達過程には必要不可欠な肯定的なストロークと言えます。

  • 肯定的ストローク……それを受けると“良い気分”になるものをいい、心地良い身体的接触(スキンシップ)や褒められる称賛、励まされる激励、肯定される評価などが典型的な肯定的ストロークです。肯定的ストロークを受け取ると喜びや満足を感じて、自信を形成し個人の人格的な成長に役立つ事になります。
  • 否定的ストローク……それを受けると“悪い気分”になるものをいい、理由が曖昧な叱責や馬鹿にするような悪口、叩いたり蹴ったりする暴力が典型的な否定的ストロークです。否定的なストロークは、憂うつな気分や不愉快な気分を生み出し、自信を喪失させ、他者への不信感や反社会性などを高めてしまいます。苦痛を与える体罰児童虐待なども否定的ストロークに分類されます。

また、体罰や虐待といった否定的ストロークと同等以上に悪い影響を与えるものに『無視や無関心』といったストロークのやり取りの不在や喪失があります。
子どもは、親の無関心な態度が継続すると、不快で苦痛なストロークでもよいから何かの情緒的な反応をして欲しいと願います。
その結果、小学生くらいの年齢なのに、失禁や指しゃぶりなどの幼児退行をして、叱責や受容を無意識的に求めたり、万引きや喧嘩などの反社会的な問題行動を起こして親や大人の興味関心を引きつけようとしたりする事は児童教育心理学の事例では非常にポピュラーな心理反応として知られています。

相手が自分に何を与えてくれるか、どんな行動や成果を残してくれるかに関わらず、一切の条件を付けずに、相手の存在そのものに直接与えられるストロークである。
例えば、どんなに成績が悪くても、どんなに身体が弱くても、お前が生きてくれているだけで私たちは幸福を感じることが出来るというような親の見返りを求めない愛情や経済的に裕福でなくても、他人から称賛されるような優れた能力をもっていなくても、あなたと一緒の時間を過ごせるだけで自分は十分に満足できるというような恋愛関係の中などに無条件のストロークが見られる事がある。

相手の存在そのものに与えられるストロークではなく、相手の身体的特徴や精神的能力、行動内容、社会的評価などを理由として与えられる条件付きのストロークで、ある一定の条件を満たした場合のみに与えられるストロークである。
例えば、あなたに比類なき美貌の魅力があるからこそ、自分はあなたが誰よりも好きなのだという恋愛観やあなたは何でも言うことを良く聞くから、大切な子どもなのだといった育児状況などに典型的な条件付きストロークが見られる。

条件付きストロークは、基本的な社会規範を教える躾や教育には欠かせないものであり、経済活動や社会的人間関係では条件付きストロークが一般的なものとして認識されているが、人生の中で条件付きストロークばかりを与えられ続けると、他人から何か利益や報酬を得られなければ自発的な行動が出来ない性格になったり、全てを交換条件で割り切るような冷めた親愛感のない人間関係しか築けなくなったりする可能性がある。
『相手に何かを与えなければ、自分は愛されないし、認めてもらえない』という基本的価値観が形成された結果として、強迫的に社会的評価のなされる仕事や勉強に没頭し続けることでしか安心を得ることが出来なくなったり、絶えず他人の顔色や評価を気にかけながら生活するような自信と余裕の持てない性格傾向を呈する。相手の純粋な好意や無償の愛情というものの存在を信用できなくなり、親密な信頼関係に基づく友人関係や恋愛観気を取り結ぶことが難しくなることもある。

  • 人生の基本的な構え

自分と他人に対して、どのような基本的価値観を持っているかによって、交流分析は4つの『基本的な構え』を想定している。

  • 私はOKである。あなたもOKである。

自己と他者に肯定的感覚を持ち、相互に人間的尊重のできる理想的な基本的な構えである。
真の自己実現に向けて、表層的なゲームの人間関係に陥らず、親密な信頼できる他者との良好な関係を維持しながら、主体的な人生の選択と決断を積極的に自信をもって行っていく事が出来る。

  • 私はOKである。あなたはOKでない。

自己肯定感は強くて前向きだが、基本的に自分本位であり、自分の欲求実現の為には他人を排除したり利用する冷淡な側面を併せ持つ。外部の状況や外界の他者に対する基本的不信感によって、自己の行動や判断を行っており、相手から利用される前に自分が相手を思い通りにコントロールしなければならないという独善的な信念に支えられている。
野心的で意欲的な特徴を持ち、気分が落ち込んだり、悲観的になったりするようなことは滅多にない一方で、他人の気持ちへの配慮が欠けている部分がある。

