古典的な神経症(ヒステリー)概念と人格障害の概略


精神分析が、主要な分析対象として、その病態を精細に理論化した精神疾患は、O・アンナやエリザベスの症例に典型的な『神経症(ヒステリー)』である。
フロイトが、母親への愛情と父親への対抗心といった親子関係のエディプス・コンプレックスの葛藤に苛まされたことから、その発達心理学の萌芽ともいえるリビドーの発達段階説が着想されたし、何より、ユングが精神病質的な空想癖があったのと同様に、フロイトには広場恐怖(社会性不安障害やパニック障害を伴う)と当時言われた神経症の既往があった。

ヒステリーは、神経症の下位概念であるが、20世紀半ば位まではその厳密な区別をする事は困難で、殆ど同義なものとして扱われ、DSMやICDによる精神障害の統計的分類と構造化面接が主流になるにつれて神経症という病名そのものが現在では精神医学の世界から消えている。
神経症は、DSMの病名で表せば、身体表現性障害、解離性障害(解離性健忘・多重人格障害とも呼ばれる解離性同一性障害)、パニック障害全般性不安障害、社会性不安障害(対人恐怖症)、ヒステリー性格、演技性人格障害といった広範な病態を示す総合的な疾病概念であり、『何でもありのブラックボックス』でもあることから、科学的な学問領域で使用する概念として妥当でないと考える人が増えたという事でもあるだろう。

精神分析学が定義した神経症概念とは、『具体的な身体的原因(器質的所見)が存在しないにも関わらず生じる、苦痛・不快・違和感を感じる精神症状あるいは身体的変化』というべきものであり、その個別的症状は実に多様性に富んでいて、神経症であるからと聞くだけでは具体的な状況を言い当てるのは難しい。
また、神経症の症状形成過程は、社会の道徳規範の厳格さや家庭の教育環境の苛烈さ、性的行為に対する抵抗感や嫌悪感につながる潔癖な性倫理観と強固に結びついている為に、キリスト教プロテスタント的な倫理規範による個人の欲望や行為への締め付けが厳しかったヴィクトリア王朝期に神経症患者は多かった。

重篤な身体障害に発展するような神経症は、価値観が多様化して個性の自由が尊重される社会では発病する可能性が低く、現代の日本のようなある種のアノミー(中心的倫理規範が不在の)状態下では、重症の神経症の発症リスクは極めて低くなると想定される。
その一方で、厳しい経済情勢における過重労働や神経の緊張、あるいは複雑化する社会構造の中での多種多様な人間関係への対応のストレスによって自律神経症状群を中核とする不安障害やパニック障害は急増しており、真面目で与えられた職務を一途に熱心にやり遂げる几帳面な性格の人*1などはうつ病の発症リスクが高いとされている。


古典的神経症の個別的な症状を挙げてみると、

  • 失立、失歩(神経障害や脳障害が無いにも関わらず、立てなくなり、歩けなくなる)
  • 心因性失明、一時的な盲状態(眼の角膜や水晶体などに損傷がないにも関わらず、視力を失い、一時的に失明する)
  • 視野狭窄(視野が狭くなったり、周囲の風景がぼんやりと霞んで現実感が乏しくなる)
  • 心因性難聴、一時的な聾唖状態・言語障害(鼓膜や蝸牛管、聴神経、声帯、咽喉、脳に器質的障害がないにも関わらず、音が聴こえなくなり、言葉を喋ることが出来なくなる)
  • 意識障害・卒倒(脳神経の障害が無いにも関わらず、意識水準が低下したり、自我意識の統合性が障害されて現実感覚が乏しくなり、時に多重人格障害に類似した症状を呈する。いきなり、倒れ込んで、意識を喪失する)
  • 頭痛・嘔吐・消化器系障害(自律神経のバランスの乱れによる疼痛や不快感を伴う症状。心身症に接近すると消化性潰瘍を伴う場合もある)
  • 運動障害(器質的原因が存在しないのに、手足の震顫(振るえ)や筋硬直や弛緩など自分自身で運動をコントロールできない症状)
  • 知覚障害(外界の事象を他人と同じように知覚する事が困難になる症状。触覚鈍磨、視覚異常、嗅覚異常、味覚異常などあらゆる感覚において起こる可能性があるが、医学的検査によっては異常の原因を特定できない)

