シャーマンの特殊能力と認知障害、ソクラテスのダイモンの声

進化論的な知見や立場から人間の行動や感情の由来を研究する『進化心理学』や病気や障害、寿命による死などを進化論の知識を利用して研究する『進化医学』などでは、統合失調症うつ病などの精神疾患にも進化的な意義や環境適応的な要素があると説明されることがあります。
これは、人種・文化・国籍・民族を問わず、更にどの時代においても、統合失調症の生涯有病率が約1%である事やうつ病の発症確率が『心の風邪』と言われるほどに高い事が傍証として上げられます。つまり、人類にとって何らかの必然性や意味付けがあるからこそ、長い自然選択の歴史を経て、現代にもそれらの精神疾患が継続して残っているという考え方を進化心理学は取るわけです。

特に、統合失調症は、合理主義的価値観によって運営される近代国家が現れる以前は、幻覚や妄想を異常な精神性として排除するのではなく、ある種の特殊技能を持つ人間とされたり、宗教的に高貴な存在だとして崇拝される傾向さえありました。
古代の宗教的権威を重んじる共同体では、精霊や心霊を自らの肉体に憑依させるシャーマン(精霊術師)としての地位が与えられました。

シャーマンは、日本では青森県恐山に残るイタコのような存在で、神霊や精霊、死者の魂と直接的に交信してコミュニケーションを取り、神の託宣を述べたり、呪術を用いて病気の治療を行ったりします。
現在の精神医学で言う認知障害(幻視・幻聴・妄想)が、古代の宗教国家や現代の未開民族などにおいては、通常の人が聞き取る事の出来ない神聖領域(彼岸・あの世・精霊界)にある声を聞き取る特殊能力とされたり、普通の人が見る事の出来ない死者の霊魂や神、木々や岩に宿る精霊を生き生きと見る事の出来る能力として讃えられたのです。
特殊能力によって神の言葉を聞いて、人々の守るべき倫理規範を示したり、国家の運命を占ったり、病気の治療法を教えたりする人を総じて『預言者(超越者の言葉を預かる者)』と呼びますが、現代では狂信と呼ばれて片付けられてしまう預言者でも、敬虔な信仰者の多かった時代には旧約聖書に名を残すモーセ、イザヤ、エゼキエルのような預言者として崇敬されたのかもしれません。

余談ですが、ソクラテスが本格的な人生の転機を迎えるのは『ソクラテス以上の賢者はこの世に存在しない』というデルフォイデルポイ)のアポロン神殿の神託を受けた事によっています。
アポロン神殿の巫女による神託を実際に受けたのは、ソクラテスの友人でソクラテスを深く尊敬していたカイレフォンだったとされていますが、ソクラテスが産婆術とも呼称される論駁的な対話を繰り返した最大の動機は『アポロンの神託への反証』であったと言われます。

しかし、最終的にはソクラテスはこの神託が自らに下された意味を推測し、『自分は確かに何事も知らない無知な人間であるが、その無知を自覚している一点において世間の知恵者とは異なっている。アポロンの神託は、無知の知を自覚する者こそが真の賢者である事を告げているのではないか。』と考えて、人々から賢者と崇められ、また自分自身でも優れた賢者であると自覚しているソフィスト達のもとを歴訪して、『無知の知』の自覚を促す為に鋭い舌鋒の弁論を用いて産婆術と呼ばれる対話で相手を論駁していきました。
これを『無知を自覚している私は賢い』という短絡的な意味に捉えるのもまた誤謬であり、『無知であるからこそ、謙虚に真の知識と善なる人生を求めなければならない』という終わりなき愛知(philosophy)の営みにつなげていくというのがソクラテスの言説の言わんとする所だと思います。
その事をもって、素朴なアルケー探求の自然哲学と区分して、ソクラテスを哲学の祖とする見方も出来るのではないかと思います。
『自分自身を完成された賢者と自覚するものは、知(徳)を愛する探求活動を継続できない』という所に、各地で賢者として尊敬されていた人物を道徳的基本概念の定義を巡る『産婆術』で論駁していったソクラテスの本領があります。

ソクラテス自身はある程度の自然学的教養を持ち、レトリック(修辞学の技巧)を駆使して相手を論駁する強い批判精神を持っていましたが、古代ギリシア世界においてデルフォイアポロン神の神託は絶対的な権威を有していて、その予言は必ず当たると信じられていた為に批判精神の塊であるソクラテスもその予言を『根拠のない言葉に過ぎない』と見過ごす事が出来なかったと考えられます。
ソクラテスは、自然研究に際しては合理的な思考をし、対話・議論においては論理性を重視しますが、その一方で内面にダイモンという神霊の声を聞いて茫然自失の態に陥ることが多かったと言われます。

ダイモンは、『善なる神霊あるいは悪なる神霊』とされますが、その実態は詳らかではなく、ソクラテスの意識に突如飛来する神秘的現象であり、ソクラテス自身には『内なる道徳律を示す声』のような認識が為されていたようで、自らが道徳律に反する悪しき行為を為そうとする時に『それを為すべからず』といった形でダイモンの合図がやってきたそうです。

現代の脳神経科学的な見地からは、ソクラテスは、ポリスの街中で突然身じろぎもせず制止するてんかん発作に近い意識消失を起こしていたとされます。
しかし、ソクラテスの脳内現象とダイモンの出現を結びつけて、神霊としてのダイモンは幻影に過ぎないと科学的判断で切り捨てる事は出来ますが、心的リアリティとして『内面的な良心や倫理観の象徴としての神霊』は実在したこともまた事実です。
『主観的な心的リアリティ』と『客観的な物的リアリティ』の境界線上に、心脳問題が生じるのではないかとふと考えました。