  • 私はOKでない。あなたはOKである。

自己肯定感が低い為に、抑うつ状態や無気力状態に結びつくマイナス思考の負のループにはまり込むことの多い基本的な構えである。
周囲の人間が楽しく充実した人生を送っているのに、何故、自分だけがこんなに苦しくて不満の多い人生を送らなければならないのだろうという他者への劣等感や嫉視羨望、不条理への憤懣を抱えている事がある。
人生に対して悲観的で消極的であるために、『私はOKである』という自己肯定感が強く積極的に生きている人たちの中にいることを苦痛に感じ、前向きな考え方を持つ人たちと親密な関係を結ぶことが難しいが、基本的に他人への気配りや配慮は行き届いていることが多い。
自分に対する自信や肯定感を高めていくことで、人生をより生きやすく、充実した出来事に満ちたものに変えていく事が出来る。

  • 私はOKでない。あなたもOKでない。

自分や他人に対する肯定感が低く、自己や他人の存在自体に否定的な判断を下していて、人生そのものは生きる価値が乏しいものだと感じる虚無主義者であり、ペシミスト(悲観論者)である。
毎日の生活から楽しみや喜びを見出す事がなく、また見出そうとする意欲にも欠けている為、どんな好意をしても、どんなに良い成績を挙げても本質的には無意味であり無価値であるというニヒリズム無限後退的な価値観の枠組みから抜け出す事が難しい。
他者からの肯定的なストロークである愛情や信頼を受け入れることを拒絶し、自分の世界否定的な思索や夢想の殻に自閉してその世界を虚無的に耽溺する傾向がある。

自他を否定的に認知しているので、自己破滅的な行動に出たり、他者への攻撃的な衝動的行動に出たりすることもある。
精神発達過程の極めて初期に、肯定的なストロークを全く受けられなかったことや過度の虐待による否定的なストロークなどが遠因となり、他者との基本的信頼関係を築くことが出来ない状況が、絶望的な世界観や虚無的な人間観の構築に強い影響を与えている。

  • ゲーム分析(Game Analysis)

人間関係のトラブルや対立・喧嘩を生み出しやすい交流で、『相手を自分の思惑通りに操作してやろう』という裏面の意図を持つ非生産的で破滅的な交流パターンを『ゲーム』と呼びます。
ゲームは、その生起や結果が予測可能であり、一定の形式的なパターンを有していて、ゲーム的な交流を好む人は頻繁にゲームを反復して繰り返します。

しかし、一般的にゲームの交流の結末は、破壊的で無益なものであり、お互いに不快感や嫌悪感といった否定的感情を抱くつまらない結果になってしまいます。
不愉快な感情を生じさせるゲームの交流が何故、行われるのかについては、『強引なストローク獲得』『自己満足的な時間の構造化』『相手を否定しているという“基本的な構え”の証明』『問題解決からの逃避と欺瞞』などの理由が考えられます。



ゲームの法則

隠れた動機

自分が相手を否定して拒絶している事を、現実的な不快感を与えることで証明して思い知らせたい。
自分のゲーム的交流のパターンにはまりそうな相手を探し出して、自分は“仕掛け人”となって、相手が反撃や否定的な反応をしてきそうな“罠”を仕掛ける。
相手の人格を否定する発言や中傷をしたり、相手の価値観を軽視して馬鹿にしたり、相手の悩みの内容や問題意識を取るに足らないものであるとして非難したり、茶化したりして、相手の存在価値や行動の意味を“値引き”しようとする。
この誹謗中傷や攻撃的言説による『相手の値引き』こそが殆どの不毛なゲームの入り口となる

弱点を持った相手(Gimmick)

自分の意見や価値観を否定されると、過剰反応して攻撃的になりやすそうな相手が“弱点を持った相手”としてゲーム的な交流の罠に掛けられてしまう。
弱点を持った相手とは、自己正当化欲求や優越欲求の強い自尊心の高い人であったり、敬虔な宗教の信仰者や嘘や欺瞞を極端に嫌う馬鹿正直な人であったりする。

反応(Response)