などがある。

精神分析の自我の構造論によれば、快を求め、不快を避けるという本能的な快楽原則に従属する『エス』と生育過程において道徳規範として内在化される『超自我』との力動的な葛藤によって神経症の形成過程・発病機序を説明しており、これが自由連想法夢分析の治療論の前提にあった。
エスの本能的欲望が無意識領域へと抑圧され、その欲望を表出させようとするリビドーの衝動を無理矢理に押さえ込み続ける事で、神経症症状へと転化され置換されていくというのだが、これは結局、フラストレーション(欲求不満)の蓄積とストレス耐性の閾値という概念に換言することが出来るだろう。

無意識的願望の抑圧が起こる背景には、『その願望を他者に知られてはならない、あるいは言語化してはいけない』という強固な倫理観や道徳意識があり、それを超自我と呼ぶのだが、自由主義と民主主義によって社会が運営される現代では、超自我の精神機能は衰弱してきていて、倫理的な善悪や禁欲的な性規範によって自分自身を過度に抑圧するケースは減じている。
更に、内省的な苦悩や罪悪感を伴う倫理的な葛藤に象徴される“内向性”よりも、自分の経済的・性的な欲求を充足する為に積極的に行動する“外向性”に高い意義を見出す人が増えている事も『典型的な神経症の減少』の一因と考える事が出来るだろう。

神経症症状に特徴的な要因を考えるならば、『疾病利得』という病者アイデンティティを獲得する事によって得られる社会的・対人関係的メリットを無視する事は出来ない。
『学校に行きなさい』という登校刺激や『会社に行かなければならない』という出社刺激によって、自律神経系が障害され頭痛や嘔吐が生じたり、腸過敏性症候群などの胃腸障害が起きて下痢や便秘に苦しめられ登校・出社が出来ない状態となった場合には、疾病によって苦痛な嫌悪を感じるストレス場面が回避できるというメリットを獲得できている。
当然、疾病利得は本人が意識して獲得しているものではなく、無意識的な心的過程と動因によって『結果として得られる利得』であるが、心因性神経症症状の原因を探求する一つの手がかりとして利用する事が出来るだろう。
後述するヒステリー性格と疾病利得への動機付けは有意な関連があり、現在の精神障害分類では、ヒステリー性格は演技性人格障害に隣接した性格上の類型であり特徴だと推察される。

ヒステリーは、大きく分けて無意識的葛藤が、頭痛や嘔吐、手足の振るえといった身体症状に転換される『転換ヒステリー』と自我意識の統合性が障害されて、記憶の一部の喪失や意識水準の低下による混乱や朦朧、同一性の障害による複数の人格の発生などの精神症状を呈する『解離ヒステリー』がある。
解離ヒステリーは、苦痛で悲惨な情緒的葛藤や現実環境から逃れでたいという無意識的願望によって発病契機を向かえ、解離性遁走という意識混濁や突然の生活環境からの失踪と無目的な放浪を主症状とする疾患などは現実環境からの逃走の願望が直接的に意識障害や放浪行動へと結合した状態だと言う事ができる。

過去の精神医学において、ヒステリー性格と呼称されていた性格類型の特徴は、『日常的にヒステリー症状を起こしていて、感情的な興奮や混乱を見せやすく取り乱しやすい事。そして、その症状の表現が他人の同情や関心を惹く為に過度に誇張されていて、演技的であり大袈裟である事。基本的に、自己中心的で自己愛が強く、他人を自分の思い通りに症状を通してコントロールしようとする無意識的願望があり、性的に誘惑的な振る舞いや動作が目立つ事。催眠療法などによって容易に意識水準を低下させるという被暗示性が極めて高く、迷信や縁起、他人の評価などに強く影響されやすい事』といったものであるが、否定的な性格の悪い特徴の全てを詰め込むようなブラックボックスへと変質してきた事により、ヒステリー性格の概念は次第に使用されなくなっていった。

