ドストエフスキー『美』を語りき。。。

id:cosmo_sophy:20041122で、完全無欠の美のイデアへの憧憬をプラトンイデアとして語ったが、ロシアの大家ドストエフスキーは美を畏怖すべき掴み所のないものとして語っている。


美―――美という奴は恐ろしいおっかないもんだよ!つまり、杓子定規に決める事が出来ないから、それで恐ろしいのだ。なぜって、神様は人間に謎ばかりかけていらっしゃるもんなあ。
美の中では両方の岸が一つに出合って、すべての矛盾が一緒に住んでいるのだ。俺は無教育だけれど、この事は随分考え抜いたものだ。実に神秘は無限だなあ!

この地球の上では、ずいぶん沢山の謎が人間を苦しめているよ。この謎が解けたら、それは濡れずに水の中から出てくるようなものだ。ああ美か!その上俺がどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持った立派な人間までが、往々聖母(マドンナ)の理想を抱いて踏み出しながら、結局悪行(ソドム)の理想を持って終わるという事なんだ。いや、まだまだ恐ろしい事がある。

つまり悪行(ソドム)の理想を心に懐いている人間が、同時に聖母(マドンナ)の理想をも否定しないで、まるで純潔な青年時代のように、真底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや、実に人間の心は広い、あまりに広すぎるくらいだ。俺は出来ることなら少し縮めてみたいよ。

ええ、畜生、何が何だかわかりゃしない、本当に!理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一体、悪行(ソドム)の中に美があるのかしらん?・・・・
・・・しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ。

ドストエーフスキイカラマーゾフの兄弟
第三篇の第三、熱烈なる心の懺悔――詩 

これは、三島由紀夫(1925-1970)の『仮面の告白新潮文庫の冒頭に引用されたドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の断片であるが、私がリビドーだエロスだと長々と語る以上にエロスの聖性と俗性をキリスト教の世界観(マドンナとソドム)に当て嵌めて流暢に簡潔に語っている。

キリスト教の歴史や教義を勉強したいと思うきっかけの一つがドストエフスキーの『罪と罰』をはじめとする幾つかの著作だったような覚えがありますが、ドストエフスキーの著作は膨大な分量の分厚いものが多いのでよっぽど時間に余裕をもって腰を据えないと読めないですね。

この頃、小説やミステリーといった創作物の読み物に触れる事が少なくなっているが、人間の感情の機微や関係性の美しさや醜さ、人生の幸不幸をエクリチュールで味わうならばやはり心理学などの専門書や教養書より創作された文学やミステリーがいいですね。
明治〜昭和初期の純文学や三島由紀夫太宰治のような耽美的あるいは退廃的(デカダン)なナルシシズムに裏打ちされた文学、芥川龍之介の仏教にまつわる作品や遠藤周作ドストエフスキーのようなキリスト教の世界観を下敷きにした作品も好きですが、新刊のベストセラーになるようなミステリーや小説も結構好きです。

友人が面白いと言っていたキリスト教文化の歴史やモナリザの微笑を絡めたミステリー、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード:上下』(ISBN:4047914746 ,ISBN:4047914754)も発売当初から読みたいと思いながら、未だに読めてない状態です。
笠井潔の『オイディプス症候群』(ISBN:4334923577)もかなり分量のあるミステリーですが、ギリシア神話を題材にしてクレタ文明のクノッソス宮殿を彷彿させるような複雑な構造を持つ建築物で事件が展開するミステリーで、オイディプスとはid:cosmo_sophy:20041116でちょっと触れた精神分析エディプス・コンプレックス概念の着想を得たギリシア悲劇の『オイディプス王』のことです。
笠井潔の矢吹駆シリーズは、全て読んだわけではないですが、哲学的な雰囲気のあるプロットの複雑さや観念的な登場人物の対話を楽しみたいミステリー好きな人なら大変面白く読めると思います。ナチスドイツの歴史をテーマにして、ハイデガーのような教授もでてくる『哲学者の密室』は恋愛小説の要素も多分にあって色々な角度から読み込める小説でなかなか面白かったです。

ダ・ヴィンチ・コード』を読もうと思うと何故かウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(ISBN:4488013511)がふと頭に浮かびます。
これも長大で精緻な中世キリスト教修道院を舞台にした壮大な謎解き物語で、小説にそこまで必要なのかと思うほどのある意味無駄なキリスト教文化と歴史、神学論争のエスプリ(今ではトリビア)や薀蓄を散りばめている衒学的な小説ですが、そこは記号学者のエーコの面目躍如、出口なき迷宮を描きながら、論理的な記号配置の伏線を巧妙に敷いています。
キリスト教の歴史や神学に全く関心がなければ途中で退屈してしまい最後まで読了するのはちょっと難しいかもしれませんが、ペダンティックな知識欲も満たしながら時間をかけて小説を楽しみたい人にはお勧めです。