不快感や嫌悪感の反応を引き起こす刺激を与えると、二人は相互に相手の存在や行動の価値の引き下げである“値引き”を攻撃的に過熱的に行うようになる。
ゲーム交流の初期では、『仕掛け人』と『カモとしての弱点を持った相手』の区別は明確であるが、次第に悪口雑言が過熱して、緊張と対立が高まっていくと両者の区別は不確かなものとなり、混迷した状況を迎える。

交流パターンの変化(Switch)

罠を仕掛けた主導者と罠に掛けられた被害者との二重構造は、交流パターンの変化によって崩壊し、その変化が何度も繰り返されていく内に泥沼の中傷罵倒合戦の様相を呈す。

混乱(Cross-up)

二者に加えて第三者まで無益で不毛なゲーム交流に参加することもあり、ますます事態は複雑化して混沌とした事態を引き起こす。
初期の意見の食い違いや論争の焦点が見失われて、『何故、こんな無意味な泥沼の対立状態に陥っているのだろう?』という疑念が芽生えると同時に、次第に興醒めの感覚が高まってきて、『もう、勝とうが負けようがどうでもいい』といった自暴自棄な気持ちになってくる。

結末(Pay-off)

お互いに冷静さを失って白熱した罵倒と中傷のやり取りに終始することに堕したゲームは、ゲーム参加者全員の倦怠と無気力、疲労感に動機付けられた意外な結末で幕を閉じる。
結末の時点で、ゲームを演じた人たちの『隠れた動機』が白日の下に晒され、表面化した自己顕示欲や他者否定欲求というゲームの正体を再認識して、ゲームに関与した人たちは徒労感や疲労感、不快感や虚無的な憂うつ感を感じる事になる。
あるいは、相手の一方的なクールダウンに対するやり場のない怒りや憎悪が生じたり、冷静になってふと我に返った時に、相手を必要以上に愚弄した自分の人格性に対する嫌悪や罪悪感が芽生えたりする。


ゲームの特徴として、無価値で無意味という結末が分かっていても何度も反復的に繰り返してしまうことや思いもかけない相手や場所からの不意討ち、大勢の第三者が参入することによる事態の混乱化がある。
インターネットの掲示板やブログなどを利用した議論でも、過度に攻撃的で人格批判的な論争へと方向性を一歩間違えると、混沌としたゲーム交流の事態を招いてしまうことがある事はよく知られている。

また、ゲームが行われている最中には、現実的な合理的判断を司るAの自我状態の機能は麻痺していることが多く、ゲーム参加者間のコミュニケーションは基本的に『裏面的交流』が中心になっていることにも留意する必要がある。
ゲームの結末においては、殆どの場合において、『ラケット』と呼ばれる不快な感情体験が為されることになる。


エリック・バーンは、1964年に『人生ゲーム入門』という書籍の中で、約30の代表的ゲームを例示している。


ゲームの分類



Ⅰ.生活のゲーム(Life Games)

1.アルコール嗜癖(Alcoholic)
2.負債者・借り倒し(Debtor)
3.キック・ミー,俺を攻撃し否定しろ(Kick Me)
4.さあ、痛い目に合わせてやるぞ・粗探しや揚げ足取り(Now I've got you,Son of a Bitch)
5.あなたが原因でこんなひどい状態になったのだ・責任転嫁(See What You Made Me Do)


Ⅱ.結婚生活のゲーム(Martial Games)

1.追い詰め・蒸し返し(Corner)
2.法廷・仲介役(Courtroom)
3.冷感症・肘鉄砲(Frigid Woman)
4.苦労性・自己折檻(Harried)
5.あなたがそんな風でなかったらいいのに・社会性不安障害・対人恐怖(If it weren't for you)
6.こんなに私が懸命に無理して頑張っているのに・同情の獲得(Look how hard I've tried)
7.ねぇ、お願いよ(Sweetheart)


Ⅲ.パーティー・ゲーム(Party Games)

1.ひどいものだ(Ain't It Awful)
2.欠点探し・詮索好き(Blemish)
3.シュレミール・すみませんという言い逃れ(Schlenmiel)
4.はい、しかし〜・水掛け論への誘い込み(Why don't you〜 Yes, but〜)


Ⅳ.セックスのゲーム(Sexual Games)

1.仲間割れ(Let's you and him fight)
2.性的倒錯(Perversion)
3.ラポ・誘惑(Rapo)
4.ストッキング・フェティシズムへの引き込み(The Stocking Games)
5.大騒ぎ・空騒ぎ(Uproar)