ヒステリー性格は、現代の人格障害概念で記述すれば、演技性人格障害自己愛性人格障害境界性人格障害などの特徴が複雑に合わさったものであると解釈する事が出来るが、対人関係を困難にする原因となる自己愛や依存性と衝動性は過去の生活歴や生育歴、家庭環境や恋愛体験と分かち難く密接に結びついており、中途半端な同情や支援はかえって破滅的な悲惨な結果に結びつく事が多い。

転移と逆転移といったカウンセリング場面での心理機制が、最も強烈に惹き起こされやすいのが前述したヒステリー性格に象徴されるような他者依存性と衝動性の強い性格類型であり、精神科医やカウンセラーは『特別な個人的関係に陥らない為の適切な距離感と規定の診療・面接場面を超えた支援を特別にしてあげたいという欲求の自制心』が強く要求されると同時に、決められた面接場面以外の連絡や面談の要求には決して応じては成らない原則を厳守することが結果としての精神的自立の促進や性格の偏りの是正へとつながっていく。


私は、かつて性格異常と呼ばれた人格障害という精神障害の概念や分類には、懐疑的であり、どちらかといえば否定的である。
しかし、自己の性格が自分自身の主観的な苦悩の主要な原因となっていたり、他者に直接的な迷惑や危害を加えるものであるならば、人格障害の概念分類は、その性格の問題点が何処にあるのかを特定して、その苦しみや悩みを解決する為の一つの指標にはなるだろうと思う。

性格は後天的な経験や学習によって変えられる部分も多くあるというプラグマティックで科学的な視点に立つならば、『個人が持っている思考、感情、認知、行動、対人関係の持ち方のパターンや特殊な癖・傾向』が、対人関係の障害を生み出したり、社会環境や生活環境に適応できない為に経済的困窮や犯罪行為などの不利益につながったりするのであれば、それらを改善する事でより生きやすく、より対人関係や仕事を楽しめる性格へと変容させていく事も無意味であるとは言えないだろう。

人間関係を楽しみたいという意志があるのに人間関係が楽しめず、色々な形で社会活動に参加しようという思いはあるのに社会環境に適応できず、生計を立てる為に働く意欲はあるのに、職業活動が遂行できない為に収入が得られない、あるいは社会規範の意義を理解出来ないために犯罪行為を繰り返して収監されてしまうといった事態は、本人がその事態を変えたいと望むならば、当然、性格を意識的に変容させることは悪い事ではないし、本人にとって非常にやり甲斐とメリットのある取り組みになっていくだろう。



以下に、大括りではあるが、標準的な人格障害の分類の概略と説明を記しておきます。
人格、性格に関する心理学の考察も、社会学文化人類学の知見なども交えていつかもう少し詳細に展開したいです。



人格障害(personality disorder)



クラスターA(A群)……対人関係からの完全なる撤退と奇妙な妄想や奇異な振る舞いを特徴とする群

  • 妄想性人格障害……他者への根強い不信感と猜疑心を特徴とする人格であり、あらゆる物事を執念深く疑ってかかり、他者の説得や説明をどうしても受け入れることが出来ない。家族・恋人・友人などから善意で寄せられた言葉や態度に対して、悪い方向に解釈して『自分を騙して利益を得ようとしている。無償の善意なんてないのだから、何か裏があるはずだ』と考え、通常の友好関係を取り結ぶことが出来ない。

大切な人間関係を損なう主要な妄想としては、具体的な浮気の根拠や気配など何もないのに関わらず、配偶者や恋人が隠れて浮気をしているに違いないと考え、絶えず配偶者・恋人を疑って嫉妬に身悶えしていて相手の説明や愛情を受け入れない『嫉妬妄想』などがある。
自分の素直な感情を表現することが苦手であり、一般的な評価としては冷徹やユーモアに乏しく面白みがないと思われていたりするが、親しい相手に対しては過度な絶対的親愛関係を妄想的に求める傾向がある。