精神病圏の非日常的な精神状態が、時に、並外れた独創的な芸術作品を生み出したり、豊かな想像力を活用して文学に才能を示したり、繊細な感受性や独自の表現力が魅力になったりすることはあるが、それは飽くまでレアケースであり、精神障害としての苦悩や葛藤といったつらい部分が多い事が現実である。
進化心理学的な精神病解釈は、確かに生物学的なストーリーとしては魅力的な仮説ではあるが、精神の病にロマンティシズム的な因果関係を安易に持ち込む事には誤解や偏見の危険がつきまとうのではないかとも思う。
歴史的な偉人や賢哲の特異的な精神状態による才能や創造力を記録した物語は数多いが、客観的な業績や発明は、その本人の主観的な幸福や楽観を意味していない事にも留意しなければならない。

適度な興奮や高揚を通り越した異常な興奮や極端な精神的高揚や陶酔感は、双極性障害躁転の時期に見られるが、躁状態は外部の人から見ると『気分爽快で明るく活発に見え、饒舌に止まることなく話し続ける姿に精神の高揚が読み取れる』が、躁状態は自分自身で意識して程よく気分を抑制する事が出来ない精神機能の暴走状態である。
抑制が効かないという事は、周囲の情況や他人の対応に合わせた適切な感情表現が出来ず、場から浮いてしまったり、正常な注意力を向けたり、物事を判断する為の熟慮が出来ない事を意味する。
つまり、本人が制御できない気分の高まりと過度の精神高揚によって、本来なら冒すはずのない失敗をしてしまったり、安易に大きな契約をしてしまって金銭的な損失を蒙ったりする。
そして、双極性障害は、ハイな高揚状態から突如として陰鬱で無気力な抑うつ状態に切り替わり、また、一定期間のうつ状態を過ごした後に躁状態へと移行して極端な気分振幅を不規則に周期的に繰り返す事になる。

躁状態うつ状態の病相を、本人の意志と無関係に強制的に往復されるところに、双極性障害の最大の苦悩がある。
両極端な気分の循環の反復は、想像以上の精神的負担だし、社会的職業的なデメリットや躁状態からうつ状態へ陥る時の高揚から絶望への落差は耐えがたい恐怖だと聞く。
予想出来ない感情機能・意欲機能の落ち込みと気分の加速度的高揚は本人の苦悩と合せて周囲の家族や知人の心配や悲哀を生み出す。

うつ状態躁状態の真の原因は解明されていないが、遺伝的要因と環境的要因が複雑に関与していると考えられている。
しかし、重篤な重度うつ病でない場合には、生活環境からの継続的ストレスや心理的な悩みの抱え込みが作用している部分が大きく、十分な休養と適切な人間関係と生活環境の調整によって漸進的に回復することも多い。
薬理機序を説明する脳内モノアミン仮説だけでは、うつ病躁鬱病の発病過程や軽快・寛解の機序を十分に説明することは出来ないが、慢性的な精神的ストレスによって血中濃度が上昇する生体ホルモンのコルチゾルうつ状態を誘発するという仮説もあるようだ。
コルチゾルの上昇や脳内の神経伝達物質であるセロトニンノルアドレナリンの減少という因子が、うつ病の諸症状を発生させる神経化学的な因子になっていることは確かなようだがそれで全てが説明しきれるわけでもなく、飽くまで『有力な仮説の複合』の水準でしか精神機能の異常を語ることが出来ない。

時々、うつ病ではなく単なる一時的な気分の落ち込みや精神的ショックから立ち直る為に、SSRISNRIといった抗うつ薬を飲みたいと考える人がいるようですが、不思議な事に、うつ病でない人が、薬によってセロトニンノルアドレナリンといった神経伝達物質を増やしても(再取り込みを抑止しても)、殆ど効果がないし、精神的な昂揚感や多幸感が得られる事もありません。
飽くまで、異常なまでの減少が起こっている人の脳内でしか効果的な作用をしないようですので、抗うつ薬リタリンのような精神高揚作用や麻薬のような覚醒作用はありません。

しかし、セロトニンという化学物質は、猿社会(ベルベットモンキーなど)では優勢なアルファオス・メスの脳内で濃度が高く、劣勢なオメガオス・メスの脳内で濃度が低いことが観察されており、社会的関係性とセロトニン濃度の間に相関関係が見られます。
また、オメガオスに抗うつ薬を投与し、アルファオスにセロトニンを減少させる拮抗薬を投与すると、力関係の逆転やオメガの社会的活動への積極的参加などが見られる所も人間と類似しているようです。
この事から、人間と似た種の動物の脳内においてセロトニンは『意欲・関心の増加作用、活動性の増進、不安・恐怖の抑制作用』といったものを持つと推測されます。

しかし、猿社会と人間社会は、その構造の複雑さや他者との関係性の多様性、他者評価の基準、社会的行動の種類などが大きく異なるので、猿のセロトニン決定説的な社会観は人間に当て嵌めることは意味がないと思います。
人間の社会的関係や社会的な振る舞いは、脳内化学物質によって因果的に決定されているのではなく、その多くは個人の人格・性格・能力や趣味嗜好、対人関係スキルによって結ばれていく他者との関係性によって予測不可能な形で形成されていくのではないかと考えています。
意識的な努力や人間関係改善のための工夫によってより良い人間関係を創り出す事ができます。
更に、社会的なコミュニケーションや技能を練磨し習熟する事によって、安定した感情や気分の状態を維持して幸福な社会生活を実現していくことが人間には十分可能だといえるのではないでしょうか。