Ⅴ.犯罪者のゲーム(Underworld Games)

1.警官と泥棒・逃げるスリル(Cops and Robbers)
2.どうやってここを抜け出すか・模範囚(How do you get of here)
3.ジョイに一杯食わして騙してやろう・信用詐欺(Let's pull fast one on Joey)


Ⅵ.診察室のゲーム(Consulting Room Games)

1.温室・心理療法遊び(Greenhouse)
2.あなたを何とか助けてあげたい・過剰治療(I'm only trying to help you)
3.困窮・暗黙の了解(Indigence)
4.田舎者・教祖と信者(Peasant)
5.精神医学・終わりなき分析(Psychiatry)
6.愚か者・間抜け(Stupid)
7.義足・特別扱い(Wooden Leg)


Ⅶ.相互に不快感や怨恨の残らない割り切った“良いゲーム”(Good Games)


ゲームの交流そのものは、不快感や自己否定感、怒りなどの感情につながる非生産的で無内容なものが殆どである。
ゲームの出発点の多くは、与し易いと思った『相手の値引き』であり、相手の意見の揚げ足取りや相手の人格批判、価値観や信念の軽視や否定から始まることになるので、そういった出発点となる値引きの言動を意識的に抑制するようにするとゲームを回避しやすい。

ゲームは、カープマンが提示したドラマの三角的役割配置とされる『被害者・加害者・援助者』の三者の役割を演じる人間が存在する事によって、混乱の度合いを深めて、容易に抜け出せない過熱した対立関係に行き着く事になる。
ゲーム状況になった時には、それぞれの参加者(プレイヤー)がどの役割を演じているかに自覚的になって一呼吸置いて冷静になり、その役割関係を担うことから外れる言動を取ってみるなどの工夫をしてみると事態を好転させる契機になることもある。

内容空疎で破滅的なゲームの結末をそれぞれが事前に早い段階で予測し、その結末を回避して建設的な議論へと方向転換する対処法を考えたり、今までの交流パターンを変化させて相手の意見を聴く体勢を整えてみると『ゲームから議論への前進的転換』が生じることがある。

  • 脚本分析(Script Analysis)

交流分析では、個人の人生を一つの物語やドラマとして認識し、『無意識的な人生計画や人生設計』を『脚本』という言葉で表現する。
脚本は、幼児期の生育環境や親や周囲の大人からのストロークによってその基礎が形成され、前記した『基本的な構え』によって自己肯定的な脚本か自己否定的な脚本かの差異が規定されてくる。
人生の重要な局面において、基本的な人生設計である脚本に示された筋書き通りの言動を繰り返し取ってしまう傾向があるので、脚本が自己破滅的・自己否定的な内容であるならば、『今、ここから』どのようにすべきかという視点にたって、新たな自己肯定的かつ自己実現的な未来に希望や喜びの持てる内容の脚本へと改正していかなければならない。

否定的な人生脚本を作成してしまう原因となるものに、AC(アダルト・チルドレン)とも関係の深い幼少期の両親からの『否定的ストローク・禁止規則』があり、これは、子どもの健全な成長や発達を疎外する意味を持つ情緒的交流のメッセージとして子ども達に受け取られてしまった禁止規則である。



禁止規則の典型例

1.存在してはいけない
2.男性・女性であってはいけない
3.子どものように楽しんではいけない
4.成長してはいけない
5.成功してはいけない
6.実行してはいけない
7.重要な人物になってはいけない
8.みんなの仲間入りをしてはいけない
9.愛してはいけない・信用してはいけない
10.健康であってはいけない
11.考えてはいけない
12.自然に感じてはいけない

幼少期の両親や大人たちの関わり合いの中から、不合理で自己破壊的な禁止規則を学習して無意識的に実行していることに気付くことがまず重要になってくるが、『自分自身を不幸にし悲惨な状況に陥る禁止規則を遵守する必要がない』ことを繰り返し確認すると同時に、自分を受け止めて評価してくれる人間関係の実践を通して段階的に禁止規則を放棄していく。
過去の束縛から未来の充足や幸福へと自分を解放していく過程を焦らずに楽しむようにすると、人生を生きる上で障害となる不条理なルールの認知転換をする際の苦痛を少なくする事が出来る。