他人が聞いて共感や理解する事が不可能な奇異な印象を与える信念や思い込みを持っているが、その信念や思い込み以外の部分では他人の説得や助言を受け入れる余地も併せ持っている。
妄想観念で特徴的なものは、『自己関連妄想』であり、奇異な思い込みや病的な決め付けによって、自分とは無関係な他人の話題や自然現象を自分に関連のある発言や現象だと認知してしまい、誰も悪口を言ったり非難したりしていないのに、周囲の人物が自分を馬鹿にして悪口を言い合っているなどといった妄想に強固に拘泥する。
また、宗教的な訂正困難な信念を持っていて、神の力によって全て自分の行動は決定されているとか、神や超越者から絶えず監視されているといった奇異な妄想を信じ込んでいる場合もあるが、その程度は日常生活全般を不可能にする精神病圏の妄想よりかは軽いものである。
会話の内容は飛躍的でまとまりがなく、時に相手の文脈を無視して自分一人の世界の物語を延々と話し続けることなどがあり、他人との共通理解に基づいた感情交流を伴う会話は非常に苦手である。その為、対人関係から完全に切り離されてしまう場合もあり、社会的孤立に陥りやすい。

  • 分裂病人格障害……統合失調症精神分裂病)の陰性症状に類似した喜怒哀楽の感情鈍磨や感情麻痺が見られ、一般的な評価としてよそよそしくて冷淡な印象を与える性格で、生活態度は、超然とした他人を寄せ付けない態度で、活動性や積極性に乏しく隠遁者のような無為な生活をしていることが多い。

基本的に他人との人間関係への興味関心は全く見られないか、あっても非常に弱く、他人からの愛情や賞賛にも殆ど喜びを感じず、批判や非難に対しても動揺や怒りを見せる事がまずない。
統合失調症陰性症状ほどに徹底的な社会からの孤立や対人関係の拒絶はないが、対人関係は職業上必要な最低限の表面的付き合いのレベルを超え出ることはなく、恋愛関係や結婚、友人関係への欲求を感じることも殆どない。



クラスターB(B群)……相互的な対人関係を築けない情緒不安定や依存性を特徴とし、自己の欲求や衝動を制御する良心や規範意識の乏しい群

  • 境界性人格障害境界例・ボーダーライン)……かつては、境界例と呼ばれ、精神病と神経症の中間領域にある人格傾向や症候群とされたが、現在は衝動性と依存性に基づく不安定な人間関係と自己否定感情に基づく自傷行為を主要素とする境界性人格障害として再定義されている。対人関係において、適切な距離感を取る事や相互の自由を尊重し合う事が不可能であり、その根底にあるのは『他者への基本的不信感と見捨てられ不安』である。

絶えず、相手の愛情や関心が自分に惜しみなく注がれていなければ安心する事が出来ず、少しでも相手が他の行為や事柄に熱中したり、ある程度の距離を置こうとしたりすると、『見捨てられ不安』が心の深奥から沸々と湧き起こってきて、耐えがたい孤独感や不安感に襲われて居ても立ってもいられなくなる。
境界性人格障害に頻発する自殺願望による自殺のほのめかしや自殺企図、手首や腕など身体の一部を刃物で傷つける自傷行為、大量の向精神薬を一気に服用する事で擬似自殺体験や気分の安定を得るOD(オーバー・ドーズ)は、死ぬことそのものを目的としているよりも自分の苦悩や孤独感や寂しさ、絶望に気付いて欲しい、自分をもっと愛して気遣って欲しいというメタファーであると同時に、曖昧模糊とした自己概念(自己イメージ)を自らの身体を傷害する事によって再確認するという儀式的な側面もある。
対人評価は、両極端を行きつ戻りつして全く安定せず、自分の事を全力で構ってくれて好意を向けてくれている時には『こんなに素敵で優しくて素晴らしい人は他にいない』という様に手放しの賞賛を与えたかと思えば、少し忙しくて十分に構う事が出来ない期間があったりすると『あなたみたいに冷淡で、思いやりが無くて、人間として信用できない人はいない』という様に過小評価して軽蔑したりすることがある。
気分は憂うつ感・無気力と高揚感・爽快感の双方を揺れ動いて安定せず易変性があるが、その感情基盤には『生きている意味などない』という虚無主義的な空虚感や現実感覚の低下が見られる。
衝動性や依存性が物質への耽溺や嗜癖に向かってしまった場合には、薬物依存や無謀運転、摂食障害などの異なる種類の精神障害を惹き起こす場合もあり、対人関係への依存性の亢進からセックスや恋愛への過度のこだわりや逸脱、共依存的な関係性の障害が見られる事もある。

  • 自己愛性人格障害……他人に対して傲慢不遜な横柄な態度を取る事を常としており、自分は特別に選ばれた人間なのだから他人よりも高い立場にあるのは当然だという意識が強く、他人からの注目や賞賛を求め、それが得られなければ途端に不機嫌になり体調を崩したりもする。

その根底にあるのは、『現実的状況から乖離した誇大妄想的な自己評価と自己イメージ』であり、その自己評価と自己イメージを承認しない他人に対しては非常に冷厳で冷淡な態度を示す傾向がある。
他人に対する評価は両極端であるが、基本的に他人を賞賛したり、その能力や業績を素直に承認することはなく、社会的・能力的な高低へのこだわりは異常に強いものがある。その結果、自分より社会的・能力的に高い者に対しては激しい嫉妬や引き落としの心理を向け、自分より低い者に対してはあからさまに傲慢な態度をとって蔑視する。
極端に高い自尊心により、他者からの批判や反論、忠告の類は一切受け付けることはせず、衝動的な怒りや屈辱感が前面に出てしまうので、冷静な議論や合理的な判断によって相手へ反論を返すのではなく、攻撃的な罵倒や中傷によって相手を貶めようとする。
強い自己愛に基づく性格であり、自己中心性と利己性を顕著な特徴とし、利他的な行為は弱者か偽善者が行う行為に過ぎず、成功する為には他人を道具のように利用しても構わないという強固な社会的成功欲求と地位名声への野心を持っている事が多い。
その欲望は、具体的な成功や経験によって十分に満たされる事はなく、現実には存在しない絶対権力・無償の永遠の自分への愛と忠誠、衰える事のない美貌や容姿、余人を寄せ付けない抜群の才気などへの偏執的なこだわりと憧れが見られる。そのイデア的理想への憧憬の代理的充足として、絶えず他人からの賞賛と高い評価を求める傾向が現れていると解釈することもできる。

他人の注目や関心を一身に集めたいという自己顕示欲が非常に強く、大袈裟な誇張された振る舞いや訴えが多く、その言語表現は過激でレトリックを駆使した巧緻なものである事もある。自分自身への身体症状や身体的な魅力に関する意識が強く、異性に対して誘惑的な形で好意や興味を引こうとする場合もある。
感情は移ろいやすく易変的であり、些細な取るに足らない事で感情を爆発して怒ったり、取り乱して興奮する事が多いが、その怒りや興奮は持続的なものや合理的なものではない。
あらゆる行為が、芝居じみていて大仰であり、無意識的な願望に突き動かされる形で『その行為の結果、相手がどのような反応や行動を取るのかの予測』を働かせて行われており、それが“演技性”人格障害と呼ばれる由縁である。
表面的な冷静さや合理主義を取り繕う事もあるが、相手の反応や態度が自分の意向に沿ったものでなければ途端に感情的で衝動的な姿を出して、自己中心的な合理性に欠けたわがままな主張・要求を展開し始める。相手を意図的な嘘や裏切りで騙すといった行為を演技的に行って、相手を操作しようとする事もあるが、その嘘が露見しても特別反省したり恥じ入ることは殆どない。

  • 反社会性人格障害……15歳以下の少年期に見られる反社会的行動や動物虐待や殺害などの残虐行為の場合には、発達障害・行為障害に分類されるが、18歳以降もその反社会性や虐待・殺害・窃取の嗜好が継続する場合には反社会性人格障害とされ、連続的に犯罪行為を繰り返して何ら良心の呵責や反省を感じない人たちの性格傾向に頻見される。

基本的に社会規範や倫理規範といったものの存在意義を認めないか、認めていても自分自身をそれを守る必要がないと独善的に思い込んでいる。
社会的活動に際しての遵法精神は皆無であって、相手の信頼を利用して嘘をつき詐欺行為を働いたり、弱者から暴力で金品を巻き上げたり、気に食わない相手を傷害したりする事が悪いという倫理判断を基本的に行わず、良心の呵責や罪悪感といったものを感じたことがないか、あっても他者の権利を侵害する行動を抑制するまでには至らない微弱なレベルの良心であり罪悪感である。
『自分は社会的関係から逸脱していて、家庭・学校・職場といった社会的環境に適応できないし、また適応したいとも思わず、社会的責任や義務などは意識することさえない。収入は働いて得るよりも、暴力・虐待・窃盗・詐欺等の犯罪行為で得るほうが気楽で苦労が少ない』という基本的な自己概念や自己評価を持っていて、それらを他人が説得や助言忠告で訂正することは非常に難しく、刑罰による犯罪抑止効果は殆ど通用しないか通用していても何とか法の目を潜り抜けて犯罪行為を犯そうと考えている。
他人の権利を顧みず、他人の心の痛みや悲しみや怒りに共感したり動揺したりする事も殆どない上に、自分自身の生活の安定や身体の安全にも殆ど興味がなく逮捕や懲役刑を回避する為に更生しようとする意欲も乏しい。
反社会性人格障害は、積極的に治療や改善を求める動機付けに欠けるために、現在の自分に対する違和感が生じて、好きな異性との恋愛関係や新たな結婚生活への期待などの大きな人生の転換期を迎えなければ性格変容の契機をなかなか捉えることが出来ない難しい性格の問題だといえる。



クラスターC(C群)……社会活動や人間関係にまつわる不安や回避、消極性に関連した思考・感情・態度・行動の極端な偏りを特徴とする群

  • 回避性人格障害……他者からの愛情や温かい受容を欲求する自己評価の低い性格類型で、他人から強く批判されたり欠点を指摘されたりする事に極端な恐怖や落胆を感じる為に、出来うる限り人間関係や社会場面を回避しようとする傾向がある。

対人関係の範囲は非常に狭く、自分を無条件で愛してくれて認めてくれる安心できる相手以外とはなかなか打ち解けることが出来ない為に、職業活動や今までに経験したことのない活動や人間関係への適応が悪くなることも多い。
社会的場面や人間関係から逃れでて回避したいという欲求や恐怖心が高まってくると、心理的自閉や活動性の極端な低下、自室への完全なひきこもりといった現象が現れてくる事もあるが、その根底に『高い自尊心によるバランスの悪い完全主義と他者からの批判や拒絶への恐怖』がある事もある。
バランスの悪い完全主義を前提として考えると、完全に物事をこなせないならば(あるいは、一度、失敗やミスをしたり、ドロップアウトしてしまったならば)、中途半端に行動や仕事をしても意味がないという全か無か思考が見られたり、他人から低く評価されたり、否定的に批判されたりすることそのものが耐え難い屈辱や恥辱であるという意識があるが、それが攻撃的・積極的な言動となるのではなく、防衛的・消極的な回避行動となって現れるのが回避性人格障害だと解釈できる。

  • 依存性人格障害……他者の愛情や承認への欲求が強く、何事に対しても主体的に自分の意志で決断したり行動する事が見られず他者の意見や行動に従属的である。自己評価が低い為に、自分の意見や行動が正しいという自信や確信が持てないので、いつも他人からの支持や承認、公的な評価や認可などの後ろ楯を欲している。

いつも孤独感や不安感を抱えていて、他人への依存心が非常に強い為に、自分一人で行動したり、社会活動に参加することが苦手である。その為、自分の感情や価値観に従った行動をしたいと思ってはいても、それを実行に移すことが出来ず、結果として誰か有力な押し出しの強い人物の感情や考えに従って依存的に行動してしまう。
自己の行動に対する主導権と責任感を持てず、全てを他人任せにしてしまうところに、依存性人格障害の主要な特徴が見られる。

  • 強迫性人格障害……感情表現に乏しく、自分の信念や価値観に頑固にこだわる側面があり、自分の中にある自己規定ルール(強迫観念や強迫行為)に従って紋切り型の形式的な言動を取る事が多い。

一般的に、知性的で論理的な印象を持たれていることが多く、感情的判断は極力控え、全てを論理的に理性的に精緻に考察してから行動を決定するという傾向があり、それが極端になると異常に潔癖で規則正しい強迫的な様相を呈してくる。
基本的な価値観として『秩序指向性』を有しており、規範・ルール・順序・階層・儀式・規則に対する尊重と遵守の意識が強く、そのこだわりや執着は他人から見るとやや病的で融通の利かない教条主義者の趣きを備えている。
自らが設定した目的や規則の遂行のためには、休息や余暇などにはおかまいなしに、猛烈に徹底的に作業や仕事に熱中して没頭する。
その為、フリードマンとローゼンマンが臨床的に研究したA型行動性格(タイプA)とオーバーラップする部分も多く、仕事一途で真面目な人物として、社会的に高い評価を得ていたり、経済的に成功している場合も多いが、本人自身には精神的余裕や安らぎといったものは微塵もなく絶えず慌ただしく何かに追い立てられているような窮迫感を感じることもある。
フロイトの想定した肛門期性格と類似した性格でもあり、経済的には倹約家であり、無駄や浪費を嫌い吝嗇家でケチな側面を持つ。
良心的で理性的であり、道徳規範を踏み外す事はなく社会的に評価される人物なのだが、ユーモアや興趣に欠けていて、柔軟性や応用性のある思考は苦手な傾向がある。
特定の観念や行為に過度にこだわり過ぎると、強迫性障害のような儀式的で規則的な行為に日常を支配されてしまう危険性もあるので、完全主義の潔癖さを緩和することが望まれる。

  • 受動―攻撃性人格障害……社会的義務や職業的任務に関して、特別な合理的理由なく間接的な手段を通して怒りの感情や抵抗の意志を示すことを特徴とし、能動的な社会活動を一切拒否するような姿勢を見せる性格類型である。

具体的な原因も正当な理由もないのに、社会的活動を妨害するような間接的抵抗を示し、その抵抗手段はサボタージュ、連絡事項の無視、時間の浪費、与えられた仕事の理由のない引き延ばしなどであり、結果として解雇や降格などといった自分自身への不利益を招くことがある。
その根底にあるのは、『公的領域と私的領域の区分の不完全と私的感情の公的領域への持ち込み』であり、自分の気に入ったプロジェクトや面白い仕事には積極的に参加するが、自分の興味をひかない仕事や面白みに欠ける作業の場合には絶対にしなければならない仕事であってもさぼったり引き延ばしたりする自己中心性がある。
公共圏において、私的理由による不機嫌やイライラや怒りを隠そうともせず、無関係な職場の人たちに不愉快な態度を示したり、自分のしたくない仕事はしなくてもいいといった現実的根拠のない確信を抱いていたりすることもある。


テレンバッハのメランコリー親和型性格と下田光造の執着性格に類似した抑うつ人格障害というものもありますが、軽度の抑うつ感や無気力、気分の落ち込みが性格的要因と関係している部分が多いものと考えられています。

*1:うつ病病前性格として知られるテレンバッハの『メランコリー親和型性格』や下田光造の『執着型性格』などがある。執着型性格の特徴は、一つの物事に執着する凝り性であること、徹底的に仕事や勉強を完全にこなそうとすること、自由な感覚よりも義務に縛られている感覚に囚われていること、休養や余暇を取りたいという意識が殆どないことである。メランコリー親和型性格の特徴は、社会規範や労働道徳といった決められたルールには絶対に従わなければならないという『秩序指向性』があって、融通が利かず、柔軟性に乏しいこと、仕事と自己との過剰な同一化があり、『仕事をしていない自分は全く無価値である』という価値観に支えられて極度に勤勉であること、活動や思考の根底には完全主義がありいい加減な事を絶対許せないこと、他者配慮性が極めて強く、絶えず他人に気を配って神経をすり減らしていること、社会活動の基本としての適応意識や役割意識が過剰であり、その為にいつも『〜しなければいけない』という焦りや切迫感を感じていることなどがある。